学生活動-留学

『それぞれの視点でみること、学ぶこと』(外国事情(韓国)/短期留学)

社会学部 国際文化マネジメントメジャー 大源心乃さん
倉敷翠松高等学校出身。

韓国の姉妹校 韓南大学校を訪問・滞在して体験する「外国事情(韓国)」。
元々東アジアの歴史に興味があり、授業でも韓国の歴史を学んでいた大源さんは、今回の短期留学で多くの学びを得ることができたそうです。
韓国では、どのような体験をしたのでしょうか?

「外国事情(韓国)」を履修しようと思ったきっかけを教えてください。

――橋本先生の「コリア文化研究」で、韓国の歴史をひと通り学んでいました。授業で使用していた教科書は、韓国人と日本人の先生が一緒に作ったもので、日本人が学校で習う歴史とはちょっと違っていました。歴史っていろんな角度から見たら、また違った解釈になるということを学ぶことができたので、今回「外国事情(韓国)」で実際に自分の目で韓国を見てみたいと思い、参加しました。

「外国事情(韓国)」では、どのような体験をしましたか。

――韓南大学校の学生と一緒に豊臣秀吉が焼き討ちした建物などの歴史的建造物を見て回ったり、世宗という韓国の王様の名前がついている植物園に行ったりしました。ただ、日本人が焼き討ちした建造物や植民地時代のことを思うと、気まずさを感じる場所もありました。実際の歴史がどうだったかは分かりませんが、韓国から見れば、日本は侵略してきた国で、今でも恨みが残っているのも分かるなと思いました。ソウルの景福宮に行った時、植民地時代に建っていた日本総督府は取り払い、地方の土の中に埋められているということを聞きました。同行していた橋本先生は、実際の建物を見たことがあり、「近代的な大きな建物だった」と当時のことを話してくれました。気まずさはありましたが、日本と韓国それぞれの視点を持つ人が一緒に同じ歴史的建造物を見る機会はなかなかないので貴重な体験ができました。
日本の教科書で学ぶのは、第二次世界大戦後にGHQが日本を占領したとか、日本がどれだけ酷いをされたのかということばかりで、日本がアジア諸国にどんなことをしたのかはあまり習うことがありません。でも、韓国の学生は、日本が韓国にしたことを歴史で学んできていると思うので、最近になってその歴史を学んだ日本の学生とで、捉え方は違うんだろうなと感じました。お互いに多くは語りませんでしたが、知らなかった歴史を大学で詳しく学んで、韓国人の学生と実際に歴史的な場所に来ることができたことはよかったと思います。それに、「コリア文化研究」の授業で韓国の歴史を学んでいたからこそ頭に入ってくることも多くて、すごく勉強になりました。

セミナーではどのような発表をしましたか。

――私たちは、「日本のアニメが韓国ではどう変わるのか?」ということをテーマに発表しました。例えば、『銀魂』では沖田総悟というキャラクターが年上や上司のキャラクターにため口で話すシーンなどはすべて敬語になっていたり、『ONE PIECE』のサンジというキャラクターがタバコを吸うシーンはタバコではなくペロペロキャンディーに変わっていたりします。また、仲良くなった韓南大学校の友人の家庭では、日本でよく話題に上がる『クレヨンしんちゃん』ではなく、『ドラえもん』が禁止されていたということを聞いて驚きました。理由を聞いてみると、のび太のようななまけ癖がついたら困るからだと言っていて、そういう見方もあるんだと感じて印象に残っています。セミナーの時に話題になったんですけど、日本は妖怪や鬼をアニメにすることが多くて、韓国は現代を舞台にした作品が多いという違いもありました。日本の伝説や伝承がアニメになっていたりするので、韓国人から見れば新鮮に思えるのかもしれないと感じました。
今回調べたことによって、その国の文化によって、表現の場でも変化や違いがあるということが学べました。

韓国での生活はどうでしたか。

――韓国では寮生活でした。最初は韓国語の勉強もしていなかったし、慣れなかったんですけど、なんとなく一緒にいるうちに「こういうことを言っているのかな?」と分かるようになってきました。翻訳アプリを使って会話をしたり、日本語と英語と韓国語を交えて伝えたり、身振り手振りを使ったりしてコミュニケーションをとるようにしました。一緒にカフェに行ったり、ショッピングをしたり、普段観ているアニメやドラマ、音楽の話で盛り上がったりして、どんどん仲良くなっていきました。
韓国料理がとても美味しかったです。特に印象に残っているのは、カニの素揚げにキムチであえたケジャンという料理です。触感はカリっとしていてピリ辛で、日本にはない料理ということもあって、たくさん食べました。

「外国事情(韓国)」を通して、成長できたことを教えてください。

――韓国人の女子学生と接していて思ったことがあります。それは、そこまで人に気を遣わなくていいのかもしれないということです。私はけっこう人に気を遣ってしまうタイプだったんですけど、韓国の友達は興味がない話題だと「あ、そう」とスパッと会話を切っていて、無理して会話を広げたりしなくてもいいんだと思えました。韓国人の学生との交流で、自分の考え方が変わりました。人間関係で気を遣うことは必要だけど、仲のいい友達との間ではフラットな姿勢で、そこまで気を遣わなくてもいいんだと思うと、気持ちが楽になりました。だから、違う国の文化だし、その子の性格もあるとは思うんですけど、人に気を遣いすぎなくていいということを知ることができて、以前の自分よりは強くなれたと思います。自分が変わることもできたので、本当に韓国に行けてよかったと思います。
また、分からない人に合わせるということも学びました。寮では、韓国人の学生一人と私たち日本人二人が同じ部屋でした。私たちが日本語で話している時、韓国人の学生は何を話しているのか分からない状況になってしまいます。私はその子と仲良くなりたかったし、疎外感を感じてほしくなかったので、日本語での会話が終わったら、翻訳アプリを使ってどういう話をしていたのか、ということを伝えるようにしていました。そういったコミュニケーションをとっていたおかげで、些細なことでもお互いに翻訳アプリを使って会話するようになって、より仲良くなることができました。これは言語だけの話ではなくて、同じ空間で分かる人と分からない人がいる時には、分からない人に合わせてコミュニケーションをとっていくことがその人と仲良くなる上で大切なんだと学びました。

四国学院大学に入学した理由を教えてください。

――オープンキャンパスで受けた金先生の授業が面白くて、金先生の授業をもっと受けてみたいと思ったからです。それに、友人の付き添いで個別相談に行った時、同じ岡山出身の職員の方がいて話が盛り上がったこともあって、この大学で過ごすのはすごく楽しそうだなと感じて入学を決めました。

国際文化マネジメントメジャーでの学びはどうですか?

――いろんな国の歴史を知りたかったので、メジャー選択の時には歴史学・地理学メジャーと迷ったんですけど、いろんな国の事情をいろんな角度から見たかったので国際文化マネジメントメジャーに決めました。国際文化でイギリス史や韓国史などを学べているし、メジャー制度のおかげで他の分野の授業も履修できるので、オープンキャンパスで気になっていた金先生の授業も受けたりしながら、すごく楽しく学んでいます。
特に学んだことで印象に残っているのは、韓国史です。隣の国の歴史なのに、義務教育では深く学ぶことがありません。だから、意外と接点があったんだということも知ったし、日本が韓国に対して何をしたのかも知ることができたし、日本での出来事が韓国ではどうだったのか、と比較しながら学ぶことができました。例えば、日本が終戦を迎えた時に韓国は植民地時代が終わったから光を取り戻したとか。日本にもきっと朝鮮系の人もいて、同じ祖先を持つ人もいるのに、その国の文化によって考え方や見方が変わってくるというのがすごく面白かったです。
そういったことを学んだ上で「外国事情(韓国)」で実際に韓国に行くことができたので、メジャーでの学びの一環のようですごく勉強になりました。

これからの将来にどう活かしていきたいか。

――分からない人に合わせる、というのが自分にすごく勉強になったことでした。これから国際文化に係る仕事に就くかは分からないんですけど、人に気を遣いすぎなくてもいいとか、分からない人に合わせるとか、お互い分かろうと努力していけばけっこう仲良くなれるということを知れたので、これから人間関係を築いていく上で大切なことを学ぶことができたと思います。

「外国事情(韓国)」に興味がある人へアドバイスやメッセージがあればお願いします。

――韓国に興味を持っている人が多く選ぶと思うんですけど、外国の人と関わってみたいとか、外国ってどうなんだろうとフワッとした興味がある人でも勉強になると思います。視野を広げるために行くのもアリだと思います。後からでも自分に吸収できることがあると思うので、とりあえず行くことが大事です。それに、韓国の学生とずっと一緒に過ごすのは、学生の今しかできないと思います。そういう目標や目的があってもなくても、行ってみたら勉強になることがたくさんあるはずです。


「外国事情(韓国)」とは…
サマ-セッションの一週間、韓国大田市にある姉妹校韓南大学校を訪問・滞在し、韓日国際学生セミナ-に参加して韓国の大学生と友好親善交流をし、韓国各地を訪ね人々と直接的な出会いを体験しながら、韓国の歴史や文化、韓国人の日常生活などについての理解を深める韓国体験授業です。

『留学を通して』(留学)

 

 

 

 

 

森田 知世 さん

倉敷古城池高等学校出身

留学を通して身についたのは「周りに頼ること」!留学先での経験や、これから挑戦したいことについて話してもらいました。

留学先ではどのようなことを学びましたか?

