学生活動

『Don’t be shy!』

文学部文学メジャー 2018年度卒業 森岡翔哉くん
期間:2016年8月14日~9月17日
場所:フィリピン
活動内容:フィリピン語学学校(セブ留学)

フィリピンの語学学校に行こうと思ったきっかけは何ですか。

――2年生になる前から、日本語教員をやってみないか、と先生に言われていて、海外でやるなら英語が必要だなと思っていました。母親が自営業で塾をしているんですけど、そこでセブ留学の紹介をしてくれた人がいました。海外で働くという視野もあったので、ちょうどいい機会だと思って、行くことを決めました。

フィリピン語学学校ではどんなことをしましたか。

――韓国人が多い学校でした。でも、韓国人は学生もいるんですけど子どもが多くて、日本人は大人が多かったです。日本人は16人くらいいたんですけど、せっかく海外に行ったんだからと僕は日本人との関わりはできるだけ避けて、先生とよく話をしていました。
留学のコースは、ジェネラルとビジネスがあって、僕はジェネラル(一般)のコースでした。50分授業で10分休憩があって、1日5時間ありました。午前と午後で1時間ずつの休憩があって、ランチブレイクとディナーがあります。ディナーの後には自由参加のフリークラスがあって、仲のいい先生がフリークラスをやっていたので、僕はほとんど参加していました。
授業は、先生との1対1が基本でした。着いてすぐにテストがあって、レベルに応じてテキストが変わったり、先生が変わったりします。朝1番の授業はグループワークで、そこでは色んなレベルの人が5人くらい集まって発音の練習をしていました。グループワークでは、先生が一人ずつあてて「r」の発音の入った単語を言ったり、似ている単語を言ってどちらを言ったかを当てたり、聞き取りの練習などを細かくしていました。発音さえできれば、伝わる英語になります。僕自身使える英語を身につけたかったので、しつこいぐらいに丁寧に教えてくれたのは有難かったです。その後のライティングやリーディング、スピーキングは個人で、先生はどんどん変わっていく、という感じでした。先生は20~30人くらいいて、どんどんローテーションしていくので、授業に飽きることはなかったです。英語の歌を覚えて歌での交流で人の輪が広がって、パーティーも多かったので楽しかったです。学校設立4周年のパーティーや月1で先生や学生みんなで集まって英語を使ったゲームをしたり、本当に楽しくて毎日がお祭りのようでした。

自分自身で、英語の上達は感じられましたか。

――2週間ぐらい経って、感じるようになりました。それまではほとんど分かっていなかったので、とりあえずニコニコ笑っていました。それでも、だんだん慣れてくると、自分の主張を言えるようになりました。事前に英語の勉強もしていなかったので本当にゼロからのスタートだったんですけど、日本人と接触しなかったのがよかったんだと思います。先生にも、「せっかく海外に来たんだから、フィリピンの人とか物に触れた方が自分のためになるよ」と言われました。

フィリピンでは、どんなことをして過ごしていましたか。


――ほとんどフィリピンの先生たちと行動していたんですけど、知識的にも人柄的にもすごくいい先生たちで、全部受け入れてくれました。ボホール島やオスロブに行って、ジンベイザメと泳いだり、世界一小さい猿を見に行ったり、ツアーパックみたいなのにも参加しました。最終週は4連休あったので、仲のよかった先生の故郷ドゥマゲティに行きました。フィリピン人7人くらいと僕とで4日間行動していて、めっちゃ楽しかったです。先生たちから誘ったら先生たちが全部お金を払う、というルールがあったんですけど、フィリピンの月収は日本円にしたら6000円くらいなので、僕らが先生たちを誘って、普段行けないようなところに連れて行ってもらってお金も払うようにしていました。物価が安いのでそんなにお金もかからないし、先生たちも楽しそうだし、先生たちとずっと一緒にいるから僕は英語が教えてもらえます。使える英語が身についたのは先生たちのおかげだと思います。

フィリピンで生活してみて、文化の違いなどはどういうところで感じましたか。

――海外旅行は初めてではなかったんですけど、整備されていないところで何週間も滞在するというのは今回が初めてでした。寮は1人部屋と2人部屋があって、僕は共同生活が苦手なので1人部屋にしていました。でも、終わってみると2人部屋でもよかったかなと思います。部屋の下が少し空いていたので、小さいトカゲが入ってきたりして、トカゲと5週間生活していました。大きなトカゲかヤモリかに噛まれた先生がいて、写真を見せてもらったんですけど、これが部屋にいたらやばいなと思いました。でも、日本では絶対に見ることができないものを見ることができました。
フィリピンでは、ベアハンドという手で食べる文化があります。手で食べることも、やってみると早くて楽でした。スクールにある食堂は味付けを日本人向けにしていたり、韓国人にはコチュジャンを用意してくれていました。生粋のフィリピンの家庭料理もおいしかったです。でも、バロットという孵化して14日の卵を食べる、という文化には驚きました。卵をパカっと割ったら、黄身とヒナがいるんです。僕はじゃんけんで負けてバロットを食べることになったんですけど、ヒナをのけて食べてみると、濃厚な黄身で美味しかったです。さすがにヒナは食べれなくて、羽が生えたヒナをカルシウムがあるからと食べる人がいることに驚いていたら、僕らが魚の刺身を生で食べていた文化と同じだよと言われて、なるほどなと思いました。そういうフィリピンの文化を知ったし、自分たちの魚を生で食べる文化は向こうにとってバロットを食べることと同じなんだと知って、受け入れることができました。
また、ジプニーやモーターバイク、トライスクルなどフィリピンの乗り物には全部乗りました。ジプニーは、向かい合って座るバスのようなもので、窓がなくてどんどん人が乗り込んできます。ジプニーの入り口の外側につかまっているだけなら、無料で乗れたりします。トライスクルはモーターバイクの下に板がついていて、3人くらい乗れる乗り物です。けっこう楽しくて、フィリピンの乗り物はすごく活用していました。一番多かったのはタクシーで、メーターの詐欺はされないように気をつけて乗っていました。とてもいい経験になったと思います。

今回の経験で、新しい発見や驚きはありましたか。


――フィリピン人の人はめっちゃ元気でした。フィリピンタイムみたいなので、朝9時に出ようと言っていても、実際には12時だったりして、スローな感じでした。時間厳守な日本人では絶対に考えられないことだなと驚きました。フィリピン人のみんなは焦っていないので、そういうところも彼らから学びました。僕はきっちりしている方だったので、一緒に生活していくうちに心にゆとりを持てて、時間感覚が良い意味でルーズになりました。
お金に関しては、少し大変でした。フィリピンでの1000ペソは1ヵ月生活する3分の1なので、小銭を持っていないんです。例えば、大きいお金で50ペソの物を買う、というのは向こうでは考えられません。100ペソでようやく50ペソの物を買います。大きいお金を出しても、小銭がないからおつりを返せないからです。だから、最初の一週間は小銭集めに苦労しました。国に帰る人はどちらかといえば大きいお金を持っていた方がいいので、その時に色んな人に両替してもらったりして、小銭ケースがパンパンになるくらい集めました。お金は日本円の2分の1だったので、計算はしやすかったです。本当に物価が安くて、マンゴーが1個40円だったり、アカシヤの木のプレートが1000円ぐらいで買えたので、帰りはキャリーがいっぱいになるぐらいお土産を買いました。
フィリピンでは、水道水はお腹を壊すから飲めないので、どの家庭にもウォーターサーバーがあるのには驚きました。大きいウォーターサーバーが1つ20円ぐらいでした。需要があるから供給も増えて、価格も下がる、という均衡が取れていて、いつも綺麗な水が飲める状態になっていました。水が汚いというのは分かってはいたんですけど、それをペットボトルの水ではなくウォーターサーバーの水で対応していたことに驚きました。

行く前の想像との違いやギャップはありましたか。

――思っていたより、怖くなかったです。マニラという首都は本当にやばいところみたいで、空港会社がキャリーの中に銃弾を入れて旅行客を脅してお金を盗る、ということが昔あったことを聞きました。だから怖いところというイメージがあったんですけど、セブとかは観光地なので比較的に安全なところで、穏やかでした。夜に、僕一人で交渉して、50ペソのところを20ペソに値切ってモーターバイクに乗ったことがあります。滞在しているうちに、現地の人相手に交渉できるだけのコミュニケーション力が身についていました。とりあえず、何でも恐れずにやるようになって、すごく度胸がついたな、と思います。

今回の留学で学んだことは何ですか。


――フィリピン人は、人へのリスペクトがすごかったです。日本人はどちらかと言えば冷たくて、自分さえ良ければいいという部分があるかなと思うんですけど、フィリピン人は良い意味ではフレンドリーで悪い意味ではズカズカ入り込んでくるって感じでした。でも、英語が話せなくて躊躇する不安があるので、ズカズカ入ってきてくれた方が自然と打ち解けられます。そのうち、授業でもライティングもリーディングもしたくない、と教科書を閉じてスピーキングだけの時間を作ってもらって、フィリピンの話を全部英語で話すということもしていました。
フィリピンで英語を学んだことで、大学にいるフィリピンの留学生とより交流するようになりました。僕が英語で話して向こうが日本語で話す、ということをしています。分からないことは向こうが教えてくれるし、留学生のチューターもしているので、すごくいい感じです。僕は日本語を教えるし、向こうは英語を教えてくれるし、とても役立っています。2月に韓国からの留学生が来ていたんですけど、ほとんど日本語を喋れない学生がいて、僕が英語を喋れたのでコミュニケーションをとることができました。そのおかげか、後半は日本語で積極的に話しかけてくれるようになりました。きっかけ作りとしても英語が使えたので、英語をやっていてよかったなと思いました。
フィリピンの先生とは今もテレビ電話などで交流していて、大学のカリキュラムのインテンシブ・イングリッシュ・プログラムに参加する時に会えたら会いたいと思っています。今後も、積極的に海外には行きたいと思っています。

