卒業生紹介(米盛 健さん)

米盛 健さん


社会福祉学部 1998年度卒業
医療法人 青樹会 一之瀬脳神経外科病院 施設長(取材当時)

■学生時代はどのような学生でしたか。また大学生活で印象に残っていることは?

学生時代の4年間は、剣道部に所属しており剣道三昧で、汗をかき、先輩、同期、後輩らに鍛えられました。剣道の稽古が終われば、大学の中庭にある自動販売機のあるベンチで、汗をぬぐい、他愛もないことや夢や悩みや恋を、先輩・同期・後輩らと遅くまで、語りあいました。そして、そのまま、学校正面にあった定食屋『さくらんぼ』で、後輩ら仲間たちと飯を食べました。こんな地味な学生生活でしたが、自分には、合っていました。今でも、愛しい時間です。

■大学時代の経験は、現在どのように活かされていますか?

人との繋がり、人との“間”、人との“温度”、人とのテンポ、人との上下関係、人との真面目さ、人へのいたわり、人への礼儀、人の様子を見る“眼”、自分の固さ、自分の葛藤などなど、社会に出ても、どのフイールドで活躍しても、核になることを学びました。

■現在の職業を選んだきっかけはなんですか?またどのようなことをしていますか?

大学を卒業し、社会福祉施設を経て、その後単身で、長野県諏訪市霧ヶ峰高原にある老舗の山小屋『ころぼっくるヒュッテ』で働きました。その後、介護の世界へ。(山の世界ではなく、下界で働きなさいと。主人より)それ以後、働きながら、社会福祉士・介護福祉士・精神保健福祉士・介護支援専門員などのライセンスを取得し、特別養護老人ホームでの介護職員から、デイケアセンター長へ。30歳の時、「社会福祉士」という資格で、医療機関で働いてみたいと思い、MSW(メディカルソーシャルワーカー)として、現法人のスタッフとなりました。

 

■現在の仕事での魅力や喜び、苦労したことはなんですか?

それぞれの状況で、当法人の医療・介護サービスを受けたいと来られる様々な方々との『人と人との』関わり、『間』、素直な気持ち、などなどそういった人間の感情を包み込みながら、対峙していくことが、魅力・喜びなのかもしれません。自分の生き様が、全く一筋縄に、進めて行けなかった為、他の方々は、それぞれ高校大学卒業してから、それぞれの専門一本でストレートに勝負されて働かれておられることへの嫉妬心や、憧れなどがあり、自分自身への葛藤がありました。もう少し、楽に、素直に自分の道を進めなかったのか?と振り返ることもあります。

■就職してから社会に出て必要になる力はなんですか?

自分に最も、必要であったことは、『継続者、力なり』。まず、続けること。社会で、働くということは、まず、そう簡単なことではないのだから、しかし、簡単に辞めてはいけない。まずは、仕事の愚痴を言ったり、文句を言ったり、仲間と傷の舐め合いをしながらも、続けること。続けることによって、人間力も自ずと高まっていく。私自身は、それが足りなかったと感じています。

■これから社会に出ていく後輩に、先輩としてメッセージをお願いします。

大いに夢を追い、夢を語ってもらいたいと思います。そして社会に出て、失敗や成功など多くの経験をしてもらいたいです。1度や2度失敗したとしても、必ず挽回をすることができます。私自身も遠回りをしながら様々な経験をして今があります。今を大事に生きていれば、必ず道は開けていきます。