沿革
四国学院は、プロテスタント(=福音主義)に属する米国南部長老教会(当時)の宣教師、J. A. マカルピン、W. A.マキルエン、L. W. モーア(3M)と、日本人キリスト者によって、福音主義信仰にたつ高等教育機関(当初は男子リベラル・アーツ・カレッジを考えていた)として、「四国基督教学園」という名称で1949年10月20日に設立されました。
開学前 | 大蔵省財務局ならびに善通寺町当局と話し合い、元騎兵隊跡(現在の敷地)を譲り受けることができた |
1949年 10月 | 財団法人四国基督教学園の設置が認可された。 |
1949年 12月 | L.W.モーアが初代理事長に就任。 |
1950年 4月 | L.W.モーアを初代学長とする、4年制の男子のためのリベラル・アーツ・カレッジ四国基督教学園が開学。 |
1951年 4月 | W.A.マキルエンが第2代理事長に就任。 |
1957年 4月 | 得永新太郎が第2代学長に就任。 |
1958年 5月 | J.A.カグスウェルが第3代理事長に就任。 |
1959年 1月 | 学校法人四国学院の設置が認可された。 |
1959年 4月 | 四国学院短期大学(基督教科、英語科)開学 前東大総長矢内原忠雄博士による開学記念講演会「信仰と教育」を開催。 |
1959年 9月 | 矢野貫城が第3代学長に就任。 |
1960年 5月 | W.A.マキルエンが第4代理事長に就任。 |
1961年 11月 | 四国学院大学カレッジ・ソング発表。 作曲・得永敦子氏。 |
1962年 3月 | 聖恵館の献堂式を挙行。 |
1962年 4月 | 四国学院大学開学、文学部(英文学科、基督教学科)設置 |
1963年 4月 | 福田敬太郎が第5代理事長に就任。 |
1963年 6月 | ランドルフ博士夫妻が来学し、化学奨励金と生物学奨励金、ならびに図書費を寄贈。 |
1965年 4月 | 得永新太郎が第4代学長に就任。 |
1966年 3月 | 仰光館(第3号館)完成。鉄筋3階全館冷暖房付の校舎は四国はもとより、全国でもほとんど例がないものだった。 |
1966年 4月 | 文学部に中四国初の社会福祉学科を増設。堀経夫第5代学長に就任。 |
1967年 4月 | 基督教学科を改組し、人文学科を設置。 |
1969年 4月 | 得永新太郎が第6代学長に就任。 |
1972年 4月 | 文学研究科社会福祉学専攻修士課程を設置。 |
1973年 4月 | 教育学科を増設。 |
1976年 4月 | 正門改修完成。門標は得永新太郎教授が書く。 |
1977年 12月 | 第1回メサイア演奏会開催。 |
1977年 12月 | 米国フォート・スミスの教会からハンドベルが寄贈された。 |
1980年 10月 | 詫間町に「山の家」落成、四国学院セミナーハウス積修館と命名。 |
1982年 4月 | 社会学科を増設。 |
1985年 10月 | 清泉礼拝堂落成。 |
1986年 11月 | パイプオルガンが礼拝堂に完成。 |
1991年 12月 | 韓国韓南大学校セレステ合唱団、本学メサイア演奏会に初めて参加。以後両大学メサイア演奏会の交流がはじまる。四国学院建学憲章を制定。 |
1992年 4月 | これまでの単科大学を文学部(英文学科、人文学科、教育学科)および社会 学部(社会福祉学科、応用社会学科)の二学部に改組し、総合大学への歩みを始める。 |
1995年 7月 | 徳島県東祖谷村に、山の家「祖谷山ロッジ」が完成。 |
2000年 4月 | 大学院社会学研究科社会学専攻修士課程を設置。 |
2001年 4月 | 大学院文学研究科比較言語文化専攻修士課程を設置。 |
2003年 4月 | 社会学部にカルチュラル・マネジメント学科を設置。 文学部英文学科を言語文化学科に名称変更。 |
2003年 9月 | 四国学院キリスト教教育研究所を共同利用機関から大学・短期大学の宗教教育研究機関に改組。 |
2004年 4月 | 社会学部社会福祉学科を社会福祉学部社会福祉学科に改組。 |
2005年 4月 | 社会福祉学部に子ども福祉学科を設置。 |
2010年 4月 | 19メジャー+1マイナー制度導入にともない、文学部人文学科、社会福祉学部社会福祉学科、社会学部カルチュラル・マネジメント学科の1学部1学科制に改組。 |
2021年 4月 | トライメスター(四国学院変則3学期制)を導入。 19メジャー+1マイナーから20メジャー+4マイナーに再編成・拡充 |