次に参加する本学のインテンシブ・プログラムに向けて、どんな思いがありますか。

――勉強したいというのももちろんあるんですけど、今回の5週間の留学でフィリピンのことがすごく好きになったので、個人でフィリピンに行こうと思っていました。でも、大学のプログラムなら実質10万円くらいで行けるので、参加したいと思いました。日本語を喋ったら罰金、というみんなが作ったルールがあるらしくて、それもいいなと思いました。担当教員の中澤先生とも話したことがあって、今回のプログラムに誘っていただいた、という先生とのつながりもあります。
今は、毎週インテンシブの授業があって、自分で調べてきた英単語などの課題を提出しています。僕は一度フィリピンに行っているので、向こうの事情や習慣もなんとなく分かっています。行っていない学生は聞いた知識だけなので、僕は目で見たものを知っています。その点では有利というか、自分にとってプラスな作用をもたらしてくれているなと思います。

今回の経験を通して、自分の中で変化はありましたか。

――どちらかというと、僕は自分がよければいい、自分さえできればいい、と思っていました。でも、誰かのためにやってあげよう、ということをフィリピンの先生たちから学んだので、日本に帰ってきて自分もそうしようと思うようになりました。それに、僕はあんまり人と話さないんですけど、帰ってきてからは積極的に話すようになりました。以前はピア・リーダーをしていても、人と話はできるけど話していなかったり、人とあまり群れたりしていませんでした。でも最近は積極的に人の輪に入るようにしています。フィリピンに行って、すごく明るくなったと思います。この人はこういう人、というように何でも受け入れるようになって、すごく寛大になりました。今までシャットダウンしていたことも、繋げていくようにと変わりました。帰ってきてから、みんなから「変わったね」と言われるようになりました。受け入れてくれるから話せることもあるし、聞けることもあります。まずは受け入れるということがコミュニケーションの基本で、尊敬の気持ちを忘れないことが大事だということもフィリピンの先生が教えてくれました。思ったことは言うように、でも相手を尊敬する気持ちは忘れずに、相手を受け入れながら生活するようになりました。

これからの将来にどのように活かしていきたいですか。

――将来国語の先生になる、となると英語はどちらかというと必要ないかもしれません。でも、もうひとつの夢である日本語教員として海外で生活するなら、必要最低限あったらいい言語が英語です。それを今のうちから身につけておきたいです。大人になってからは時間がなくて語学は学べない、と先生も言っていました。学生のうちに何ができるのかを考えた時、将来のための糧、材料などを自分のかばんに詰め込んで持っていた方が安心もするし、夢に近づけるんじゃないかと思いました。土台を作ってから社会に出ていきたいです。英語が出来た方が仕事の幅も広がると思うので、今回の経験で英語を学べたことは本当によかったと思います。夏休みをバイトだけで過ごす学生もいると思うんですけど、働いてお金を稼ぐということは社会人になってもできることなので、僕は学生のうちにしかできないことをしていきたいと考えています。

留学に興味のある後輩へのアドバイスやメッセージがあればお願いします。


――僕が一番はじめにフィリピンの学校に着いて言われたことが「Don’t be shy!(恥じるな)」ということでした。「知らないことは恥ずかしいことじゃないし、聞けないことの方が恥ずかしい。分からないことがあればすぐに聞いて、やりたいことは全部言いなさい。もしミスをしても私たちは受け入れるし、理解するし、いつでも味方でいるからね。それが、外国人が外国人を受け入れるということだよ。だから、心配しないでね」という言葉に胸を打たれました。
外の世界を見なくても人は成長できるけど、見た方が心も身体もより成長できると思います。僕は、心の成長が大きかったです。
だから、常に「Don’t be shy!」で、恥ずかしがらずに何でもチャレンジしてみてください!


*セブ留学 Premium Resort Campus

*森岡翔哉くんのブログ>>>

『海外での交流を通して』

社会学部 観光学メジャー 2017年度卒業 長井恵里さん
活動内容:世界のろう者との交流
活動場所:カンボジア、ベトナムなど

海外旅行に行こうと思ったきっかけは何ですか。

──大学生になるまで、海外に行ってみたいとは全く思っていませんでした。それまでずっと地元から出たくなくて大学が香川というのも嫌でした。しかし、大学に入ってから友達も増えて、その友達がいろんなところへ行っているのを見て、自分も行ってみようかなと思いました。それで気づいたら11ヶ国も行っていました。
 初めて行ったのは大学1年生の時のグアムです。観光だったので友達と一緒にデパートでショッピングをしたり、パラセーリングをしたりして、とても楽しかったです。
 耳が聞こえないので、コミュニケーション面で不安がありましたが、身振り手振りで聞こえる人よりも意思疎通ができると感じました。

世界のろう者と交流するようになったのはいつ頃からですか。

──初めて世界のろう者と交流したのは大学2年生の時に訪れたカンボジアで、ろう学校を見学し寄付もしました。その次は大学3年生の時に訪れたベトナムで、ろう学校やろう協会、青年部を見学しました。

カンボジアでの交流はどうでしたか。

──私が今、大学に行けているのは本当に恵まれていることだと考えさせられました。カンボジアにもろう学校がありますが、行けない子どもが多いのが現状です。私が訪れた時は100人ぐらいの子どもたちがいましたが、同年代の子が小学6年生ということに驚きました。

ベトナムのろう学校ではどんなことをしましたか。

──日本の大学について、大学でどういう過ごし方をしているかなどを講演しました。私はノートテイクを受けていることや食堂で友達と食べていることを写真も見せながら話しました。ベトナムの場合は、大学に進学する人は少なく、就職もできない人が多いです。運転免許の取得も認められていないので、「どうして日本は進学や就職ができるの?」と難しい質問もありました。ろう者が周りから認めてもらえない現状の中で講演するのはとても緊張しましたね。

ベトナムでの交流はどうでしたか。


──ベトナムではハノイろう学校で講演、ダナンろう学校の見学、ホーチミンろう協会の見学をしました。ベトナムに行ったことがある友達と一緒に行っていたので、その友達や現地の人からベトナム手話を教えてもらいながら覚えました。ベトナム手話は日本手話と全く異なるので、初めは戸惑いましたが「アメリカ手話をベトナム手話でいうと何?」と知っているアメリカ手話からベトナム手話に変換しながら覚えました。ベトナムでも少し前まではアメリカ手話が主流だったそうですが、今はベトナム手話を普及させようという動きになっているようです。
 ベトナムでの交流でできた友達とは、たまにテレビ電話で連絡を取っています。
また9月に所属している全日本ろう学生懇談会の海外研修プロジェクトの一環で行く予定です。ろう学校で教鞭をとる経験ができるので楽しみです。

新しい発見はありましたか。

──ベトナムではみんなが積極的に挙手して発言していて、リーダーも一人ひとりから意見を導いたりまとめたりするのがとても上手くて感動しました。日本人は大人しい、あまり意見を言わないといいますが、その通りでとても痛感しました。
リーダーの在り方について考えさせられ、色々と新しい発見があった有意義な時間でした。

11ヶ国の旅行の中で印象に残っているのはどこですか。


──今までアジアに行くことが多かったのですが、イタリアで初めてヨーロッパの地を踏んだ時はすごかったです。
多人種が共生していて、のんびりとゆったりとした時間が流れていました。
5日間で7都市を周遊し、お金や時間が限られている中で1日に1都市でしたが、それでも十分に楽しめました。観光学で学んだ世界遺産を実際に見られてとても嬉しかったですね。

海外に行って、自分の中で何か変化はありましたか。

──コミュニケーション能力が上がったと思います。それに今まで地元から出たくないと思っていたのに、世界中を旅したいと刺激を求めるようになりました。また、旅のプランを考えて航空券やホテルを個人で手配してきたので計画力も身に付きました。

日本でのろう者との交流を教えてください。

──全日本ろう学生懇談会というろう学生からなる団体に入っており、そこで全国のろう学生と交流しています。同世代の人たちとリアルタイムで議論ができる場です。
海外旅行の経験もありますが、この団体に入ってから意見を述べられるようになりました。このことから大学に進学してよかったなと幾度も思います。
 また、地元の青年部の部長をやっています。今年度から新体制で発足して、仲間づくり・学習づくり・要求づくり、の三本柱に沿った活動をしています。私たちの生活が不自由なく恵まれているのは、ろうあ運動をしてくれた先人たちのおかげであることを多くの人に知ってもらうために、これからも活動していきたいです。