――1年間、韓国にある韓南大学校へ留学し、主に語学堂で韓国語の勉強に力を入れました。初めは、話すスピードについていけず、何も分からない状態でしたが、1年間をかけて韓国語に慣れ、今ではほとんど理解できるようになりました。もともと、K-POPや韓国のドラマが好きで、独学で韓国語を学んでいました。大学入学後に、自分の使っている韓国語がどこまで通用するのかを試してみようと思い留学することを決めました。

留学を通してどのように成長しましたか?

――新型コロナウイルスの影響で、搭乗する予定だった飛行機が運航しなくなったり、留学して半年間はオンライン授業が続いたりと、いろいろなことを経験しました。その経験を経て、困ったときは、抱え込まず、周りに助けを求めることができるようになりました。私は、ひとりで留学したため、周りに助けてもらうしかない状況だったので、韓南大学校の職員の方や、他の国からの留学生の力を借りて、乗り切りました。外国からの留学生は積極的に話しかけてくれたので、私も自然とコミュニケーション能力を高めることができたかなと思います。

今後の目標を教えてください。

――韓国語の勉強を続けていきたいです。留学してから、TOPIK(韓国語能力試験)4級を取得したので、最終的には6級を取得することが目標です。将来は韓国語を生かせる仕事に就きたいです。
また、留学先でベトナムや中国からの留学生と仲良くなり、今でも交流が続いています。良い友達ができたことはとても幸運だったと思います。いつか、また、友達に会いに行きたいです。

『もっと日本語で会話したい』(留学)

文学部 人文学科 全 声 賢(ジョン ソンヒョン)さん
韓南大学校(韓国)
幼い頃から日本のアニメやドラマが好きだったという全さん。
今回の日本での留学で、どのようなことを体験しているのでしょうか。

日本に留学しようと思った理由を教えてください。

――韓国でも日本のメディアに触れる機会があって、私は幼い頃から日本のアニメやドラマが好きでした。だからずっと、日本語を話せたら楽しいだろうなと思っていました。歴史にも興味はあったのですが、人生は一度しかないので、やりたいことをやってみようと思い、日本語の勉強をするために大学では日本語学科を専攻しました。日本語をもっと話せるようになるためには、留学するのが一番だと思っていた時に、韓南大学校の先生から姉妹校である四国学院大学を紹介してもらいました。留学のために一生懸命日本語の勉強をしたので、日本に来ることができて嬉しいです。

留学中の目標があれば教えてください。

――12月にある日本語試験に合格するのが目標です。留学での最終目標は、日本人と同じように日本語をペラペラに話すことです。私の夢は空港の職員として働くことなので、今回の留学経験を活かして空港で働きたいと思っています。

日本に来てみてどうですか?

――日本に来るのは今回が初めてです。まだ色々なところに行けていないのですが、最初に関西空港から大学までの道のりで、電車の乗り方には少し戸惑いました。でも、韓国と似ている点も多かったし、日本人が優しく教えてくれるので、問題はありませんでした。

四国学院大学の印象はどうですか?

――以前四国学院大学に研修などで行ったことがある先輩や同輩たちから四国学院大学の話は聞いていて、だいたいのイメージはできていました。でも、コロナ以前にマグノリア学寮はなかったので、初めて寮に来た時には驚きました。
静かで勉強に集中できるいい環境が整っていて、学生や教職員の皆さんがとても優しいので、とても満足しています。

マグノリア学寮での生活は?

―― 一人部屋なので、一人暮らしのように自分だけの空間が持てて、勉強にも集中できています。最近建ったばかりなので、室内もとてもきれいで、過ごしやすいです。カフェテリアコイノス(食堂)での食事も、韓国と似ているものも多くて、全部美味しいです。</1>

印象に残っている授業について教えて下さい。

――「教育実践と舞台芸術Ⅲ」と「日本事情」です。「教育実践と舞台芸術Ⅲ」では実際に演劇をするために準備をしていて、日本人の学生と留学生とで一緒に練習をしています。演劇を通して日本語の勉強もできて、日本人学生と交流ができるので、とても楽しいです。それに、国際オフィスアシスタント(※1)の学生が知らない単語などを教えてくれてサポートしてくれて、先生方も優しいのでとてもありがたいと思います。
「日本事情」では、香川県内だけでなく、四国各地に行っています。やっぱり日本の色々な場所に行くことができるので、この授業が今一番面白いです。ただ観光するだけでなく、お城やその地域の歴史を教えてもらえるので、いつも真剣に説明を聞いています。

「日本事情」で訪れた場所で印象に残っているのはどこですか?

――「讃岐の金毘羅さん」で知られる金刀比羅宮です。階段を上るのが大変だったので、記憶に残っています。金毘羅にある歴史や特徴を橋本先生が詳しく説明してくれたのも興味深かったですし、勉強になりました。祭りなどがある特別な日には普段は開かれない場所が開いたりするということも聞いて、一度お祭りに参加してみたいなと思いました。

本学でチャレンジしていることやしたいことはありますか?

――最近は、チャペルやマグノリア学寮にクリスマス・イルミネーションの飾りつけをしています。はじめは何をするのか分からなかったのですが、実際にやってみると、作業も難しいことはあまりなくて、みんなで力を合わせてできるのが楽しいです。イルミネーションが光る景色を見るのが楽しみです。
今は試験に向けて全力で勉強しているのですが、試験が終わったら日本人の友達をたくさん作りたいです。部活やサークルなどの活動にも参加してみたいです。

日本に来て、自分が成長できたと思うことはありますか?

――私が日本語を始めた時は他の人よりも遅い方なので、最初は日本語をちゃんと話すことができるか少し不安でした。でも、予想以上に日本語を話すことができるようになっていて自分でも驚いています。日本に来たばかりの頃は日本語を聞き取ることも難しかったのですが、今は最初の頃よりも日本語を聞き取ることができているので、成長できていると思います。

これからの将来にどう活かしていきたいですか。

――今回の留学で、たくさん日本語で会話して、日本語の実力をつけて、将来は日本に係る空港の職員として働いていきたいです。

※1 国際オフィスアシスタントは、外国人留学生のキャンパスライフサポートや、海外留学・国際関係イベントなどの交流行事に携わります。

『様々な体験を通して』(留学)

文学部人文学科 林姿縈(リン シエイ)さん
中華大学(台湾)

小さい頃から日本に行ってみたいという思いを持ち、2022年9月から台湾の中華大学より本学へ留学している林さん。
林さんは本学でどのようなことを学び、体験しているのでしょうか。
本学での留学生活について話を聞いてみました。

日本に留学しようと思った理由を教えてください。

――私は、日本のドラマが好きで、小さい頃から日本に行ってみたいと思っていました。でも、なかなか日本に行く機会がありませんでした。大学に入学して、先生と一緒に勉強を頑張り、ようやく日本に留学する機会を得ることができました。この機会に、日本のいろんな場所に行ってみたいです!

四国学院大学の印象を教えてください。

――台湾にいた時から四国学院大学のことを調べていて、とてもいい大学だなというイメージを持っていました。初めて日本に来て緊張していましたが、イメージ通り環境もいいし、みんなが優しくて安心しました。四国学院大学に留学できてよかったです。

マグノリア学寮での生活はどうですか?

――台湾の寮と違うなと感じました。マグノリア学寮では、みんなで掃除番をしたり、ミーティングをしたりしています。中華大学ではあまりそういうことはしないので、日本の大学の寮生活を知ることができてよかったです。それに、分からないことがあったら助けてくれる友達もできました。

中華大学と本学で違いを感じたのはどんな時ですか。

――授業時間や時間割が違っていたので最初は一日の時間の違いに戸惑いましたが、今は慣れてきました。また、食堂も中華大学とは違っています。中華大学はいろんなお店が集まっていて、自分が好きなお店を選んで注文しますが、四国学院大学(カフェテリアコイノス)は、みんな同じ場所で、食券を購入して食べます。食堂のメニューはどれも美味しいです。

印象に残っている授業について教えて下さい。

――「教育実践と舞台芸術Ⅲ」と「日本語の音」の授業です。
演劇の授業は、発声練習をしたり、みんなで一緒に稽古をしたり、とても面白いです。台本を読む時、日本語のアクセントが難しいので、一生懸命練習しています。日本語が難しい時もありますが、演劇を通してみんなでコミュニケーションもできて楽しいです。人前で話すことにも最初は緊張していましたが、みんなで練習しているうちにだんだんと「いけるかも!」と思えるようになりました。
「日本語の音」では、日本語を話すときに口の中でどうやって発音しているのかを学んでいます。中国語とは発音の仕方が違うので、やっぱり難しいです。覚えないといけないことも多いので、頑張って勉強しています。

日本に来て驚いたことはありますか。

――「日本事情」の授業では、留学生のみんなと橋本先生と一緒に四国各地に行きます。その時の移動手段として、初めて特急列車に乗りました。台湾では特急列車でも1枚の切符で乗ることができるので、同じように特急券1枚を改札に入れようとしたのですが、改札が通れなくてびっくりしました。日本だと特急券と乗車券の2枚必要なのだということをその時初めて知りました。

「日本事情」で訪れた印象に残っている場所はどこですか。

――最近では、琴平町のこんぴらさんに行ったことが印象に残っています。みんなで一緒に長い階段を一番上まで上って、疲れたけどとてもいい景色も見られてとてもよかったです。たくさんのお店もあって楽しかったです。私は、かき氷を食べました。

 

国際オフィスアシスタント(※1)の学生とはどんなことをしていますか?

