『様々な経験を引き出しに』(ダンス・演劇)

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2025.12.10 演劇

社会学部 身体表現と舞台芸術メジャー 関口晴さん

追手門学院高等学校・表現コミュニケーションコース出身。
Choreographers 2024[リバイバル・クリエーション])や廣榮堂プレゼンツ ハレノワおとぎ話のダンス「桃太郎対百太郎」『鬼に綿棒』演出・振付・出演:近藤良平、スズキ拓朗氏主宰のダンスカンパニーCHAiroiPLINによるおどるシェイクスピア『RARE〜リア王〜』、1996年フランスバニョレ国際振付賞受賞の伊藤キム+輝く未来作品『生きたまま死んでいるヒトは死んだまま生きているのか?』など、多くのダンス作品に出演。
本学の演劇コースでの学びや経験を実践に活かし、様々な場面で活躍中の関口さんにお話を聞いてみました。

本学へ入学を決めた理由を教えてください。

――元々高校では「表現コミュニケーションコース」で、自分を表現したり、誰かとコミュニケーションをとるための手法として演劇とダンスの授業があって、そこで初めてダンスに触れました。大学でもダンスをやってみたいと思っていくつか大学の候補を探していた時期に、梅田のビルで突然自分の所在が分からなくなるというか、自分がどこに立っているのか分からない不安に襲われたことがありました。たまたまそういうことがあったタイミングで四国学院大学のオープンキャンパスに来て、なんか善通寺駅を降りた瞬間にホッとしたんです。駅から大学までの一本道を久々に自分のペースで歩けた気がするし、あたたかい太陽の日差しも感じられて大学も大学周辺の雰囲気や環境も良くて、すごく印象に残りました。あとは舞台芸術特別奨学金の存在も大きかったです。それに、リベラル・アーツで、ダンスだけではなく他の選択肢も選べるというのは心強いなと感じました。

大学でもダンスがしたいということでしたが、入学してみてどうですか?

――自分が想像もしていなかったところにどんどん進んでいる感覚があります。SARP(四国学院大学アーティスト・イン・レジデンス・プログラム)※の公演や「インテンシブ・ワークショップ」の授業では第一線で活躍しているプロの方に教わることができます。それだけではなくて、自分が外部の公演に行くきっかけが、ダンスの授業で来ていた白神ももこ先生から振付助手の依頼を受けたことでした。授業に演出家や振付家がたくさん来て出会い、繋がりが持てるのはすごいと思います。

※四国学院大学アーティスト・イン・レジデンス・プログラム (SARP/サープ) とは
四国学院大学の身体表現と舞台芸術メジャーと舞台技術・公演マイナーが主体となって制作する公演。毎回、プロの演出家・振付家が大学内の施設に滞在し、学生キャスト・スタッフとともに一般観客の鑑賞に耐えうるレベルの高い舞台作品を創作することを目指し、2011年度より年2回のペースで公演を行っております。

特に印象に残っている授業はありますか?

――ニア・デ・ヴォルフ先生の「リサーチ・プロジェクト」です。この授業を受けた時に、将来ダンサーになろうと決意しました。授業では、『BBM/Breathing Bodies Movements /呼吸する身体の動き』という、呼吸を使って自分の身体とマインドを解放していくメソッドを学びました。斜めのラインに沿って即興で踊り動いていくワークをした時に、踊り終えた後すごく泣いてしまったんです。なんか自分が今まで生きてきたことを体が肯定してくれた感覚があって、体一つで表現できるっていいな、幸せだなと思って、自分の中で踊りがカチッとはまった瞬間でした。海外のアーティストと関われる機会はなかなかないので、ニア先生とはご飯に行ったり、休みの日に海に出かけたりたり、授業以外でも積極的に声をかけてすごく仲良くなりました。

これまでどのような作品に出演し、どのような経験を積んできましたか?

CHAiroiPLIN 2025年8月〜9月 3都市ツアー公演 おどるシェイクスピア『RARE〜リア王〜』出演について

――ダンスカンパニーCHAiroiPLINの『RARE〜リア王〜』には、フランス王の役で出演しました。初めてのカンパニー作品への出演で、プロダクションに関わっている人数もとても多かったです。それに、とにかくクリエーションの進行速度が速くて、一つのシーンが1時間くらいでできちゃうんです。脳みそも体も常にフル回転じゃないと追いつけない。自分以外はベテランの方ばかりだったので、ただ前を向いて進んでいこうと思ってとにかく必死に食らいつきました。演出家の拓朗さんのアンダーの役もやらせてもらっていて2役同時進行だったんですけど、それは自分の身体の扱いというか、踊り方も大きく広げてくれた経験でした。それに、プロの現場での挨拶の仕方一つ、現場での立ち居振る舞いなどは演者からもスタッフからも学べることが沢山あったので、これからも意識していきたいですね。