将来にどう活かしていきたいですか。

──大学に入ってから「思い立ったら行動に移す」をモットーにしているのですが、これまでの決断に後悔はありません。むしろ、すべて自分のためになっているのでよかったなと。社会人になったら、経験を振り返り、慎重に行動に移していけたらと思います。
 また、『課題解決』をビジョンにしている企業で、ろう者の業務範囲拡大などろう者がもっと暮らしやすい環境づくりに貢献していきたいです。

海外での活動や交流に興味がある後輩へアドバイスやメッセージがあればお願いします。


──やはり、思い立ったらすぐに行動に移した方がいいと思います。思い立った時点で、自分に必要なことだと思うので、迷っている暇はないと。地元を出る前はあらゆることを親や先生に任せていて、大学を選んだのも先生でした。今思えば、自分に関わることは全部自分で決断した方がいいと思いますね。自分が「これだ!」と決断したことはそれなりに続きますよ。

『成長を求めて』

文学部 文学メジャー 2017年度卒業 本久夕生くん
活動内容:フィリピン語学学校、学校建設のボランティア
場所:フィリピン、カンボジア

フィリピンの語学学校へ行こうと決めたきっかけは何ですか。

――僕はピア・リーダーをしていて、今はピア・リーダーの委員長をしています。2年前に清水先生のクラスターについていた時に、清水先生に「外国事情でフィリピンに行かないか?」と何度も言われていたんですけど、当時は全然興味がなかったので、ずっと断っていました。でも、自分のクラスターに車椅子の学生がいて、その子が行くから来てくれないかと言われて行ったのが始まりでした。フィリピンに行って、正直すごく異文化の中で知らないことばかりで刺激をたくさん受けました。でも英語を話せないという悔しさもあって、また行きたいなと思うようになりました。自分の性格上、また行きたいと思っても日が経つと行かなくなってしまうので早めに予約しようと思って、その後すぐにスピードラーニングを始めました。去年、金関課長にセブでも有名なQQEnglishという学校があることを聞いて、自分で新しい友達も作りたいし行こうと思ったのがきっかけです。そこから東南アジアが好きになって、今年の春もカンボジアに行ってきました。

初めて行った「外国事情(フィリピン)」では、どんな刺激がありましたか。

――初めての海外だったので、英語を話す生活をしているというのもそうですし、食べ物も全然違っていたり、ストリートチルドレンがいたり、日本では蛇口をひねると簡単にお湯が出てきたのにフィリピンでは出てこなかったり、すべてが僕にとっての当たり前が当たり前ではなかったということに衝撃を受けました。それで、もっと知りたいと思うようになりました。日本にいることも有り難いけど他の国を知ることも必要だなと思って、かなり視野が広がりました。8日間くらいの滞在だったので、あっという間に過ぎていました。それで、日本に帰ってきてすぐに英語の勉強を始めました。

フィリピンへ語学留学に行ってみてどうでしたか。


――僕が行ったのは、QQEnglishセブ島留学です。規模が大きくて、学校はセブのITフロント校と海沿いにあるシーフロント校の二つに分かれていました。セブでは有名で、最初にできた語学学校だと思います。8月末から9月末までの夏休みの期間を利用して、1ヶ月間行きました。友達もたくさんできました。四国から行っていた人が少なくて、みんな関西や関東の頭のいいところばっかりで、最初は入りずらかったんですけど、気がついたらみんな仲良くなっていました。学校には寮があって、僕は台湾人2人とブラジル人と一緒でした。一人部屋もあったんですけど、これも勉強だなと思って一緒に生活をしていました。留学していたのは日本人が一番多くて、その次に台湾人だったんですけど、ルームメイトに台湾人がいたということもあって、台湾人の男性はすごく優しいなと感じました。
すごく有意義な1ヶ月だったと思います。

具体的に授業はどんな内容でしたか。

――1コマ50分の6時間が僕の授業スケジュールでした。授業では、ひたすらコミュニケーションをとります。発音や文法、会話、リーディングやリスニングなどいろんなスキルをやったので、身になったなと思います。でも、力がつき始めた頃に期間が終わったので、もう少し居たかったなと思います。
先生とも仲良くなって、ラインやフェイスブックでもいろんな先生と今でも交流を持っています。フィリピン人はすごく優しくて、卒業した後でも連絡をとってくれます。

フィリピンへの語学留学で学んだことは何ですか。

――前回の授業では8日間で、今回の留学では1ヶ月間行ってみて、前回は先生もいるし集団行動だったので、正直英語をしゃべらなくても大丈夫でした。でも今回は留学で英語を勉強しに行くという環境におかれていたので、やっぱり自分も英語を話さなければいけない、というところで全然違っていました。英語を話さないと生活できなかったので、無理矢理自分を頑張らせたという部分では、日本ではできない経験でした。1ヶ月間英語を話す生活、他の国での生活というのはなかなか他の学生もできないことだと思うので、そういう部分では刺激になりました。週末は土日が休みだったんですけど、いろんなアクティビティに参加して、ジンベイザメと一緒に泳いだり、ワニを触ったり、観光地に行ったり、ご飯を食べたり、日本ではできないような活動をたくさんできたのですごく楽しかったです。

実際にフィリピンへ語学留学に行ってみて、自分の中に何か変化はありましたか。

――日本に帰ってきてから、もっと人に優しく接しようと思いました。感謝の気持ちもそうですけど、当たり前のことではないということもさらに思ったので、気持ちの部分で大きく変化がありました。なぜか分からないんですけど、気持ちに余裕がでてきました。フィリピンで生活していて、向こうの人は時間に縛られていなくて、日本で時間がない、忙しいと思っているのが馬鹿らしくなりました。時間は作るものだ、と思うようになりました。

カンボジアでボランティアをしようと思ったきっかけは何ですか。

――僕は毎年目標を立てるんですけど、その中に「3カ国以上旅をする」と書いていて、教育実習があったり就職活動があったりするので時期的に夏は厳しかったので、3月ぐらいにどこか行きたいなと思っていました。ボランティアをすごくしたいなという思いもあったので、海外でボランティアをしようと思い、ネットで調べて時期的にもよかったのがカンボジアのスタディツアーでした。世界遺産を知りながら、学校に行きたくても行けない子どもたちのために学校建設をしたり、遊具を作ったり、健康診断の手伝いをしたり、というツアーがあるということを知って、これに行こうと決めました。

具体的にボランティアではどんなことをしましたか。


――インターンとスタディツアーで分かれていて、僕たちの時の1週間が21人で、春だけで123人いました。最初はみんな知らない人ばかりなので、自己紹介をしたり、現地の歴史を学びました。僕も行ってから知ったんですけど、つい最近まで虐殺が行われていたそうです。そういう文化を勉強して、国を知ってから中身を知っていかなければいけないということで、実際に虐殺の場所とかに行ったり、アンコールワットとか色々な建物を見て、歴史を勉強したあとで子どもたちと関わって遊んだりしました。学校建設ということだったんですけど、行った時には学校はもう建っていたので、遊具を作ることが仕事になりました。穴を掘ってタイヤを埋めて、タイヤを渡ったりして遊べる遊具を作りました。次の学校に行った時には、運動会をしたことがないので、子どもたちのために運動会をしました。子どもたちは50人ぐらいで、チームは4つぐらいに分かれて学生がついていました。種目は風船リレーとしっぽとりと綱引きだったので、すぐ終わっちゃったんですけど楽しかったです。
子どもたちはまだ英語を話せないので、挨拶とかいくつか現地の言葉を勉強したのでコミュニケーションはとれました。そこで思ったのは、一番笑顔が大切だということです。

カンボジアでのボランティアで印象に残っていることは何ですか。


――「やるかかやらないかは、死ぬか死なないか」という言葉がすごく心に響きました。死なないならやったらいい、という女の人がいて、その人は大学卒業後に就職して何か違うなと感じて仕事を辞めてカンボジアに行った人なんですけど、その言葉を聞いて、たしかに死なないならやった方がいいかと僕も思いました。

●ボランティア活動をしていてよかったと思うことはなんですか。
――フィリピンでは子どもと関わることはほとんどなくて、大人と関わることが多かったです。行きたかった理由としては、ボランティアをしたいということもあったんですけど、教員免許のコースを取っていて、教育にはずっと興味があって、日本以外の教育現場を見たいというのもありました。実際に見てみて、カンボジアがまだまだできていないことも知れたし、自分がどういった形で支援したらいいかということも分かったし、将来のビジョンが見えてきたかなと思います。将来につながるような一週間だったなと思います。

東南アジアの魅力は何ですか。

――僕が東南アジアにはまっているのは、たぶん発展途上国が多くて、すごくいきいきしているからだと思います。日本だと店員さんとかも愛想が悪かったりするんですけど、向こうは本当に必死に物を売っていたし、どんな時でも笑顔だし、フィリピンの先生も朝5時から夕方まで疲れた顔を見せないので、そういうところが本当に素敵だなと思いました。発展途上国だからとは言い切れないと思うんですけど、もっと他の東南アジアの国を知りたいなと思いました。