――食事を一緒にとったり、香川県のあちこちに連れて行ってもらったり、勉強会などをしたりしています。一緒に活動をする中で、たくさん日本のことを教えてくれて楽しいです。

本学でチャレンジしていることや体験していることはありますか?

――キャンパス内のクリスマス・イルミネーションの準備に参加したり、吹奏楽部の体験をしたり、授業の他にもいろいろなことをやっています。イルミネーションの準備は、みんなで一緒に飾り付けをするのが楽しいです。イルミネーションの点灯式が待ち遠しいです。吹奏楽部では、台湾でトランペットをしていたので、他の楽器にもチャレンジしたいと思って、ホルンを吹きました。トランペットよりも少し難しかったですが、とても楽しかったです。

 

本学で学びたかったことは学べていますか?

――私は大河ドラマの影響で日本の歴史に興味があって、勉強したいと思っていました。橋本先生の「日本事情」では、色々な場所に行って、その土地の歴史などを学ぶことができます。自分の学びたかったことが学べていて、楽しいです。冬休みになったら、京都の清水寺に行きたいと思っています。

これからの将来にどう活かしていきたいですか?

――「日本語の音」などの授業を受けていて、日本語教員に興味を持ちました。中華大学での授業とは内容が全然違っていて、色々なことを学ぶことができています。難しいことも多いけど、とても面白いです。それに、日本語での会話は、やっぱり直接日本で学ぶ方が話せるようになると思うので、留学中にたくさん話せるように頑張りたいです。
日本での留学を終えたら、台湾で大学院に進学して、さらに日本語の勉強をしたいと思っています。


※1 国際オフィスアシスタントは、外国人留学生のキャンパスライフサポートや、海外留学・国際関係イベントなどの交流行事に携わります。

■留学プログラム

■国際文化・マネジメントメジャー

『海外での貴重な体験』(海外経験/留学)

社会学部 観光学メジャー 2020年度卒業 齋藤 彰仁 さん

香川県立三豊工業高等学校出身。
香川県農業協同組合内定。

大学で観光学メジャーを専攻し、台湾、マレーシア、フィリピン、シンガポール、海外4ヶ国を訪れた齋藤さんに、海外での貴重な体験を話していただきました。
齋藤さん(写真左から4人目)

※現在は新型コロナウイルスの影響により留学や海外研修を中止しています。

 

台湾を訪れたきっかけを教えてください。

――香川県主催の企画「もっと知りたい!台湾ローカル旅」へ応募し、選ばれたことがきっかけです。この企画は、チャイナエアラインの高松/台北線を利用して台湾へ行き、大学生モニターとして台湾の魅力を発信するものです。大学で観光学メジャーを専攻している友人4人で3泊4日の旅に出ました。帰国後は、地元情報誌である香川Komachi、NICETOWN香川に旅行記が掲載されました。幼い頃から、母の地元である鹿児島県へよく行っていたことから、旅行が好きでした。高校は工業高校でしたので、卒業後は就職する同級生がほとんどでしたが、僕は観光学を学びたかったので、四国学院大学へ進学しました。大学生活の中で、常にアンテナを張って、旅行や観光に関する情報収集をしています。

台湾ではどのようなことを体験しましたか?

――さまざまなことを体験したのですが、いちばん印象に残っているのは日月潭(にちげつたん)での観光です。日月潭は周囲が約33kmある台湾最大の湖で、自転車で湖を一周するコースに挑戦。自転車は湖の近くにあるレンタルショップで借ります。そこには、電気自動車や電気スクーターもあり、たくさんの種類の中から自分に合ったものを選ぶことができました。自転車は200元、500元、800元、1000元に分けられていて、2時間を過ぎるとどの自転車も1時間200元になっているようでした。台湾は右側通行で、慣れるまでに少し時間がかかりました。景色を楽しみながら回ろうと思っていたのですが、アップダウンのある道に体力を消耗してしまい、トレーニング並みにしんどかったです。途中で休んだり、寄り道をしたりして、3時間かけてなんとかゴールしました。1周した人には、写真を撮り、記念証を渡してくれます。また、台湾最強のパワースポットとして知られている阿里山(ありさん)に日の出を観にいきました。1日1往復、日の出を見るためだけに運行する電車があり、車内は観光客で満員でした。標高が高いので、早朝はかなり寒かったのですが、日の出が徐々に姿を現し、温かい光が差し込む光景に感動しました。そのあと、阿里山の森林をのんびり散策しました。
台湾の首都、台北では、夜市に行きました。夜市とは台湾各地で毎日開催されるナイトマーケットのことです。食事や買い物、露店でゲームをしたり、子どもから大人まで楽しめる場所です。物価が安いので、おなかいっぱい台湾グルメを楽しみました。日本との食文化の違いで驚いたのは、台湾にはみんなで一緒に乾杯するというルールがあまりないことです。何人か集まり始めたら、ビールや飲み物を飲み始め、自由に始まるのが一般的です。

海外での経験を通してどのようなことを学びましたか?

――大学4年間で台湾、マレーシア、フィリピン、シンガポールの4ヶ国へ行きました。特に、協定留学先のシリマン大学(フィリピン)で感じたことは、「積極的に関わることの大切さ」です。初めは、英語が全く通じず、消極的になっていましたが、バディ※がK-POPが好きだと聞き、それについて調べ、自分から話しかけるようにしました。自然とコミュニケーションもとれるようになり、片言ながら英語も通じるようになりました。僕の地元で有名なちょうさを紹介すると「Japanese festival!」と喜んでくれたことも嬉しかったです。フィリピンに行ってすぐのころは「自分の話す英語は正しいのか?伝わらなかったらどうしよう」と失敗を恐れてばかりでした。見当はずれの返事をしてしまった、相手の言っていることが分からない、など失敗はたくさんありましたが、すべてが勉強になりました。また、大学の授業で航空表の見方を勉強していたことが、とても役に立ちました。海外の航空表は日本のものとは全く違うので、事前に慣れておいて良かったです。
※バディ:日本人留学生が充実した留学生活を送るために学業や日常生活のサポートをする学生

将来の目標を教えてください。

――4月から香川県農業協同組合(JA香川)への就職が決まっています。JAは総合事業なので、さまざまな分野から地域貢献していきたいと思っています。観光学メジャーでの学びや海外での経験を活かし、地域の人たちの意見に耳を傾けられる人になりたいです。

後輩のみなさんへ

――英語ができないから留学はできないと考えている人も多いと思いますが、英語ができないからこそ留学するものだと思います。失敗して当たり前くらいの気持ちで、挑戦してほしいと思います。また、海外では、語学の習得と同時に、観光を楽しんだり、食文化に触れたり、そこでしかできない貴重な体験をたくさんしてほしいと思います。


海外研修プログラム

『人との出会い、コミュニケーションの大切さ』(海外研修)

社会学部 情報加工学メジャー 2018年度卒業 佐々木直人 さん
期間:2017年9月1日~9月23日
場所:フィリピン シリマン大学
活動内容:インテンシブ・イングリッシュ・プログラム

今回の研修に参加しようと思ったきっかけは何ですか。

――担当の中澤先生にお世話になっていて、誘われたことがきっかけです。元々英語が好きという訳ではなかったので、行く前はとても不安でした。そのため、研修前は英語の単語を書いて覚える、ということをしていました。

授業の中で印象的だったことは何ですか。

――コミュニケーションをとる授業が多かったです。日本の授業のように先生が一方的に話すだけではなくて、円になって一人ひとり発言するという形式でした。みんなが発言しないといけないので、嫌でも話さなければいけません。僕も頑張って英語で喋っていたんですけど、なかなか難しかったです。先生はフレンドリーで、すごく優しかったです。メインで担当してくれていたのは6人ぐらいで、僕が特に英語が苦手だったのでそのあたりも理解してくれていました。他の人に話している時は何を言っているか分からないのに、自分の時だけ簡単な英語で分かるように話してくれたり、それぞれの学生のレベルに合わせて接してくれました。

研修に参加して、大変だったことは何ですか。

――参加していたのは、英語に興味がある子や英語メジャー、観光学メジャー、学校教育メジャーの学生が多かったです。将来外国人の方と関わったり、教員として英語を学ぼうとしている人たちの中で、自分は英語に関係する職業に就こうと思っていなかったので、英語での会話はけっこう大変でした。最初の一週間は言いたいことを話せないし何を言っているのか分からなかったんですけど、二週間目からは耳が慣れてきたのか単語も聞き取れるようになって喋れないなりにもコミュニケーションが取れるようになりました。