CHAiroiPLIN
おどるシェイクスピア『RARE〜リア王〜』
撮影:HARU

CHAiroiPLIN
おどるシェイクスピア『RARE〜リア王〜』
撮影:HARU

2025年9月23日 舞踏ダンス公演 伊藤キム+輝く未来『生きたまま死んでいるヒトは死んだまま生きているのか?』出演について

――服を一切纏わずに全裸に白塗りをした状態で、30分間ジリジリ踊っていく、というような作品でした。これまでに経験したことのない世界観で、それがまた自分と、自分の切実な部分と向き合うことができました。それに、6月に上演した岩渕さんのSARPのクリエーションで自分の体と向き合うことへの興味が出てきた時にCHAiroiPLINに出演して、そこで伊藤キムさんと共演していたからこそ繋がった作品だったので、色々な縁を感じながらできた作品でした。舞台やダンスをやっていると、自分が思ってもみなかったところに連れていってくれているように感じます。人前で裸になって踊るなんて人生でなかなか経験しないことだし、自分だったら絶対やらないことを打破してくれているような気がします。実際にやってみると、今までと全然違う感覚でした。服を纏っていないからこそ、舞台袖から出た時の観客の視線や空気がいつもよりダイレクトに伝わってきました。だんだんと舞台上の空気や熱を上げていく作品でもあったので、舞台空間がどんどん熱を帯びていく様子はすごかったです。

2025年10月5日 瀬戸内国際芸術祭秋会期オープニングセレモニー『The Drift~漂流の島~』出演について

――瀬戸内国際芸術祭の秋会期オープニングセレモニーとして、旧粟島小学校で作品を上演しました。そこは、かつて日本初の海員養成学校があり、若い人たちが戦争に向けて巣立っていった場所でもあります。だから戦争に出向く人たちが家族へ向けて手紙も多く残っています。作品は、小学校内を巡って、最後に校庭でパフォーマンスをするというもので、僕はダンサーとして出演しました。出演者の皆さんは四国に所縁のある方たちで、年代も十代から七、八十代まで幅広く、島民の方とも交流しながら作っていきました。当時の手紙の声に動かされたり、シンガーの力強い歌声に動かされたり、何かに動かされるという感覚は粟島のあの場所だったからこそ感じられたものだと思います。

2025年11月1日(土)・2日(日)の瀬戸内国際芸術祭2025参加作品『平家物語 REMASTER』にも出演予定ですね。絶賛稽古中だと思いますが、いかがですか?

――これまでに大学で何度か上演されている作品ですが、僕は今回が初めての出演です。今回の作品には在学生だけではなく、卒業生も出演しているので、何度も再演してきた重みも感じています。それに、平家物語はただの軍記物語というだけではなく、親子の絆があったり、主従の絆があったり、敵対している相手へのリスペクトもあったり、色々な人間関係が描かれているところが好きだし、見所の一つではないかと思います。卒業生の人たちはこれまでの経験もあって重厚感を持って演じられていて、在学生は手探りをしながら、ある種のプレッシャーの中で新鮮さをもって挑んでいます。個人的には今回、ダンスではなく演劇という点でドキドキはしています。僕は佐藤嗣信という、弁慶と共に源義経を側で支える側近の役なのですが、お二人が東京でも活躍している卒業生の方なので、そこも今までとは違う緊張感があります。でも、今まで演劇の時はセリフがちゃんと喋れているかとか、動きとかも合っているかなとか自分へ意識が向くことが多かったんですけど、徐々に外に意識を向けられるようになってきました。例えば、源義経の目の配り方とか、瀬戸内海の風景とか、戦場で死んでいった人たちとか、そういうものが少しずつ景色が見えてきて、それらがよりリアルに感じられるともっと面白いんだろうなと思うと、挑戦するのがすごく楽しみです。今までは「これやってもいいのかな」としり込みしていたところを、1回やってみてから考えようと思えるようになって、フィードバックは挑戦したご褒美だと捉えられるようになりました。今は、すごくワクワクした気持ちで稽古に臨めています。

様々な作品に出演する中で、本学演劇コースでの学びが活かされたと思ったことはありますか?