海外での活動を通して、自分が成長したなと思うところはありますか。


――やっぱり視野が広がったのが一番だと思うんですけど、人の気持ちを考えて行動できるようになったかなと思います。
全部今まで自分が主体で、自分が自分がという感じがあったんですけど、常に言葉の発言とかもそうなんですけど先に相手の気持ちを考えて行動できるようになってきたかなと最近すごく思います。
学校生活にも、ピアリーダーとしても、活かせていると思います。やっぱり1年生は入学して間もなくて不安だと思うんですけど、自分たちの目線だと分からないこともあったりするんですけど、1年生の目線になって言葉をかけたり行動したりというのは、今年の1年生に対してできたかなと思います。僕を見かけたら声をかけてくれたり、連絡をくれたりして、かわいいです。

今後、何か挑戦したいことはありますか。

――まず、近くのことでいうと夏に東南アジアの他の国に行ってみたいと思います。自分自身が常に成長を求めていて、そこで終わりたくないと思うところがあって、自分が経験したことのない、普段経験できないようなことを経験したら刺激をたくさんもらって成長できるかなと思うので、どんなことでもチャンスがあればやりたいです。

今回の経験をこれからの将来にどう活かしていきたいですか。

――将来は起業したいなと思っています。やりたいことはNPO法人のようなもので、自分も日本とカンボジアなどを行き来しながら学校を建てたりとか図書館を建てたりという活動をしたいです。向こうの子どもたちは、可能性はいっぱいあるのに勉強ができないから結局やることが限られてきてしまいます。勉強したらどうにかなるのに勉強する場所がないから、そこでとどまってしまうというのは見ていて思ったので、勉強できるようなことを支援してあげたいです。もし起業しなくても、仕事をしながら長期休みをとって自分が支援していきたいなと思いました。

語学学校や海外でのボランティアに興味がある後輩へのアドバイスがあればお願いします。


――今しかできないことはたくさんあると思います。就職してからできることはあると思いますけど、こんなに時間があって自分のしたいことをできるのは今しかないと思います。きっかけができないから見つけられないこともあると思うんですけど、積極的にどんなことでも貪欲にやって欲しいかなと思います。そうすれば自然と結果とか自信はついてくると思うので、それがついてくるとまたやりたいなというサイクルになって成長できて将来に活かされるんじゃないかと思います。
とりあえず、どんなことでも「やるかやらないかは、死ぬか死なないか」です。

『主務としての大変さと楽しさ』

社会学部 情報加工学メジャー 2017年度卒業 猪野 杏梨 さん
サークル:硬式野球部マネージャー(主務)

硬式野球部のマネージャーをはじめたきっかけは何ですか。

――私は元々高校でも野球部のマネージャーをしていて、マネージャーをするつもりで大学を探していました。四国の中でも四国学院大学が強いと聞いていたので、四国学院大学に入学しました。野球を好きになったのは、小学6年生の時に修学旅行でプロ野球の試合を観に行ったのがきっかけです。その時に野球に興味を持ってから、ずっと好きです。私自身野球はできないんですけど、観るのが好きです。

野球の魅力はどんなところですか。

――野球は、けっこう複雑です。サッカーとかに比べるとルールがかなり多いと思いますし、毎年ルールが変わったり、野球規則という本も毎年更新されるくらいルールが多くて、それを調べて自分が分かっているのが楽しいなと思います。試合では、私が試合のスコアをつけてそれが公式の記録になります。マネージャーがルールを覚えておかないとちゃんとした記録もつけられないので、毎年規則を確認しています。

具体的に硬式野球部のマネージャーとしてどんなことをしていますか。

――私は主務という役職に就いているんですけど、チームの運営を統括するポジションで、部費の管理とかもそうですし、練習試合を組んだり、球場を手配したり、審判さんをお願いしたり、仕事でいうとかなり多いです。書類を作成したりもするので、何がメインか自分でも分からなくなるぐらいたくさんあります。チームを運営するために必要なことをすべてマネージャーがしています。今、マネージャーは私と同期の子と今年の1年生で2人男の子が入ってきてくれたので、4人います。私たちが入ってからは全然マネージャーが入ってこなくて、引継ぎもできない状態だったんですけど、やっと今年1年生が入ってきてくれたのでよかったです。
休みの期間中はほとんどが練習試合で、春休みだけで20試合ぐらいはしています。基本的には中国地方や四国の社会人の野球部に連絡をとって、どんどん試合を組んでいます。監督やコーチと選手の間に入るのが私たちの仕事なので、監督やコーチの意向を聞きながら選手の意向も聞いて提案します。
それに、四国地区大学野球連盟の仕事も各大学の持ち回りであって、連盟に必要な書類を送ったり、連盟のブログ記事を書いたりします。私は1年生の秋ぐらいから試合のスコアラーをやっていて、毎試合それを書かなければいけませんでした。毎試合それが続くとどんどん大変になってきて、後半は慣れてきて30分くらいで書けるようにはなったんですけど、最初は時間がかかっていました。

サークル活動を続けていてよかったなと思うのはどんな時ですか。

――よかったなと思うのは、つい最近なんですけど、優勝したことが一番嬉しいです。私たちが入学する前に全国に出場していて、それからずっと行けていなくてやっと4年生で最後の年に出場できました。他大学の選手の方とかマネージャーの方にも「おめでとう」と声をたくさんかけていただけたので、それが一番嬉しかったです。でも、最初の第1試合目の時に2勝した時は勝てたという思いがあったんですけど、3戦目ぐらいに入ってからずっと勝ち続けていたので「これは優勝できるんじゃないか」と思い始めて、気づいたら優勝していたので、今でもあまり実感がありません。1回も負けることのない完全勝利、というすごい試合を観たのは初めてでした。会場も盛り上がってましたし、選手も盛り上がっていて、卒業生の方とかもたくさん応援に来てくださっていたので、優勝ってこんなに力があるんだなと感じました。

今回の最終戦のポスターを作成したきっかけは何ですか。

――野球連盟の仕事で、私は広報をしています。それでいつもリーグ戦のポスターやパンフレットの表紙を担当していたので、漆原部長の方から最終戦に向けてのポスターをお願いされて、それで作ったら意外と反響があったのでよかったです。野球部のHPや連盟のHP記事も私が作っています。デザインとか細かい作業が好きなので、それで情報加工学メジャーを選んだというのもあります。将来もそういう広報関係の仕事に就きたいなと考えています。

本学での授業が硬式野球部関係の広報活動をするにあたってどんな風に活かされていますか。


――基本的に田尾先生の授業が多いんですけど、「こういうポスターを作る時はこういうことを入れるとお客さんにすぐ伝わりやすい」とか、どういう表現をすれば効果的かということを学んだのでそれを使うようにしています。今回のポスターのポイントは、インパクトにこだわったので、なるべくシンプルに伝わるように文字もあまり多く入れずに選手をいっぱい使ったところです。デザイン系が元々好きで、絵を描いたりするのも好きなので、広報関係の仕事をしている時の方が試合を組んだりする時よりもどちらかというと好きです。
文章を書くことも元々好きだったんですけど、試合の記事を書くようになってからもっと得意になったかなと思います。読んですぐ入ってくる文章を作るように気をつけています。語尾を同じにしないとか、見た人に臨場感が伝わるように書くように心がけています。そういった言葉選びについても田尾先生から学んでいることは多いです。元々田尾先生が会社に勤められていたことを聞いたので、社会に出る時にこういう言葉を使った方がいいとか、新聞とテレビで使っている言葉が違うという話も授業で聞いて、自分でも気をつけるようにしています。この言葉使い方ちょっと違うんだとか、この漢字は新聞では使うのにテレビでは使わないとか、色々あるのを田尾先生の授業で知って、自分でも気をつけようと思いました。高校野球の夏の大会とか丸亀球場でやるようになったんですけど、実況の方の横でスコアをつける、野球部とはまた別の仕事を去年ぐらいからしています。なので、隣でテレビの実況をされている方の横で実際にそういう話を聞くので、すごいなぁと一人で感動していました。

マネージャーの仕事を通して成長したなと思うこと、学んだことはなんですか。


――私は、元々人前に出るのが得意なタイプではありませんでした。だから、主務になって大丈夫かなと思っていたんですけど、主務になったからこそ色々仕事を経験できて、人前に出るのも得意になりましたし、人間的に成長できたなと感じます。入学したばかりの自分が見たらびっくりするくらい、この4年間で変わっていると思います。普通に人前で話すこともできるようになりましたし、目上の方と話すことの方が多いのでそういう時にどういう言葉を使うのかとか、こういう時はどういう対応をしたらいいのかということを学んだので、そういう意味では野球部から社会の成り立ちを学びました。マネージャーの仕事を活かして、社会でもやっていけると思います。
高校野球の夏の大会で実況の方の横でスコアをつけるお仕事も、高校野球連盟とか社会人の手伝いをされている方から声をかけていただけて、色々なことを学ばせていただきましたし、初めての経験だったので楽しかったです。
去年の秋のリーグ戦が終わった後に、六大学の中から推薦で選ばれた選手が四国選抜として社会人の方と交流戦をするんですけど、その四国選抜のマネージャーに選んでいただきました。すごく良い経験になりました。やっぱり他大学の選手のプレイもそうなんですけど、礼儀とか所作とかすごくしっかりされているなと近くで感じられたので勉強になりましたし、思い出にもなりました。松山大学の主務の男の子と二人で四国選抜のマネージャーをしていて、他大学の運営の仕方はけっこう違うので、今までは一人でチームの運営をしていたので主務が二人いるだけでこんなに早くできるのかと驚きました。私がする前に動いてくれていたりしたので、それもすごく勉強になりました。社会人の方と接することが多いんですけど、社会人のマネージャーの方の対応の仕方とかはやっぱり大学生とは違うので、こんな風になれたらいいなと思いました。「こういう時はこうした方がいいよ」と声をかけてくれたり、JR四国さんとかは頻繁に試合をしていて顔見知りなので、世間話とかもできるようになりました。昔の私だったらできていなかったと思うんですけど、それができるようになったのでよかったなと思います。
4年間やってきてしんどいこともあったんですけど、女で主務をするという大変さがあったからこそ、自分を成長させることができたと思うのでよかったです。
最後に全国も行けたので、本当にやってきてよかったと思います。