今年度から始まったバディ制度はどうでしたか。

――自分が英語が苦手だということを中澤先生が理解してくれていたからか、教え方が上手いバディを僕につけてくれていました。伝え方や教え方が上手で、日本語も少し知っているバディだったので、僕が分からない時にすぐ日本語の単語で伝えてくれました。すごく分かりやすく教えてくれたので、バディがいてくれて本当によかったと思います。

授業以外の時間は、どんなことをして過ごしていましたか。

――平日の金曜日は日本と同じでご飯に行ったり、土日はイベントとか買い物に行ったりしていました。シリマン大学の学生は土日は来ないんですけど、僕のバディは土日も来てくれて、ほぼ毎日会っていました。フィリピンの日曜市やショッピングモール、海、プールなど色んなところを紹介してくれて、すごく楽しかったです。

寮生活はどうでしたか。

――他のみんなは仲良いグループとかで参加してたんですけど、僕は一人で参加していました。寮は、男子は二人部屋と四人部屋とに分かれていて、僕は四人部屋でした。僕の場合、教えてもらわないとやっていけないので、みんなに通訳みたいなことをしてもらったりして、学年関係なく全員と仲良くなれました。最初は知り合いがいなくて不安だったんですけど、みんなと仲良くなれて良かったです。

フィリピンでの生活はどうでしたか。


――生活では慣れない部分も多かったので、余計日本のありがたみが分かりました。水道水が飲めないとか、風呂がないとか、水関係で驚くことが多かったです。プールに行った時の水も、口には入れないように気をつけていました。食生活は、僕には合わなかったです。でも、バナナはとても美味しかったです。バナナはいつでも気にせず食べられるし、すごく安かったです。日本のバナナとは違って大きいですし、一房に十本ぐらい生っていて、フィリピンではバナナをめちゃくちゃ食べました。あと、チキンもすごく美味しかったです。飲食店では肉料理が多くて、野菜が少なかったです。

研修に参加して、自分の中で何か変化はありましたか。

――僕は、人生の中で海外に行くつもりは全くありませんでした。一回ぐらいハワイに行けたらいいかな、という思いはあったんですけど、興味がなかったんです。この研修のためにパスポートを作って初めて海外旅行に行ってみて、着いた瞬間全く景色が違っていました。景色が良いとか悪いとかではなくて、世界観も日本とは違うし、日本が平和すぎて自分が平和ボケしていたことも分かって、見たくないものも見たりしたんですけど、色んな人がいて楽しくて、本当に良い勉強になりました。自分でもうまくまとめられないんですけど、ものの価値観とか人生観が変わったと思います。

今回の経験を通して、自分が成長したと思うのはどんなところですか。


――やっぱり、コミュニケーション能力はすごく身についたと思います。僕は、フィリピンでジムに通っていました。治安の問題もあって、学校終わりに遠くに遊びに行ったり夜遊びができる訳でもなかったので、学校が終わって宿題するだけという高校生のような生活でした。僕はそれがすごく嫌で、慣れない場所だし、英語が話せないというストレスも最初はあったので、寮から徒歩1分くらいのフィットネスクラブに毎日通っていました。自分で月パスを買ってジムに通うようになって、最初はやっぱり外国人とは体つきが全然違うので日本人が来たという目で見られていたんですけど、一人だと集中できるし黙々とやっていると、だんだん慣れてきてコミュニケーションをとるようになりました。大学の側だし、日本人以外の学生も来ていたので、すぐにシリマン大学に来ている留学生だということが分かったのか話しかけてくれて、仲良くなりました。僕もめちゃくちゃ英語が喋れるという訳ではないので、軽くコミュニケーションをとりながらトレーニング方法を教えてもらって仲良くなりました。フィリピンの場合、ジムに行った時と帰る時にグータッチをしていたので、そういうスキンシップを通しても仲良くなりました。特に仲良くなったのはオーナーさんで、ジムに来ていた人で十人ぐらいとはコミュニケーションがとれたと思います。学校の授業よりも、ジムの方がすごく楽しかったです。それをバディの子も分かってくれていて、ジムの時間に合わせてくれていました。ジムに行っていたのは僕だけだと思います。ストレス発散にすごく良かったです。

新しい発見や学びはありましたか。

――テロの警戒レベルが向かい側の島が赤で、自分のところは黄色でした。日本では考えられないことがあるんだろうなと思っていたんですけど、自分がちゃんとしていれば大丈夫でしたし、良い人もいっぱいいたので、行ってみないと分からないなと思いました。

最初、海外旅行には興味がなかったということですが、行ってみて変わりましたか。

――他にどんなものがあるんだろう、と他の国にも行ってみたいと思うようになりました。大学生で定番なのは韓国とかグアムだと思うんですけど、せっかくなら変わったところに行ってみたいです。たとえば、バリとかカナダとか行ってみたいです。バリは友達が行ったことがあって良かったと聞いていますし、カナダには友達が留学しているので興味があります。

これからの将来にどう活かしていきたいですか。

――小さいことを考えずにもう少し大きいことで物事を考えたいと思うようになりました。他に参加していたみんなは英語をそのまま将来につなげることを考えていると思うんですけど、僕は社会学部の情報加工メジャーを専攻していて、将来は営業関係の仕事を考えています。僕は工業高校出身なんですけど、卒業生はほとんどが工場に就職します。でも、同じことを繰り返したり、じっとしているのは自分には向いてないなと思っていました。毎日変化があって、人と関われたり、違うことをしたかったので、大学で色んな情報を得て色んなことを知りたいと思い、情報加工学メジャーを専攻しました。それに、営業に必要な情報発信をするノウハウを田尾先生に教えてもらいたいと思ったのも理由です。営業で英語をメインで使うことはないと思うんですけど、もしそういう機会があったら活かしたいと思います。一番は、今回の研修で学んだ誰とでも仲良くなれるコミュニケーションを将来につなげたいです。あと、せっかく仲良くなったジムの仲間と英語で喋れなかったのが悔しかったので、もっと英語が喋りたいと思うようになりました。

海外での英語研修を考えている後輩へのアドバイスやメッセージなどあればお願いします。


――自分みたいなタイプはなかなかいないと思うんですけど、行こうと思えば誰でも行けます、ということは伝えたいです。英語に自信がない僕でも、なんとかコミュニケーションがとれて、友達もできて、行って良かったと思えました。日本のありがたみが分かったり、ものの価値観とか人との出会いとか、すごく良かったです。英語を学ぶために一緒に行ったメンバーと得たものは違うかもしれないんですけど、自分は人との出会いが大きかったです。僕でもなんとか行けたので、ちょっとでも興味があれば行けると思います!

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*シリマン大学(フィリピン)
シリマン大学は、本学の学術交流協定校です。シリマン大学があるドゥマゲテは、学生の街といわれるだけあって、賑やかで活気のある場所です。留学生は、日本だけではなく、世界各国から集まっています。
*インテンシブ・イングリッシュ・プログラム(フィリピン)
夏休みを利用したフィリピンでの短期語学研修のための授業で、本学の姉妹校であるシリマン大学などで英語を3週間集中的に学習する短期英語研修プログラム。全学年対象の授業科目として2016年度より実施しています。このプログラムは、フィリピンへの旅費・宿泊費および研修授業料については、大学からの全額補助がありました。

『英会話をすること』(海外研修)

文学部 英語メジャー 2019年度卒業 茨木 芹奈さん
期間:2017年9月1日~9月23日
場所:フィリピン シリマン大学
活動内容:インテンシブ・イングリッシュ・プログラム

参加しようと思ったきっかけは何ですか。

――高校生の頃、オーストラリアに1週間行ったことがありました。その時に自分の英語が全然伝わらなかったことがショックで心残りだったので、もう一度海外に行きたいと思っていました。フィリピンの研修があることを知って、去年行った先輩からも話を聞いて、行きやすいし、英語も喋れるなら挑戦してみたいと思い、参加しました。小さい頃から英語は好きで、小学校3年の頃から英語を習っていて得意教科でもあったので、英語力を伸ばしていきたいと感じていました。海外で英語を使ってみたいと思ったのが高校生の時に海外に行ったきっかけでした。でも、外国の人はネイティブのため、日本人の英語と違いとても速いので、聞きとれず心残りがありました。そういった経験もあり、今回はちゃんと英会話をすることと、自分の思いをしっかりと伝えたいということを目標に参加しました。

事前準備は何をしましたか。

――知らない単語が多かったので、単語をノートに書いたり、中学校英語の見直しをしたりして勉強しました。文化などについては、フィリピンに行った事のある日本人のブログを見たりして、何が必要かとか、その体験を読んでいました。そのおかげで、必要なものは準備できました。先輩からウェットティッシュは絶対要ると聞いていたので、持って行きました。友達はトランクの半分くらい入れて持って行ったんですけど、全部使い切っていました。食事の時やお手洗いの際など、細かく使用することが多かったです。寮には虫がけっこういたので、虫除けスプレーも持って行ってよかったです。