――粟島でのパフォーマンスで、戦場に旅立つ兵士が家族に向けた手紙を読んで、死にたくないけど行かなきゃいけない、でも国のために尽くしたい、でもここから逃げたいという葛藤など、いろんな感情が渦巻く中で踊るというシーンがありました。その時のベースとなったのが、阪本先生の『ダンス・リサイクル』という作品でした。そこではまず自分の中の怒りを放出してみるというワークショップを最初に行いました。目を閉じて、自分の中で怒りの種を見つけて、それを増幅していって、その怒りが最終的に音になったり、体から漏れ出てきたりしたものを見つめてみる。クリエイション中に行った、自分の中の怒りを放出してみるというワークで得た感覚です。粟島でのシーンでも、その感覚があったからこそ表現できたと思います。演者として舞台に立つ時に、どれだけ自分の中の引き出しを使えるかということが大事になってくると思います。その引き出しは、普段の演劇コースの授業からもらうことが多いです。大学で基礎を学びながら、外部に出た時にその引き出しを使って、逆に外部での経験を持ち帰ってそれがどうだったのかを考えて新たな引き出しにできるように落とし込んでいく、というサイクルが徐々に自分の中でできてきたと思います。
 あとは、「シーンスタディ」という授業で、西村先生が三島由紀夫の『弱法師』を題材にして、一人語りのシーンを演じる作業が印象的でした。まずはセリフを覚える作業から始めましたが、読むスピードが単調だと飽きてしまうから、どこを速く読むのか、どこを強調するのか、どこが一番大事なセリフなのかを見極めていく。その上で、台詞に動きもつけていくので余計にややこしくなっていくんですけど、繰り返しトライしていくうちに整理されていきました。整理されてくると、風景も見えてくるようになって、それが明確であればあるほど、やるべき手つきや動きまで見えてくる、イメージが持つ力をすごく感じた授業でした。今回の『平家物語 REMASTER』でもまさしくその感覚が生きています。例えば、扇を射抜くシーンでは、どこからが崖で、どこまでが海で、扇との距離はどれくらい離れているのか。など、実際の舞台上では近いけれど、作品の中で距離があるシーンでは、演者の目線や表現の仕方でその距離の遠さなどはお客さんにも伝わるので、演者がどれだけイメージできるかが勝負だと思っています。そのイメージを持つコツは演劇の授業での経験が大きかったと思います。

大学に入って、自分が成長できたと思うところを教えてください。

――決断が早くなりました。入学した時には本当にダンスでいいのか?演劇もあるけどどちらがいいのか?そもそも舞台でいいのか?と様々な悩みがありました。でも、やっぱり決めなければならない瞬間というのはあります。例えば、オーディションを受けるか受けないのか、自分のキャパシティが限界な中でもやるのかやらないのか、諦めて別のことに集中するのか、とか一つ一つ全部選択していかなければなりません。阪本先生に「何かを選ぶということは何かを諦めること」だと言われたことが印象に残っています。そして、何かを決めた時物事は進んでいくということに気が付きました。諦めたことがあっても、別の何かが巡ってきます。結局そのどれも選ばずに有耶無耶にしていると失敗して、やっぱり決めたことはうまくいくんですよね。これまで外部の作品に出た時を思い出すと、その決断が早ければ早いほどどんどん前に進めるので、それが成長に繋がっていると思います。それに、これまでの外部での経験は多くの人との縁があったおかげです。だからこそ、その繋いだ縁を大事にすることと、謙虚さを忘れないことを大切にしています。

すでに決まっている外部の公演はありますか?

――2026年1月に中村蓉さんの『BLINK双面改瞬間真似(ふたおもてあらためまたたきのまにまに)』に出演します。「双面(ふたおもて)」という歌舞伎の演出方式を題材にした作品で、伝統的な手法を様々解釈しながらパフォーマンスへと立ち上げていきます。今回は固定の役がなく、場面によって子どもの役になったり、波になったり移り変わっていきます。MASSAN×BASHIRYというミュージシャンの方がいて、生演奏で踊るというのも見所です。古典演目はいろんな解釈ができるので、稽古中にみんなでこれはどういう意味だろう?と話し合いながら作っています。古くから続くものをどうやって新しく解釈していくのかが、自分がこの先どういう道を歩んでいくのかに重なって、新たなステップに進めそうな気がしています。どんどん新しいことにチャレンジしているので、ぜひ見に来ていただけると嬉しいです!

演劇コースでの経験をこれからの将来にどう活かしていきたいですか?

――ひとつは、ダンサーとしての活躍の幅を広げていきます。今は日本で舞台の活動をしていますが、同時に海外にも行ってみたいと思っています。海外だと異なる価値観があるだろうし、芸術に対しての文化の根付き方も違うと思うので、国内外問わずにどんどんダンサーとして出演し、振付・演出家として作品も作っていきたいです。また、今ある繋がりを大事に地方でも活動していきたいと粟島の作品に参加した時に思いました。アーティストと市民の皆さんが力を合わせて一つの作品を作り上げていく過程が本当に美しく、地方にしかない人や土地の持つあたたかさがありました。僕自身、都会がしんどくなった時に地方の人や土地のあたたかさに助けられたので、その気持ちをいつまでも忘れずにいたいと思います。