これからの目標を教えてください。

――今回、全国大会でのうちの野球部がいるブロックがけっこう強豪揃いなので、勝ち進んでいけたらいいなと思っています。四国自体がずっと全国大会で1勝ができていないので、四国で優勝したら「全国1勝」というのが目標になっていて、私が野球部にいる時に四国学院大学が全国での1勝に一番近いと思う、と言われていたので、1勝以上できたらいいなと思っています。

サークル活動に興味がある後輩へアドバイスやメッセージがあればお願いします。


――好きな気持ちがあったらなんでも楽しくなると思うし、最初は大変でもそれが絶対徐々に自分の力に変わってくるので、自分がやった方がいいなと思うことはどんどん積極的にやっていけばいいと思います。マネージャーという仕事もやっぱり、上になればなるほどできなくなるので、学生時代にしかできないことをどんどんやってもらいたいです。


硬式野球部ページ

硬式野球部HP

『剣道を通して得たもの』

文学部 学校教育メジャー 2017年度卒業 森末哲史くん
サークル:剣道部

剣道をはじめたのはいつですか。

――僕が剣道を始めたのは5歳の時で、今年で17年目になります。父が剣道をかじっていて、地域の剣道教室の人と知り合いだったこともあり、剣道教室に行ったのが始まりでした。大会にも剣道教室の頃から参加していましたし、中学校・高校も剣道部で活動していました。

剣道部に入部してみてどうでしたか。


――剣道部があるということを聞いていたので、意気揚々と防具を担いで入学したんですけど、僕が入学する1年前に、剣道部自体なくなっていました。1個上の先輩が一応作っただけ作ったみたいなんですけど、新しく部活を作って1年目は部費とか出ないですし、部室だけある状態で稽古をしないまま1年間が過ぎていたので、これはまた来年廃部になるだろうという状況でした。入学して、剣道部が活動していないことを知って、どうしよう、と考えてまずは部員集めからはじめました。とりあえず、部員集めの最初は声をかけていこうと思いました。当時の部長に僕に全部やらせてくださいとお願いして、部室の鍵とかも預かって、1人でコツコツとポスターを作ったり、新入生募集の立看板も作りました。そうすると、同じクラスターで剣道をしていたという友達が2~3人出てきたり、1年生の時は寮だったんですけど寮生の中にも剣道部だった子がいて、有り難いことに集まってくれたので5~6人の体制で剣道部が始まりました。
 「剣道部といえば森末」というぐらいに名前を売らないとみんな分かってくれないと思ったので、ピア・リーダー制度に目をつけました。ここに入れば名前が売れるから、剣道をやっていた子に剣道部があることを知ってもらえると思って、1年生の時にピア・リーダーになろうと決めました。学長や仙石先生、片岡先生にも「僕はピア・リーダーをいい意味で利用させてもらって、剣道部を集めようと思います」とずっと言ってきました。実際にピア・リーダーを始めてから、今年も711教室の大きな舞台で新入生勧誘をさせていただきました。おそらく今は「森末哲史=ピア・リーダー=剣道部」になっていると個人的には思っています。ここまで来るのに長かったなと思います。2個下にしっかりした後輩が2人入ってきてくれたので、3年間部長をしていたんですけど代わってもらいました。主将が代わって、僕は引退した形になるんですけど、後輩が「剣道部をなくさないようにがんばります」と言ってくれたので、感謝の言葉しか出てこないです。

具体的にサークル活動はどんなことをしていますか。

――活動日は、月曜日と水曜日の週2回です。現在部員は名前だけだと20人くらいですが、実際に稽古に出てくるのは6~7人で、マネージャーを合わせて10人くらいで活動しています。年に何回か試合があって、あとは個人で稽古をしたり、外部の出稽古に行ったりして練習しています。僕が2年生の時から、経験と思い出作りとして試合に出るようになりました。強い大学にはなかなか勝てないんですけど、四国学院大学も昔は強かったみたいです。活動を続けてきて3年目の時に、歴代のOB会の方に声をかけていただいて、OBの方が10人くらい来てくださいました。剣道には段があって、最高が8段で全国レベルなんですけど、OB会には7段の先生もいらっしゃって、こんなすごい方が四国学院のOBでいるのか、とすごく勉強させていただきました。剣道部を作って色々あったんですけど、やってきてよかったなとも思いました。

剣道の楽しさはどんなところで感じますか。

――剣道は暑いし、臭いし、痛いし、何が楽しいのか分からないとよく言われます。それはそのとおりだと思います。でも、僕の人生の剣道歴の中で大きかったのが、中学生の時にすごく尊敬できる恩師に出会ったことです。その先生は新任だったんですけど、寝る間も惜しんで一生懸命剣道を僕たちに教えてくださいました。
 結局剣道は団体戦だとしても一対一の競技で、コートの中では誰も助けてくれません。それを分かっていてどこまで自分と戦えるか、団体戦でも個人個人との戦いというストイックな競技です。本当に相手と自分との戦いです。そこに楽しさというか、惹かれている部分があります。それに、先生や仲間に恵まれて、ここまでずっと剣道が楽しいなと思って続けられたのが大きいと思います。僕は甘くみさせてもらっても上中下でいえば中ぐらいで、うまい人には勝てないし、どうしても強いチームと戦ったら足手まといになることもありました。でもそういった時に仲間が励ましてくれたり、アドバイスをくれたりしたことが今でも心に残っています。できれば僕もそういうことを後輩にしてあげたいし、同級生にもそういうチームを作っていきたいと思っていたのが大きいです。

剣道の魅力はどんなところですか。

――実利的な面で言うと、今後武道は必修化されてきます。教育のメジャーに進んでるので、中学や高校の体育で剣道が入ってくるので、そういう面で言えば剣道をしていればみんなに教えたり頼りにされることができると思います。それに、このご時勢で公務員安定とみんな思っていると思うので、警察を受けるにしても、剣道や柔道の段で点数がプラスになったり、自衛隊でも剣道をやっている人が多いです。そういう面でも非常に役に立つと思います。
 やっぱり、剣道は自分との戦いなのでしんどい時に心の中で「まだやれる、まだやれる」と思うんですけど、そういう苦しいことが終わって面を取った後の爽快感は剣道をやっている人にしか分からないものだと思います。どんなに甘いことを言っても、競技なのでどうしても一対一で勝つか負けるかという部分が出てきます。そこで、チームプレイではなく最後は個人競技になるので、どんなに強い相手で一回負けても、もう一回やった時にどこまで自分が工夫してその相手から一本取れるか、一本取って勝った後の爽快感、ここまで自分が頑張ったというのは絶対他の競技にも劣らないと思います。

剣道を通して自分が成長できたと感じるのはどんなところですか。

――一番は、礼儀です。目上の方々と話をさせていただく時とかは、武道は礼儀に厳しい面があるので、17年やってきて身につきました。しっかりメリハリをつけた行動ができるようになったのは、剣道が大きいかなと思います。仲間と出会わせてくれたのも剣道ですし、剣道は僕の日常生活から切り離せないものだと思います。

これからの目標を教えてください。

――剣道部の目標としては、僕は十分剣道をやらせてもらったので、あとは後輩たちが剣道部をなくさずにいてくれたらなというのが剣道部に対する願いです。幸い僕もいい後輩たちに恵まれたので、後輩たちができるだけ長く剣道を続けてほしいなと思います。
 僕の個人的な目標としては、やっぱり地元に育ててもらったので、将来は地元の広島県に帰って、子どもたちに剣道の楽しさを教えられるような人間になれたらいいなと思っています。地元に剣友会という剣道をやっている組織があって、僕もそこで育ててもらって今でも顔を出しているので、そこの先生方や地元の方に恩返しができたらいいなと考えています。
 教師になりたいと思ったのは、剣道関係の人はけっこう公務員や教師をしている方が多く、こういう先生になりたいと思ったというのもありますし、中学校の恩師との出会いもありました。一番大きいのは、自分の父親が教師をしていたことです。父をすごく尊敬しているので、いつか越えたい憧れの背中だと今でも思っています。