具体的にどんなことをしましたか。


――シリマン大学では、1時間の授業が3コマあって、その後に英語メジャーとその他のメジャーに分かれました。英語メジャーでは、中学校の授業体験をして、他のメジャーは高校の授業体験をしたり、日本の文化を教えたりしました。私は中学校の授業に出ていたんですけど、取り上げられている内容が「人生の問題」であったりしたので、全然知らない単語が出て分からないことが多かったです。それでも、優しく声をかけてくれました。内容は何となくは理解できていたんですけど、友達に質問されてもなんとなくしか答えられなかったのでちゃんとは伝えられなかったです。日本語にはない英語があるので、翻訳するのが大変でした。
授業は、「スピーキング」が多くて、発表する機会が多かったです。その中で、「10項目質問を考え、シリマン大学の人に誰でもいいからインタビューする」という課題がありました。10項目考えるのは大変だったんですけど、どうやって学校に来てるのかとか、どんな音楽が好きかとか、趣味など、その人のことをどれだけ知れるかという質問を考えました。単語が分からないものも、スペルを上手に教えてくれたりして本当に優しかったです。この課題がきっかけで、いろんな人と関わる事ができたので良かったです。今回から「バディ制度」が導入されたんですけど、バディ以外の人と話す良い機会になりました。最初はインタビューするのに慣れなくて、声をかける人を選んでいました。でも、一回いけたらすごく優しくしてくれたので、あとはスムーズに声をかけることができました。
最後の授業では、自分達で日本の文化について発表しました。たとえば、お箸の持ち方やアニメ文化、日本のおすすめのお店などを紹介しました。フィリピンには雪が降らないので、雪やスキーについて興味を持ってもらえました。発表の時、やっぱり自分の国のことをちゃんと知っていないと伝えられないので、もっと日本のことも勉強しないといけないなと感じました。

授業以外ではどんなことをして過ごしていましたか。

――放課後はバディに勉強を教えてもらったり、一緒にご飯を食べに行ったり、探検したりしました。授業の後にバディと過ごすのが一番楽しかったです。バディの子は年下なんですけど話しやすくて、放課後一時間の予定だったのに長く居てくれたり、すごく親切にしてもらいました。一対一の時もあったんですけど、だいたい友達連れで他のバディや同じ学生の子たちと一緒にいました。図書館で勉強してたんですけど、図書館に行くまでにその日のことを話したり、バディが用意してくれたテキストを使って言葉の練習をしたりしていました。
毎週金曜日の夜にフライデーズ・フライデーというお祭りがあって、そこにみんなで行って色んなものを食べたり、音楽を聴いたりとけっこう楽しみました。フィリピン料理のレチョンという豚の丸焼きが美味しかったんですけど、見た目が衝撃的でした。

日本とフィリピンの文化の違いをどんなところで感じましたか。

――ストリートチルドレンがいることです。日本にもホームレスはいますけど、通行人に擦り寄ってきたりはしないイメージがあります。でも、フィリピンでは子どもが多くて食べ物を食べていたら「ちょうだい」と声をかけてきます。変に優しくしたらもっと寄ってきてしまうし、かといって無視するのも心が痛くて、色々な葛藤がすごくありました。
また、フィリピンでは目が合ったりすると笑ってくれたり、ウインクしてくれたり、話しかけてくれることが多かったです。日本ではあまりないフレンドリーなところにすごく人の優しさを感じました。だからこそ、課題のインタビューの時も必死に話を理解しようとしてくれて、人柄がよかったです。

食文化にはすぐに慣れました。でも、お米の違いには慣れるのに時間がかかりました。フィリピンはタイ米といって、平べったくてさらさらしているお米なのでお箸ではなくスプーンかフォークで食べます。食べてみたかったのが、バロットというヒヨコの孵化する前の卵です。でも、見た時に衝撃的過ぎて食べられなかったです。日本にはない変わった食べ物だなと感じました。日本の料理は調理されていて原型が分からないものが多いと思うんですけど、フィリピンではレチョンやバロットのように豚や鳥などの食材がまるまる残ってたりするので、見た目が衝撃的なものが多かったです。これも文化の違いだなと感じました。

研修中、大変だったことは何ですか。


――フィリピンでは日本語が通じないので、全部英語ということに苦労しました。英語の勉強をしていても、言いたいことをすべて伝えきれなくて、最初の一週間は長く感じました。
でも、人にも環境にも慣れてきた二週間目からは早く感じるようになって、最後の日まで毎日楽しくてあっという間でした。英語に慣れてきた頃に日本に帰らなければいけなかったので、少し残念でした。三週間の研修で英語に触れて自信もついたので、日本に帰ってからも感覚を忘れないようになるべく英語に触れるようにしています。

研修に参加してよかったことは何ですか。

――友達が増えたことです。寮生活だったということもあり、一緒に行った四国学院大学の友達とも距離が縮まったし、シリマン大学でもバディを通して友達の輪が広がりました。フィリピンでできた友達とは、日本に帰ってからもSNSで連絡を取ったりしています。

今回の研修で、目標は達成できましたか。

――はい。今回は、書くことよりも話すことをメインに考えていました。フィリピンはクリアな発音だったので、すごく聞きやすい英語でした。この単語こういう使い方するんだとか、会話のフレーズもこうやって使えば柔らかくなるんだ、とより実践的に英語を学ぶことができました。けっこう崩しても伝わるものは伝わるんだな、と勉強になりました。なにより、英語が話しやすくなりました。最初は単語が分からなくて辞書で調べて話したりしていて大変だったんですけど、だんだんと日本語を考えるよりも先に英語でなんとなく話せるようになっていました。

今回の経験をこれからの将来にどう活かしていきたいですか。

――高校の時に行ってから英語を話すことに抵抗があったんですけど、今回の研修で喋れるようになってまた海外に行ってみたいと思うようになりました。今度観光で行く海外旅行の計画もスムーズに立てることができました。海外旅行に対する抵抗もなくなりましたし、将来仕事をする時も英語はどこでも使えるものなのでそういう面では有利になったかなと思います。日本で困っている外国人を見かけても助けられるようにもなりますし、2020年にはオリンピックもあって外国人観光客が増えると思うのでちょうど良かったかなと思います。

海外での英語研修を考えている後輩へのアドバイスやメッセージなどあればお願いします。


――まず、フィリピンは安いというのがあって、物価も安いのでお金を使わないから行きやすいです。それに、フィリピンは訛りがないので聞き取りやすく、英語が苦手な友達も最終日には英語で話していました。ちょっとでも興味があるなら、是非参加して欲しいです。
それに、英語だけじゃなくて、文化の違いについてもすごく勉強になるので、是非参加してください!


 

*シリマン大学(フィリピン)
シリマン大学は、本学の学術交流協定校です。シリマン大学があるドゥマゲテは、学生の街といわれるだけあって、賑やかで活気のある場所です。留学生は、日本だけではなく、世界各国から集まっています。
*インテンシブ・イングリッシュ・プログラム(フィリピン)
夏休みを利用したフィリピンでの短期語学研修のための授業で、本学の姉妹校であるシリマン大学などで英語を3週間集中的に学習する短期英語研修プログラム。全学年対象の授業科目として2016年度より実施しています。このプログラムは、フィリピンへの旅費・宿泊費および研修授業料については、大学からの全額補助がありました。

『Don’t be shy!』(海外留学)

文学部文学メジャー 2018年度卒業 森岡翔哉くん
期間:2016年8月14日~9月17日
場所:フィリピン
活動内容:フィリピン語学学校(セブ留学)

フィリピンの語学学校に行こうと思ったきっかけは何ですか。

――2年生になる前から、日本語教員をやってみないか、と先生に言われていて、海外でやるなら英語が必要だなと思っていました。母親が自営業で塾をしているんですけど、そこでセブ留学の紹介をしてくれた人がいました。海外で働くという視野もあったので、ちょうどいい機会だと思って、行くことを決めました。

フィリピン語学学校ではどんなことをしましたか。

――韓国人が多い学校でした。でも、韓国人は学生もいるんですけど子どもが多くて、日本人は大人が多かったです。日本人は16人くらいいたんですけど、せっかく海外に行ったんだからと僕は日本人との関わりはできるだけ避けて、先生とよく話をしていました。
留学のコースは、ジェネラルとビジネスがあって、僕はジェネラル(一般)のコースでした。50分授業で10分休憩があって、1日5時間ありました。午前と午後で1時間ずつの休憩があって、ランチブレイクとディナーがあります。ディナーの後には自由参加のフリークラスがあって、仲のいい先生がフリークラスをやっていたので、僕はほとんど参加していました。
授業は、先生との1対1が基本でした。着いてすぐにテストがあって、レベルに応じてテキストが変わったり、先生が変わったりします。朝1番の授業はグループワークで、そこでは色んなレベルの人が5人くらい集まって発音の練習をしていました。グループワークでは、先生が一人ずつあてて「r」の発音の入った単語を言ったり、似ている単語を言ってどちらを言ったかを当てたり、聞き取りの練習などを細かくしていました。発音さえできれば、伝わる英語になります。僕自身使える英語を身につけたかったので、しつこいぐらいに丁寧に教えてくれたのは有難かったです。その後のライティングやリーディング、スピーキングは個人で、先生はどんどん変わっていく、という感じでした。先生は20~30人くらいいて、どんどんローテーションしていくので、授業に飽きることはなかったです。英語の歌を覚えて歌での交流で人の輪が広がって、パーティーも多かったので楽しかったです。学校設立4周年のパーティーや月1で先生や学生みんなで集まって英語を使ったゲームをしたり、本当に楽しくて毎日がお祭りのようでした。

自分自身で、英語の上達は感じられましたか。

――2週間ぐらい経って、感じるようになりました。それまではほとんど分かっていなかったので、とりあえずニコニコ笑っていました。それでも、だんだん慣れてくると、自分の主張を言えるようになりました。事前に英語の勉強もしていなかったので本当にゼロからのスタートだったんですけど、日本人と接触しなかったのがよかったんだと思います。先生にも、「せっかく海外に来たんだから、フィリピンの人とか物に触れた方が自分のためになるよ」と言われました。

フィリピンでは、どんなことをして過ごしていましたか。


――ほとんどフィリピンの先生たちと行動していたんですけど、知識的にも人柄的にもすごくいい先生たちで、全部受け入れてくれました。ボホール島やオスロブに行って、ジンベイザメと泳いだり、世界一小さい猿を見に行ったり、ツアーパックみたいなのにも参加しました。最終週は4連休あったので、仲のよかった先生の故郷ドゥマゲティに行きました。フィリピン人7人くらいと僕とで4日間行動していて、めっちゃ楽しかったです。先生たちから誘ったら先生たちが全部お金を払う、というルールがあったんですけど、フィリピンの月収は日本円にしたら6000円くらいなので、僕らが先生たちを誘って、普段行けないようなところに連れて行ってもらってお金も払うようにしていました。物価が安いのでそんなにお金もかからないし、先生たちも楽しそうだし、先生たちとずっと一緒にいるから僕は英語が教えてもらえます。使える英語が身についたのは先生たちのおかげだと思います。

フィリピンで生活してみて、文化の違いなどはどういうところで感じましたか。

――海外旅行は初めてではなかったんですけど、整備されていないところで何週間も滞在するというのは今回が初めてでした。寮は1人部屋と2人部屋があって、僕は共同生活が苦手なので1人部屋にしていました。でも、終わってみると2人部屋でもよかったかなと思います。部屋の下が少し空いていたので、小さいトカゲが入ってきたりして、トカゲと5週間生活していました。大きなトカゲかヤモリかに噛まれた先生がいて、写真を見せてもらったんですけど、これが部屋にいたらやばいなと思いました。でも、日本では絶対に見ることができないものを見ることができました。
フィリピンでは、ベアハンドという手で食べる文化があります。手で食べることも、やってみると早くて楽でした。スクールにある食堂は味付けを日本人向けにしていたり、韓国人にはコチュジャンを用意してくれていました。生粋のフィリピンの家庭料理もおいしかったです。でも、バロットという孵化して14日の卵を食べる、という文化には驚きました。卵をパカっと割ったら、黄身とヒナがいるんです。僕はじゃんけんで負けてバロットを食べることになったんですけど、ヒナをのけて食べてみると、濃厚な黄身で美味しかったです。さすがにヒナは食べれなくて、羽が生えたヒナをカルシウムがあるからと食べる人がいることに驚いていたら、僕らが魚の刺身を生で食べていた文化と同じだよと言われて、なるほどなと思いました。そういうフィリピンの文化を知ったし、自分たちの魚を生で食べる文化は向こうにとってバロットを食べることと同じなんだと知って、受け入れることができました。
また、ジプニーやモーターバイク、トライスクルなどフィリピンの乗り物には全部乗りました。ジプニーは、向かい合って座るバスのようなもので、窓がなくてどんどん人が乗り込んできます。ジプニーの入り口の外側につかまっているだけなら、無料で乗れたりします。トライスクルはモーターバイクの下に板がついていて、3人くらい乗れる乗り物です。けっこう楽しくて、フィリピンの乗り物はすごく活用していました。一番多かったのはタクシーで、メーターの詐欺はされないように気をつけて乗っていました。とてもいい経験になったと思います。

今回の経験で、新しい発見や驚きはありましたか。


――フィリピン人の人はめっちゃ元気でした。フィリピンタイムみたいなので、朝9時に出ようと言っていても、実際には12時だったりして、スローな感じでした。時間厳守な日本人では絶対に考えられないことだなと驚きました。フィリピン人のみんなは焦っていないので、そういうところも彼らから学びました。僕はきっちりしている方だったので、一緒に生活していくうちに心にゆとりを持てて、時間感覚が良い意味でルーズになりました。
お金に関しては、少し大変でした。フィリピンでの1000ペソは1ヵ月生活する3分の1なので、小銭を持っていないんです。例えば、大きいお金で50ペソの物を買う、というのは向こうでは考えられません。100ペソでようやく50ペソの物を買います。大きいお金を出しても、小銭がないからおつりを返せないからです。だから、最初の一週間は小銭集めに苦労しました。国に帰る人はどちらかといえば大きいお金を持っていた方がいいので、その時に色んな人に両替してもらったりして、小銭ケースがパンパンになるくらい集めました。お金は日本円の2分の1だったので、計算はしやすかったです。本当に物価が安くて、マンゴーが1個40円だったり、アカシヤの木のプレートが1000円ぐらいで買えたので、帰りはキャリーがいっぱいになるぐらいお土産を買いました。
フィリピンでは、水道水はお腹を壊すから飲めないので、どの家庭にもウォーターサーバーがあるのには驚きました。大きいウォーターサーバーが1つ20円ぐらいでした。需要があるから供給も増えて、価格も下がる、という均衡が取れていて、いつも綺麗な水が飲める状態になっていました。水が汚いというのは分かってはいたんですけど、それをペットボトルの水ではなくウォーターサーバーの水で対応していたことに驚きました。

行く前の想像との違いやギャップはありましたか。

――思っていたより、怖くなかったです。マニラという首都は本当にやばいところみたいで、空港会社がキャリーの中に銃弾を入れて旅行客を脅してお金を盗る、ということが昔あったことを聞きました。だから怖いところというイメージがあったんですけど、セブとかは観光地なので比較的に安全なところで、穏やかでした。夜に、僕一人で交渉して、50ペソのところを20ペソに値切ってモーターバイクに乗ったことがあります。滞在しているうちに、現地の人相手に交渉できるだけのコミュニケーション力が身についていました。とりあえず、何でも恐れずにやるようになって、すごく度胸がついたな、と思います。

今回の留学で学んだことは何ですか。


――フィリピン人は、人へのリスペクトがすごかったです。日本人はどちらかと言えば冷たくて、自分さえ良ければいいという部分があるかなと思うんですけど、フィリピン人は良い意味ではフレンドリーで悪い意味ではズカズカ入り込んでくるって感じでした。でも、英語が話せなくて躊躇する不安があるので、ズカズカ入ってきてくれた方が自然と打ち解けられます。そのうち、授業でもライティングもリーディングもしたくない、と教科書を閉じてスピーキングだけの時間を作ってもらって、フィリピンの話を全部英語で話すということもしていました。
フィリピンで英語を学んだことで、大学にいるフィリピンの留学生とより交流するようになりました。僕が英語で話して向こうが日本語で話す、ということをしています。分からないことは向こうが教えてくれるし、留学生のチューターもしているので、すごくいい感じです。僕は日本語を教えるし、向こうは英語を教えてくれるし、とても役立っています。2月に韓国からの留学生が来ていたんですけど、ほとんど日本語を喋れない学生がいて、僕が英語を喋れたのでコミュニケーションをとることができました。そのおかげか、後半は日本語で積極的に話しかけてくれるようになりました。きっかけ作りとしても英語が使えたので、英語をやっていてよかったなと思いました。
フィリピンの先生とは今もテレビ電話などで交流していて、大学のカリキュラムのインテンシブ・イングリッシュ・プログラムに参加する時に会えたら会いたいと思っています。今後も、積極的に海外には行きたいと思っています。

次に参加する本学のインテンシブ・プログラムに向けて、どんな思いがありますか。

――勉強したいというのももちろんあるんですけど、今回の5週間の留学でフィリピンのことがすごく好きになったので、個人でフィリピンに行こうと思っていました。でも、大学のプログラムなら実質10万円くらいで行けるので、参加したいと思いました。日本語を喋ったら罰金、というみんなが作ったルールがあるらしくて、それもいいなと思いました。担当教員の中澤先生とも話したことがあって、今回のプログラムに誘っていただいた、という先生とのつながりもあります。
今は、毎週インテンシブの授業があって、自分で調べてきた英単語などの課題を提出しています。僕は一度フィリピンに行っているので、向こうの事情や習慣もなんとなく分かっています。行っていない学生は聞いた知識だけなので、僕は目で見たものを知っています。その点では有利というか、自分にとってプラスな作用をもたらしてくれているなと思います。

今回の経験を通して、自分の中で変化はありましたか。

――どちらかというと、僕は自分がよければいい、自分さえできればいい、と思っていました。でも、誰かのためにやってあげよう、ということをフィリピンの先生たちから学んだので、日本に帰ってきて自分もそうしようと思うようになりました。それに、僕はあんまり人と話さないんですけど、帰ってきてからは積極的に話すようになりました。以前はピア・リーダーをしていても、人と話はできるけど話していなかったり、人とあまり群れたりしていませんでした。でも最近は積極的に人の輪に入るようにしています。フィリピンに行って、すごく明るくなったと思います。この人はこういう人、というように何でも受け入れるようになって、すごく寛大になりました。今までシャットダウンしていたことも、繋げていくようにと変わりました。帰ってきてから、みんなから「変わったね」と言われるようになりました。受け入れてくれるから話せることもあるし、聞けることもあります。まずは受け入れるということがコミュニケーションの基本で、尊敬の気持ちを忘れないことが大事だということもフィリピンの先生が教えてくれました。思ったことは言うように、でも相手を尊敬する気持ちは忘れずに、相手を受け入れながら生活するようになりました。