剣道部を廃部から立て直して今年で4年目ですが、今振り返ってみてどうですか。


――まずは、よく4年間剣道部を育ててきたなと、頑張った自分を褒めてあげたいという思いはあります。あとは、やっぱり人との出会いが大きいです。すごく恵まれた後輩が入ってきてくれましたし、剣道を通して、金関さん(学生コモンズ支援課課長)や吉田さん(学生コモンズ支援課職員)、OB会の先生方とつながることができました。僕は三人兄弟でみんな剣道をしているんですけど、弟の試合の時に四国学院大学OBの先生が顧問をしている全国常連校がたまたま来ていて、その先生の話を僕がしていたので祖母が挨拶に行ったことがあります。四国学院ではない場所でのつながりや出会いがあったのも、剣道のおかげです。
 剣道を続けてきて、四国学院大学で部活を作って色々ありましたけど、続けてきた中で人間関係が広がっていったのと、良い出会いがあったのはすごく自分の中で勉強になりましたし、これから社会で生きていく上で役立つものをたくさんいただけたと思います。

『本格的なスキー体験』

社会学部 健康・スポーツ科学メジャー 2017年度卒業 吉本茉莉永さん
期間:2月12日~16日(移動含む)
場所:北海道 ルスツ・リゾート
活動内容:スキー・スノーボード実習(「体育・スポーツⅡ」ウィンタースポーツ/「フィールド・プラクティカム」健康・スポーツ実践演習)

スキー実習に参加したのは何故ですか。

――私は去年もスキー実習に参加していて、楽しかったのでまた参加しようと思いました。それに、雪質もとてもよかったので、また行きたいと思いました。香川では滅多に雪が降らないので。

事前準備は何をしましたか。

――元々スキー実習に行く前に、丸亀のハーフマラソンに参加しました。体力づくりはしっかりして、スキー実習に臨みました。そのおかげか、スキー実習の後も筋肉痛にはなりませんでした。

スキー実習ではどんなことをしましたか。

――はじめに、スキーかスノーボードかを選択します。私は、去年ボードを選択したんですけど、あまりすべれなかったので今年はスキーを選択しました。
スキーは、高校の修学旅行の時にやっただけだったので、高校の時よりも上手になりたいという気持ちがありました。感覚を戻すのに時間がかかってしまったんですけど、1日目の午後からはすべれるようになって、リフトもちゃんと乗れました。先生から、斜面の斜度に合わせて、止まる時はこうで、こけた時に起き上がるのはこう、などすべり方のコツから止まり方まで教えてもらいました。

北海道での本格的なスキー実習は、どうでしたか。


――高校の時は長野県のスキー場でスキーをしたんですけど、北海道のスキー場はやっぱり雪質が全然違っていました。長野県の雪はこけると痛くて、ウェアが湿ってビショビショになってたんですけど、北海道の雪は柔らかくてこけても全然痛くなかったし、ウェアもすぐ乾きました。ルスツスキー場は初級、中級、上級とコースが分かれていて、まずはみんな試しに初級コースで滑ってみて、初級と上級に分かれました。私は最初うまく滑れなかったので初級コースになりました。上級コースは漆原先生が引率して、私の初級コースは片山先生が引率してくれました。初日に初級コースで止まったり、こけても立てれるようにする練習をしていて、二日目はまた別の初級コースを滑ります。私は二日目に上級コースに呼ばれて行ったんですけど、みんな早くてついていけなかったです。板が外れたり、こけたり、ハプニングもあったんですけど、一日目の練習もあって自分で立てれるようになっていたので大丈夫でした。基本的な練習を一日目にしていたので、あとは自分でどれだけ滑るか、という感じでした。先生にも上手だと褒められたので、自分でもけっこう滑れるようになったと思います。景色がめっちゃきれいだったので、景色を見ながら滑るのが楽しかったです。でも、洞爺湖が見えるコースで天気が悪くて見えなかったのが残念でした。
スキーだけではなく、ホテルの中でも大浴場があったり、お土産屋さんがあったり、ゲームセンターもあってけっこう遊べたので楽しかったです。研修中は毎日楽しく過ごせました。

今回の研修を通して、成長できたなと思う部分はありますか。


――研修に行って、自分一人でできることがひとつ増えました。行く前、自分の日用品は自分で用意したんですけど、スキーウェアとかは親に頼んでいました。でも、持って帰る時には自分で詰めて帰らなければいけないということに向こうで気づいて、親の詰め方と私の詰め方ではスペースの空きが違っていました。親が詰めた時はちゃんとスペースが空いていて、私の場合は全然スペースが空かなくて荷物がパンパンでした。でも、最終日には、自分なりに工夫してきれいに荷物を詰められました。今まで親に任せてしまっていましたが、自分でも荷物の整理ができるようになりました。

自分の中で、何か変化や発見はありましたか。

――雪が降らないところで暮らしているので、自分でスキーは滑れないだろうと思っていました。滑れないと思っていたのに、自分がスキーを滑れたことに驚きました。それが一番の発見です。北海道で、本格的なスキーを体験できることがとても嬉しかったです。なので、また4年生になってもスキー研修に行きたいと思っています。その時は自分のブーツか板を持っていきたいと思います。

これからの将来にどう活かしていきたいか。

――今回の経験を通して、卒業してもスキーを続けたいと思うようになりました。仕事を始めても、長期休暇などを使ってスキーに行ったりしたいと考えています。今はスキーが趣味になってきています。最近、スキーウェアや帽子、ゴーグル、手袋など自分のものを買って、スキーグッズを揃えています。

スキー実習に参加する後輩へアドバイスがあればお願いします。

吉本茉莉永さん
――とりあえず来たら楽しめるし、観光もできます。
漆原先生と片山先生が優しく教えてくれます!参加人数が多ければインストラクターさんがついてくれますし、個人で行くよりも研修で行く方が旅費も安くすむので、メリットがあると思います。自分で実際に体験するのが一番だと思います。スキー経験がなくても、一年生からでも参加できるので、是非来てください!


*スキー・スノーボード実習
毎年2月中旬に実施。北海道のルスツ・スキーリゾートで本格的なスキー・スノーボード体験を3日間みっちり行い、スキー・スノーボード技術の向上を図る。初心者から、中上級者まで、納得の実習。引率は、健康・スポーツ科学メジャーの漆原教授、片山准教授。
健康スポーツ科学メジャー
「体育・スポーツⅡ」
北海道ルスツ・スキーリゾートにおいて、スキーあるいはスノーボードの実習を行い、今後、生涯スポーツとしてウィンタースポーツと関わっていけるような基礎技能やルール・マナーを身につける。不定期のオリエンテーションを実習前に3~4回実施する。
「フィールド・プラクティカム Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ(健康・スポーツ実践演習 Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ)」
自らが興味のある健康・スポーツ分野、例えば、海をフィールドとするスキューバダイビング、あるいは雪山でのスノーボードなどについて、国内はもとより、海外でも体験・実践し、深く調査することで自らの研究領域を確立していく。

北海道ルスツリゾート

『出会いの輪』

社会学部(演劇コース)2017年度卒業 氏原恭子さん
期間:2016年9月9日~9月19日
活動内容:さぬき映画祭2017『Lemon&Letter』出演/その他エキストラ出演など

『Lemon&Letter』に出演することになったきっかけを教えてください。

――梅木監督が2016年のSARPvol.10「ROMEO&JULIET」を観に来てくださった時、私に目をかけてくださってたようで、公演後に「よかったら映画に出ませんか?」と声をかけていただきました。今まではずっと舞台をやっていたんですけど、映像の演技にも興味がありました。ちょうどいい機会だったので、是非出演したいと思いました。

メインヒロインの高木夕を演じてみてどうでしたか。


――『Lemon&Letter』は本当に純粋な子どもたちの話です。初めて台本をもらって読んだ時、かわいいなぁと思いました。いつまでたっても素直になれない子どもたちが、別れる時にやっと自分の気持ちを直接伝えられるようになるので、本当に成長の物語だなと感じました。私が演じた高木夕は、素直じゃないところが私と似ているなと感じました。でも、私より可愛気があります。将来のことで悩みながらも、頭の中は主人公の海斗一色なところがあって、最初は海斗が東京に行くから私も東京行こうかなとか言っていたりして、「本当に将来それでいいのか!?」と共感できない部分もあったんですけど、最終的にはちゃんと自分でやりたい夢を見つけてお別れをして、「私頑張ってくるね」と自立して、筋の通った子になったのでよかったです。そんな夕役としては、恋する女の子を演じるのが難しかったです。表情をつくる時、カメラで顔をアップで撮られていたので、内心どうしよう、今どんな顔してるんだろう、と思ってドキドキでした。ここをこういう感情でやってほしい、というのは監督に熱く語ってもらっていたので、監督の想いが夕ちゃんに込められていることを感じました。