これからの将来にどのように活かしていきたいですか。

――将来国語の先生になる、となると英語はどちらかというと必要ないかもしれません。でも、もうひとつの夢である日本語教員として海外で生活するなら、必要最低限あったらいい言語が英語です。それを今のうちから身につけておきたいです。大人になってからは時間がなくて語学は学べない、と先生も言っていました。学生のうちに何ができるのかを考えた時、将来のための糧、材料などを自分のかばんに詰め込んで持っていた方が安心もするし、夢に近づけるんじゃないかと思いました。土台を作ってから社会に出ていきたいです。英語が出来た方が仕事の幅も広がると思うので、今回の経験で英語を学べたことは本当によかったと思います。夏休みをバイトだけで過ごす学生もいると思うんですけど、働いてお金を稼ぐということは社会人になってもできることなので、僕は学生のうちにしかできないことをしていきたいと考えています。

留学に興味のある後輩へのアドバイスやメッセージがあればお願いします。


――僕が一番はじめにフィリピンの学校に着いて言われたことが「Don’t be shy!(恥じるな)」ということでした。「知らないことは恥ずかしいことじゃないし、聞けないことの方が恥ずかしい。分からないことがあればすぐに聞いて、やりたいことは全部言いなさい。もしミスをしても私たちは受け入れるし、理解するし、いつでも味方でいるからね。それが、外国人が外国人を受け入れるということだよ。だから、心配しないでね」という言葉に胸を打たれました。
外の世界を見なくても人は成長できるけど、見た方が心も身体もより成長できると思います。僕は、心の成長が大きかったです。
だから、常に「Don’t be shy!」で、恥ずかしがらずに何でもチャレンジしてみてください!


*セブ留学 Premium Resort Campus

『海外での交流を通して』(海外経験)

社会学部 観光学メジャー 2017年度卒業 長井恵里さん
活動内容:世界のろう者との交流
活動場所:カンボジア、ベトナムなど

海外旅行に行こうと思ったきっかけは何ですか。

──大学生になるまで、海外に行ってみたいとは全く思っていませんでした。それまでずっと地元から出たくなくて大学が香川というのも嫌でした。しかし、大学に入ってから友達も増えて、その友達がいろんなところへ行っているのを見て、自分も行ってみようかなと思いました。それで気づいたら11ヶ国も行っていました。
 初めて行ったのは大学1年生の時のグアムです。観光だったので友達と一緒にデパートでショッピングをしたり、パラセーリングをしたりして、とても楽しかったです。
 耳が聞こえないので、コミュニケーション面で不安がありましたが、身振り手振りで聞こえる人よりも意思疎通ができると感じました。

世界のろう者と交流するようになったのはいつ頃からですか。

──初めて世界のろう者と交流したのは大学2年生の時に訪れたカンボジアで、ろう学校を見学し寄付もしました。その次は大学3年生の時に訪れたベトナムで、ろう学校やろう協会、青年部を見学しました。

カンボジアでの交流はどうでしたか。

──私が今、大学に行けているのは本当に恵まれていることだと考えさせられました。カンボジアにもろう学校がありますが、行けない子どもが多いのが現状です。私が訪れた時は100人ぐらいの子どもたちがいましたが、同年代の子が小学6年生ということに驚きました。

ベトナムのろう学校ではどんなことをしましたか。

──日本の大学について、大学でどういう過ごし方をしているかなどを講演しました。私はノートテイクを受けていることや食堂で友達と食べていることを写真も見せながら話しました。ベトナムの場合は、大学に進学する人は少なく、就職もできない人が多いです。運転免許の取得も認められていないので、「どうして日本は進学や就職ができるの?」と難しい質問もありました。ろう者が周りから認めてもらえない現状の中で講演するのはとても緊張しましたね。

ベトナムでの交流はどうでしたか。


──ベトナムではハノイろう学校で講演、ダナンろう学校の見学、ホーチミンろう協会の見学をしました。ベトナムに行ったことがある友達と一緒に行っていたので、その友達や現地の人からベトナム手話を教えてもらいながら覚えました。ベトナム手話は日本手話と全く異なるので、初めは戸惑いましたが「アメリカ手話をベトナム手話でいうと何?」と知っているアメリカ手話からベトナム手話に変換しながら覚えました。ベトナムでも少し前まではアメリカ手話が主流だったそうですが、今はベトナム手話を普及させようという動きになっているようです。
 ベトナムでの交流でできた友達とは、たまにテレビ電話で連絡を取っています。
また9月に所属している全日本ろう学生懇談会の海外研修プロジェクトの一環で行く予定です。ろう学校で教鞭をとる経験ができるので楽しみです。

新しい発見はありましたか。

──ベトナムではみんなが積極的に挙手して発言していて、リーダーも一人ひとりから意見を導いたりまとめたりするのがとても上手くて感動しました。日本人は大人しい、あまり意見を言わないといいますが、その通りでとても痛感しました。
リーダーの在り方について考えさせられ、色々と新しい発見があった有意義な時間でした。

11ヶ国の旅行の中で印象に残っているのはどこですか。


──今までアジアに行くことが多かったのですが、イタリアで初めてヨーロッパの地を踏んだ時はすごかったです。
多人種が共生していて、のんびりとゆったりとした時間が流れていました。
5日間で7都市を周遊し、お金や時間が限られている中で1日に1都市でしたが、それでも十分に楽しめました。観光学で学んだ世界遺産を実際に見られてとても嬉しかったですね。

海外に行って、自分の中で何か変化はありましたか。

──コミュニケーション能力が上がったと思います。それに今まで地元から出たくないと思っていたのに、世界中を旅したいと刺激を求めるようになりました。また、旅のプランを考えて航空券やホテルを個人で手配してきたので計画力も身に付きました。

日本でのろう者との交流を教えてください。

──全日本ろう学生懇談会というろう学生からなる団体に入っており、そこで全国のろう学生と交流しています。同世代の人たちとリアルタイムで議論ができる場です。
海外旅行の経験もありますが、この団体に入ってから意見を述べられるようになりました。このことから大学に進学してよかったなと幾度も思います。
 また、地元の青年部の部長をやっています。今年度から新体制で発足して、仲間づくり・学習づくり・要求づくり、の三本柱に沿った活動をしています。私たちの生活が不自由なく恵まれているのは、ろうあ運動をしてくれた先人たちのおかげであることを多くの人に知ってもらうために、これからも活動していきたいです。

将来にどう活かしていきたいですか。

──大学に入ってから「思い立ったら行動に移す」をモットーにしているのですが、これまでの決断に後悔はありません。むしろ、すべて自分のためになっているのでよかったなと。社会人になったら、経験を振り返り、慎重に行動に移していけたらと思います。
 また、『課題解決』をビジョンにしている企業で、ろう者の業務範囲拡大などろう者がもっと暮らしやすい環境づくりに貢献していきたいです。

海外での活動や交流に興味がある後輩へアドバイスやメッセージがあればお願いします。


──やはり、思い立ったらすぐに行動に移した方がいいと思います。思い立った時点で、自分に必要なことだと思うので、迷っている暇はないと。地元を出る前はあらゆることを親や先生に任せていて、大学を選んだのも先生でした。今思えば、自分に関わることは全部自分で決断した方がいいと思いますね。自分が「これだ!」と決断したことはそれなりに続きますよ。

『成長を求めて』(海外ボランティア)

文学部 文学メジャー 2017年度卒業 本久夕生くん
活動内容:フィリピン語学学校、学校建設のボランティア
場所:フィリピン、カンボジア

フィリピンの語学学校へ行こうと決めたきっかけは何ですか。

――僕はピア・リーダーをしていて、今はピア・リーダーの委員長をしています。2年前に清水先生のクラスターについていた時に、清水先生に「外国事情でフィリピンに行かないか?」と何度も言われていたんですけど、当時は全然興味がなかったので、ずっと断っていました。でも、自分のクラスターに車椅子の学生がいて、その子が行くから来てくれないかと言われて行ったのが始まりでした。フィリピンに行って、正直すごく異文化の中で知らないことばかりで刺激をたくさん受けました。でも英語を話せないという悔しさもあって、また行きたいなと思うようになりました。自分の性格上、また行きたいと思っても日が経つと行かなくなってしまうので早めに予約しようと思って、その後すぐにスピードラーニングを始めました。去年、金関課長にセブでも有名なQQEnglishという学校があることを聞いて、自分で新しい友達も作りたいし行こうと思ったのがきっかけです。そこから東南アジアが好きになって、今年の春もカンボジアに行ってきました。