『Lemon&Letter』の舞台、男木島での撮影はどうでしたか。

――撮影初日は、まだ撮影とかではなくてロケ班みたいな感じで、どこでどういう撮影をするのかという説明があって、男木島の住民の人たちに挨拶に行きました。景色とか眺めがすごくきれいで、男木島の人たちはいい人ばかりでした。梅木監督がすごく楽しそうで、のびのびと生きているなぁと感じました。監督の前作『W&M』も男木島が舞台だったんですけど、男木島に旅行に行った時の出会いがとても大きかったみたいです。景色にも一目惚れして、「ここで映画を撮りたい!」と思ったみたいです。撮影が始まると、朝5時頃に起きて、私たち役者はメイクに入って、スタッフさんが現場の準備をしてくれていました。外での撮影が多かったので、天気を見ながら、この明かりの時にこの場所で撮る、というのがけっこうあって、曇ったり太陽が出たりというのを待って撮影していました。フェリーが来る、というシーンでは、フェリーを撮影のためにずっと停めてもらうことはできないので、絶対一発で終わらせよう!と思いながら頑張りました。太陽がとても眩しかったんですけど、太陽の撃退方法を俳優の品田誠さんに教えてもらいました。目を瞑って太陽の方を見てから、目を開けて撮影するということを聞いて、実践してみるとけっこう効きました。その状態でカメラの方を見ると、黒目が大きくなっていたみたいで、「可愛くなってるよ」と言われて、そんな効果もあるのかと思いました。品田さんの演じる海斗が夕を走って見送りに来るシーンがあるんですけど、カメラのアングルなどを決めるために住宅街の坂道で何度も走るシーンを練習していて、部活の走りこみのようになっていました。最終的には品田さんが疲れて、伊藤くんが代わりに走っていました。伊藤くんには今回、本当に色々とやってもらいました。撮影はとても楽しかったです。

男木島での生活で印象に残っていることは何ですか。

――夜のお散歩で、港の方に行ってみると海が光ってるんです。海蛍がいっぱいいて、本当に絶景でした。海蛍を見るのは初めてだったんですけど、星空みたいに光っていて本当にきれいでした。是非、男木島に泊まりに来てほしいです。あとは、やっぱり男木島に住んでいる人たちが印象的でした。みんなでたこ焼きパーティをしたんですけど、その時にゆでだことかサザエを売っているおじいちゃんと仲良くなっていたので、「撮影やから持っていきな」とタコをタダでくれたことがありました。私はタコを取りに行ったんですけど、本当に海からタコを引っ張り出して「ほら、殺してみ」と言われて、普段絶対しないような体験をさせてもらいました。

映像の演技で難しかったことや気をつけたことは何ですか。

――映像をカメラで撮る、というのは本当に難しかったです。物とかを渡す時の高さも、普通に渡す高さではなくてカメラに映るように渡さなければならなかったので、「手をここら辺まで上げて、ここで渡して」というカメラに映る細かい身体の調節とかもあって、けっこう苦戦しました。でも、慣れてきたら、舞台とちょっと似ている部分もあるな、と感じるようになりました。カメラが客席だと思えばいいのか、と、後半は立ち位置とかもスムーズにできるようになりました。同じシーンをカメラの角度を変えて何度も撮っていたんですけど、カメラの位置が違うと自分の立ち位置も変えなければいけなかったので難しかったです。映像だと、アップになると瞬きの動きだけでも大きな動きになるので、表情は硬くならないけど動かしすぎないように、ということに気をつけました。監督が指示しているのを聞いていると、演劇とちょっと似ているところもあるなと感じました。ちゃんと物を見て、触って、リアクションする。その一連の流れが、あまりわざとらしくならないように、自然に、ということを監督はよく言っていました。表情とか動きとかで映る部分が大きいので、そんなに台詞も多くなくて、動きで表現したり、何を考えているのかを伝えるっていうのがけっこうあって、それができるようになったらすごいなと思いました。でも、本広監督やさぬき映画祭の方が『Lemon&Letter』を観てくれて、「良かったよ」と言ってもらえて嬉しかったです。

舞台と映像の違いはどんなところで感じましたか。


――大きな違いは、映像だとシーンごとにカットして、けっこうブツ切りで、時間軸もバラバラなところです。なので、あれ?これって昨日の出来事?今日?と、混乱することがけっこうありました。舞台だと2時間ぶっ続けでどーんとできるので、ずっと集中してできるし、何十回も練習してるからそんなに混乱することもありません。今回の『Lemon&Letter』は、監督が最後までシナリオを良いものにしようと考え直していたので、本番前日くらいに出来た台本を渡されたりと、シナリオが変わることがけっこうありました。前のシーンをちゃんと思い出せたらすんなりいけるんですけど、これいつだったっけ?と考えてしまうと難しくて。でも、今回の経験でシーンごとの気持ちの切り替えができるようになったと思います。舞台は、工程から完成したものをお客さんに見せる時まで、役のことを考えることも全部好きなんですけど、映像はやっぱりまだ難しいなと思うことが多いです。でも、舞台とは全然違うことができる、ということが映像の面白さだと思います。舞台だと、日常的な普通の演技はあまりやらないので、等身大の自分を出せるというか、現代に生きるそのままの自分を演じられるのが映像だと思います。

自分の中で何か変化はありましたか。

――周りの雰囲気を良くしようと思うようになりました。ギスギスしたりして雰囲気が良くないと、みんなが焦って撮影が失敗して長引いてしまうので。色んな人に話しかけたりして交流を深めたり、撮影の時も笑顔でいることを心がけていました。みんな同じところに泊まって生活していたということもあって、スタッフさんたちともけっこう仲良くなれました。撮影中、すごく暑くて、メイクの方が日傘を差してくれたり、他にもびっくりするくらいスタッフさんたちに良くしてもらって、こんな女優で大丈夫なのかなと不安に思うこともあったんですけど、現場でどっしり構えているのも俳優として大事なことなんだと思うようになりました。

本広監督が総監督を務めた丸亀市をPRするショートムービー「HONETSUKIDORI」や本学が舞台となった「君と100回目の恋」にもエキストラとして参加していますが、どうでしたか。

――「HONETSUKIDORI」の時は、侍の役で少しだけエキストラとして出演させていただきました。でも、何度も撮り直しをするのはメインのアップになっている人で、エキストラだと1回良いものが撮れるとそれで終わりなので、楽しむことを第一にやりました。「君と100回目の恋」の時は、遠目から学校生活をしている様子を撮っていたので、すぐ近くで俳優さんの演技を見る機会はありませんでしたが、現場を学ぶという意味ではすごく大きかったです。スタッフさんの動きがすばやくて、助監督の方がどんどん指示を出して、エキストラ一人ひとりに声をかけていました。他のスタッフさんの細かい気配りもちゃんとしていて、俳優さんの立ち位置を全部チェックしている人もいて、すごいなぁと思いました。ひとつひとつのことをちゃんとメモしてやっていて、さすがプロだなと感じました。

『Lemon&Letter』をはじめとする映像作品での経験をこれからの将来にどう活かしていきたいですか。

――映像で学んだこと、自然な動きだとか表情の変わり方だとか、目の動かし方とか、そういうのは演劇でも使えるなと思います。そういう繊細な動きの大切さを本当に感じました。私はけっこうニュアンスとか感覚で動いてしまうので、繊細な動きを自分で意識して、動きを自覚しながらできるようになりたいと今回の経験で思いました。これからは、今のところ舞台をメインにやっていきたいと思っています。映像は、また機会があればやりたいです。来年またさぬき映画祭に関わることがあれば、今度はスタッフもやってみたいです。スタッフさんは大変そうなんですけど、すごく楽しそうでした。それに、監督がすごく一生懸命されていたので、監督の力になれたらなと思います。FM高松のラジオパーソナリティのお話もいただいていて、私は喋るのがあまり得意ではないんですけど、そういうことも経験してできるようになりたいなと思います。

映像作品や演劇に興味がある後輩へアドバイスやメッセージがあればお願いします。


――演劇を全力でやっていると、それ以外の人も目にかけてくれますし、出会いにもつながるので、そういう出会いを大切にどんどん進んでいってほしいです。自分から色んなところに行ったら、どんなことでもできると思うので、是非演劇やってみてください! たくさん出会いが転がっています。映画祭で知り合った方のおかげで丸亀市のショートムービーにも関わらせてもらいましたし、その方たちの劇団の東京公演にも招待していただいたりもしました。今回の『Lemon&Letter』も、私の公演を観に来てくれた梅木監督が声をかけてくれました。その出会いから、どうやって輪を広げられるかが大事だと思います。
私は、年に1、2回くらい自分で観劇ツアーをするようにしています。自分で行くと、東京は何本も公演をやっているので、当たりはずれがあって、自分が良いと思うものになかなか出会えないこともあります。もし演劇やりたい人が行くなら、とにかくたくさん観て、これだって思うものを見つけて欲しいなと思います。


映画『Lemon&Letter』Facebookページ
<『Lemon&Letter』あらすじ>
男木島出身のカメラマンを父に持つ主人公の(海斗・少年)~病気を患う母の希望もあり、祖父が漁師をする島に家族3人で帰ってくる~海斗少年が、小学5年の夏、東京から島にある親子が移住してくる。海斗と同じ学年の女の子(夕)~少年・少女の成長とともに繰り広げられる。島で暮らす家族と、海斗と夕の初恋成長物語を描いた映画作品。
本学の非常勤講師梅木佳子さんが企画・脚本・監督を、演劇コース3年氏原恭子さん、演劇コース2年伊藤快成くんが出演しています。
さぬき映画祭2017での上映は終了しましたが、次回の上映会も決定しています。
□5月27日(土曜日)10時~善通寺市民会館~
★さぬき映画祭優秀企画作品を地域へお届け!
映画「Lemon&Letter」&「W&M」善通寺市民会館上映会