初めて行った「外国事情(フィリピン)」では、どんな刺激がありましたか。

――初めての海外だったので、英語を話す生活をしているというのもそうですし、食べ物も全然違っていたり、ストリートチルドレンがいたり、日本では蛇口をひねると簡単にお湯が出てきたのにフィリピンでは出てこなかったり、すべてが僕にとっての当たり前が当たり前ではなかったということに衝撃を受けました。それで、もっと知りたいと思うようになりました。日本にいることも有り難いけど他の国を知ることも必要だなと思って、かなり視野が広がりました。8日間くらいの滞在だったので、あっという間に過ぎていました。それで、日本に帰ってきてすぐに英語の勉強を始めました。

フィリピンへ語学留学に行ってみてどうでしたか。


――僕が行ったのは、QQEnglishセブ島留学です。規模が大きくて、学校はセブのITフロント校と海沿いにあるシーフロント校の二つに分かれていました。セブでは有名で、最初にできた語学学校だと思います。8月末から9月末までの夏休みの期間を利用して、1ヶ月間行きました。友達もたくさんできました。四国から行っていた人が少なくて、みんな関西や関東の頭のいいところばっかりで、最初は入りずらかったんですけど、気がついたらみんな仲良くなっていました。学校には寮があって、僕は台湾人2人とブラジル人と一緒でした。一人部屋もあったんですけど、これも勉強だなと思って一緒に生活をしていました。留学していたのは日本人が一番多くて、その次に台湾人だったんですけど、ルームメイトに台湾人がいたということもあって、台湾人の男性はすごく優しいなと感じました。
すごく有意義な1ヶ月だったと思います。

具体的に授業はどんな内容でしたか。

――1コマ50分の6時間が僕の授業スケジュールでした。授業では、ひたすらコミュニケーションをとります。発音や文法、会話、リーディングやリスニングなどいろんなスキルをやったので、身になったなと思います。でも、力がつき始めた頃に期間が終わったので、もう少し居たかったなと思います。
先生とも仲良くなって、ラインやフェイスブックでもいろんな先生と今でも交流を持っています。フィリピン人はすごく優しくて、卒業した後でも連絡をとってくれます。

フィリピンへの語学留学で学んだことは何ですか。

――前回の授業では8日間で、今回の留学では1ヶ月間行ってみて、前回は先生もいるし集団行動だったので、正直英語をしゃべらなくても大丈夫でした。でも今回は留学で英語を勉強しに行くという環境におかれていたので、やっぱり自分も英語を話さなければいけない、というところで全然違っていました。英語を話さないと生活できなかったので、無理矢理自分を頑張らせたという部分では、日本ではできない経験でした。1ヶ月間英語を話す生活、他の国での生活というのはなかなか他の学生もできないことだと思うので、そういう部分では刺激になりました。週末は土日が休みだったんですけど、いろんなアクティビティに参加して、ジンベイザメと一緒に泳いだり、ワニを触ったり、観光地に行ったり、ご飯を食べたり、日本ではできないような活動をたくさんできたのですごく楽しかったです。

実際にフィリピンへ語学留学に行ってみて、自分の中に何か変化はありましたか。

――日本に帰ってきてから、もっと人に優しく接しようと思いました。感謝の気持ちもそうですけど、当たり前のことではないということもさらに思ったので、気持ちの部分で大きく変化がありました。なぜか分からないんですけど、気持ちに余裕がでてきました。フィリピンで生活していて、向こうの人は時間に縛られていなくて、日本で時間がない、忙しいと思っているのが馬鹿らしくなりました。時間は作るものだ、と思うようになりました。

カンボジアでボランティアをしようと思ったきっかけは何ですか。

――僕は毎年目標を立てるんですけど、その中に「3カ国以上旅をする」と書いていて、教育実習があったり就職活動があったりするので時期的に夏は厳しかったので、3月ぐらいにどこか行きたいなと思っていました。ボランティアをすごくしたいなという思いもあったので、海外でボランティアをしようと思い、ネットで調べて時期的にもよかったのがカンボジアのスタディツアーでした。世界遺産を知りながら、学校に行きたくても行けない子どもたちのために学校建設をしたり、遊具を作ったり、健康診断の手伝いをしたり、というツアーがあるということを知って、これに行こうと決めました。

具体的にボランティアではどんなことをしましたか。


――インターンとスタディツアーで分かれていて、僕たちの時の1週間が21人で、春だけで123人いました。最初はみんな知らない人ばかりなので、自己紹介をしたり、現地の歴史を学びました。僕も行ってから知ったんですけど、つい最近まで虐殺が行われていたそうです。そういう文化を勉強して、国を知ってから中身を知っていかなければいけないということで、実際に虐殺の場所とかに行ったり、アンコールワットとか色々な建物を見て、歴史を勉強したあとで子どもたちと関わって遊んだりしました。学校建設ということだったんですけど、行った時には学校はもう建っていたので、遊具を作ることが仕事になりました。穴を掘ってタイヤを埋めて、タイヤを渡ったりして遊べる遊具を作りました。次の学校に行った時には、運動会をしたことがないので、子どもたちのために運動会をしました。子どもたちは50人ぐらいで、チームは4つぐらいに分かれて学生がついていました。種目は風船リレーとしっぽとりと綱引きだったので、すぐ終わっちゃったんですけど楽しかったです。
子どもたちはまだ英語を話せないので、挨拶とかいくつか現地の言葉を勉強したのでコミュニケーションはとれました。そこで思ったのは、一番笑顔が大切だということです。

カンボジアでのボランティアで印象に残っていることは何ですか。


――「やるかかやらないかは、死ぬか死なないか」という言葉がすごく心に響きました。死なないならやったらいい、という女の人がいて、その人は大学卒業後に就職して何か違うなと感じて仕事を辞めてカンボジアに行った人なんですけど、その言葉を聞いて、たしかに死なないならやった方がいいかと僕も思いました。

●ボランティア活動をしていてよかったと思うことはなんですか。
――フィリピンでは子どもと関わることはほとんどなくて、大人と関わることが多かったです。行きたかった理由としては、ボランティアをしたいということもあったんですけど、教員免許のコースを取っていて、教育にはずっと興味があって、日本以外の教育現場を見たいというのもありました。実際に見てみて、カンボジアがまだまだできていないことも知れたし、自分がどういった形で支援したらいいかということも分かったし、将来のビジョンが見えてきたかなと思います。将来につながるような一週間だったなと思います。

東南アジアの魅力は何ですか。

――僕が東南アジアにはまっているのは、たぶん発展途上国が多くて、すごくいきいきしているからだと思います。日本だと店員さんとかも愛想が悪かったりするんですけど、向こうは本当に必死に物を売っていたし、どんな時でも笑顔だし、フィリピンの先生も朝5時から夕方まで疲れた顔を見せないので、そういうところが本当に素敵だなと思いました。発展途上国だからとは言い切れないと思うんですけど、もっと他の東南アジアの国を知りたいなと思いました。

海外での活動を通して、自分が成長したなと思うところはありますか。


――やっぱり視野が広がったのが一番だと思うんですけど、人の気持ちを考えて行動できるようになったかなと思います。
全部今まで自分が主体で、自分が自分がという感じがあったんですけど、常に言葉の発言とかもそうなんですけど先に相手の気持ちを考えて行動できるようになってきたかなと最近すごく思います。
学校生活にも、ピアリーダーとしても、活かせていると思います。やっぱり1年生は入学して間もなくて不安だと思うんですけど、自分たちの目線だと分からないこともあったりするんですけど、1年生の目線になって言葉をかけたり行動したりというのは、今年の1年生に対してできたかなと思います。僕を見かけたら声をかけてくれたり、連絡をくれたりして、かわいいです。

今後、何か挑戦したいことはありますか。

――まず、近くのことでいうと夏に東南アジアの他の国に行ってみたいと思います。自分自身が常に成長を求めていて、そこで終わりたくないと思うところがあって、自分が経験したことのない、普段経験できないようなことを経験したら刺激をたくさんもらって成長できるかなと思うので、どんなことでもチャンスがあればやりたいです。

今回の経験をこれからの将来にどう活かしていきたいですか。

――将来は起業したいなと思っています。やりたいことはNPO法人のようなもので、自分も日本とカンボジアなどを行き来しながら学校を建てたりとか図書館を建てたりという活動をしたいです。向こうの子どもたちは、可能性はいっぱいあるのに勉強ができないから結局やることが限られてきてしまいます。勉強したらどうにかなるのに勉強する場所がないから、そこでとどまってしまうというのは見ていて思ったので、勉強できるようなことを支援してあげたいです。もし起業しなくても、仕事をしながら長期休みをとって自分が支援していきたいなと思いました。

語学学校や海外でのボランティアに興味がある後輩へのアドバイスがあればお願いします。


――今しかできないことはたくさんあると思います。就職してからできることはあると思いますけど、こんなに時間があって自分のしたいことをできるのは今しかないと思います。きっかけができないから見つけられないこともあると思うんですけど、積極的にどんなことでも貪欲にやって欲しいかなと思います。そうすれば自然と結果とか自信はついてくると思うので、それがついてくるとまたやりたいなというサイクルになって成長できて将来に活かされるんじゃないかと思います。
とりあえず、どんなことでも「やるかやらないかは、死ぬか死なないか」です。