さぬき映画祭2017
 
*丸亀市ショートムービープロジェクト「HONETSUKIDORI」

『君と100回目の恋』公式サイト
 本学ロケ地について
 
*FM高松 Action‼︎815 Challenge Thursday
氏原さんの担当は、毎月第2.4.5木曜日。

『人前に立つこと』

文学部 英語メジャー 2016年度卒業 中西晟也 くん
活動内容:『君と100回目の恋』エキストラ参加/きみともキャンディ主演ショートムービー『#24』出演

参加しようと思ったきっかけは何ですか。(『君と100回目の恋』)

――職員の方から軽音学部の部員にエキストラのお話をいただいて、興味があったので参加しました。元々テレビが好きだったので、出られるなら是非出たい!と思いました。

具体的にエキストラとしてどんなことをしましたか。(『君と100回目の恋』)


――撮影は3日間ありました。初日にエキストラ全員が集まって、助監督の方から説明を受けてそれぞれの撮影に割り振られました。軽音楽部からのエキストラは10人くらいいて、何度も同じ場所を歩いたりしていました。エキストラには台本がなかったので、どういう状況なのかは分からないままに撮影が進んでいきました。演技についてはあまり考えたりせず、ただただ指示されるままに歩いたりしていました。軽音学部の部室では、バンドの練習風景を撮影する時に僕たちが後輩として端で盛り上げているシーンを撮りました。楽器を持っている人がいて、僕はその演奏している先輩たちをカメラで撮影したり、タンバリンを持って盛り上げたりする役でした。このシーンの時は、こういう風にやって、つつき合いもあって、とか監督からの指示がありました。エキストラとして参加して、いつもとはまた違った大学の雰囲気を味わえて楽しかったです。

印象に残っていることはありますか。(『君と100回目の恋』)

――撮影中はすごく緊迫していて、カメラには入らなくても、役者さんの視界の方向には立つな、立つならカメラ方向に立て、ということを言われました。それは、役者の視界がズレたり、気が散ったりするからだそうです。撮影中、監督と話すことは少なかったんですけど、スタッフさんたちが部屋の配置とか機材を動かしている時に監督がずっとiPadを見てたんです。その時たまたま僕が近くにいて、ふいに「遊んでるように見えるやろ?これでも真面目に仕事してるんで」と話しかけられたことがありました。監督は面白い方で、時々こんな風に話してくれました。

『君と100回目の恋』の撮影に参加してみてどうでしたか。

――役者さんと話すのは駄目だと言われていたので直接話したりすることはできなかったんですけど、最後に監督からエキストラの代表として僕を紹介してくれました。役者さんやスタッフさんの前だったのですごく緊張してたんですけど、主演の坂口健太郎さんが「ヒューヒュー!」と場を盛り上げてくれました。主演の坂口健太郎さんとmiwaさんを実際に見ることができて嬉しかったです。

参加しようと思ったきっかけは何ですか。(きみともキャンディ主演ショートムービー『#24』)

――制作の踏み込みTV(株式会社インペックス)で働いている子が同級生にいて、高校生役が欲しいという話が僕のところまで回ってきました。その子から「撮影があって、男子高校生の役だけどどう?」と聞かれて、自分でよければと出演を決めました。はじめに演劇部の先輩がいるよ、とは聞いていたんですが、現場に行ってみて、同じ軽音楽部に所属していた先輩の藤原薫さん(本学演劇コース卒業生)がいたのには驚きました。先輩も僕が行くまで知らなかったみたいで、すごい偶然だなと思いました。

ショートムービー『#24』の撮影はどうでしたか。

――僕は、演劇部部員役として『#24』に出演しました。僕は演劇コースではないので、演技をするのは今回が初めてで、とてもドキドキしました。他の撮影を知らないんですけど、けっこう本格的でした。カメラマンさんのカメラの上に大きいモニターがついていて、それでずっと撮影していて、すぐにどんな映像かも確認できるようになっていました。何度も同じシーンを違う角度から撮っていたので、同じ台詞を何度も同じトーンで喋らないといけませんでした。藤原先輩との刀を使った殺陣のシーンも、何度も撮り直しがあって、同じ動きをするのは大変でしたが、面白かったです。それに、香川県を拠点として活動しているアイドルグループ「きみともキャンディ」と共演できたということも良かったと思います。

演技初挑戦ということですが、どうでしたか。(きみともキャンディ主演ショートムービー『#24』)

――シナリオをもらって、監督からこういう役作りでよろしく、ということを言われました。相手を睨むシーンでは、監督に「目つきを大事にして」と言われていたんですけど、普段人を睨んだことがないので難しかったです。もっときつく、と言われて何回か睨んではみたんですけど、なかなか睨めなかったです。目の演技は大変でしたが、本番になるとその場の雰囲気もあって、自分の中に役が降りて体が動く感覚がありました。完成した映像を見て、自分が面白かったです。自分で自分を見ることがないので、こんな感じで自分が演技してたのか、と不思議な感覚でした。

2つの映像作品に参加してみてどうでしたか。

――実は、テレビや映像に出演するは初めてではないんです。初めてのテレビ出演は、毎月第三土曜日の夜に放送しているKSB瀬戸内海放送の「報・動・力」でした。岡山のテレビスタジオで、アナウンサー、キャスター、水道橋博士がいて、僕は数十人の学生の一人としてひな壇に座っていました。最近の学生の恋がテーマだったんですけど、急に振られるコメントを自分で考えて答えなければいけなかったので、とても緊張しました。こういう経験もあって、今回の『君と100回目の恋』『#24』で、カメラの前に立つこと自体には抵抗もなく、あまり緊張しませんでした。それに、「報・動・力」の時のように自分でコメントを考えなくても、決められた台詞を喋ったり、台詞にあわせたアクションや演技を表現すればよかったので、楽しくできました。

何か新しい発見や学びはありましたか。

――テレビや映像関係のスタッフの方は、グイグイ話しかけても全部答えてくれました。遠慮しなくてもいいんだな、ということを学びました。逆にこっちが黙っているとスタッフの方も黙ってますし、話しかけたらどんどん話が弾む方たちばかりでした。

今回の経験を将来にどう活かしていきたいですか。

――人前に立つことに元々抵抗はなかったのですが、今回映像作品に参加したことで、さらに度胸がつきました。また、自分からスタッフの方に話しかける機会も多くあったので、年齢層や立場が違う人とも積極的にコミュニケーションがとれるようになりました。就職したら、人前で話さなければいけない場面や様々な立場の方と関わる場面が増えてくると思います。そういう場面で今回の経験を活かしていきたいと思います。

今回のような話があった時、参加を考えている後輩へのアドバイスがあればお願いします。

中西晟也くん
――ビビらなくてもいいと思います。自分から引いたりせずに、こうしたい!というのがあればそれを意見に出してやってみればいいと思います。興味があってもなくても、やってみると良いことがあるかもしれません。僕が無理矢理に引っ張って『君と100回目の恋』のエキストラに出演させた後輩は、miwaさんが好きで、別のシーンでmiwaさんと撮影が近くであって、待ち時間に本人に好きな曲のサビを歌ってもらったそうです。後輩は乗り気ではなかったですけど、現場に来てみたら良いことがありました。
人に引っ張られてでもやってみると良いことがある時もあるので、色々とチャレンジしてみてください。


『君と100回目の恋』公式サイト
 ・本学ロケ地について

きみともキャンディ主演ショートムービー『#24』

『映像の面白さ』

社会学部(演劇コース)2017年度卒業 逢坂涼介くん
撮影期間:5月27日(金)~5月29日(日)
場所:四国学院大学
活動内容:『君と100回目の恋』撮影スタッフの手伝い

撮影にスタッフとして参加しようと思ったのは何故ですか。


――演劇コースに入って、最初は役者として頑張っていこうと思っていたんですけど、途中で映像を作る側の面白さに気付きました。役者だけではなく、スタッフも演劇コースではやるんですけど、そこでカメラで撮るということがあって、自分でカメラを回してみると意外と楽しくて、編集も楽しくて、こっちの方が役者やってる時より楽しいなと感じるようになりました。ノトスは舞台がメインなので音響と照明はあるんですけど、映像のポジションはなくて、誰もいないなら自分がやろう!と思って2年生のはじめ頃から映像をやり始めました。それから、映画監督の本広克行さん(本学客員教授)が四国学院大学のCMを撮ることになって、でも本広監督は忙しいので若手の監督2人に任せる、となった時に、最近映像をやり始めているから、ということで西村先生に推していただいて、2人の監督さんに関わることになりました。CM撮影に関わっていたこともあり、今回、大学が映画『君と100回目の恋』のロケ地となるということで、良い経験になるのではないか、と職員の方に撮影の手伝いをする機会をいただきました。舞台に特化している大学なので映像は学べない、というところがあったので、映画の現場を学ぶならここしかない!と思って参加を決めました。

具体的にどのように撮影に関わりましたか。

――舞台の現場だったら動ける部分もありますが、映画の撮影では僕は素人なので、助監督の方に「何をすればいいですか?」と最初に聞きました。映画でクレーンとかを組んだりする特機班に関わることになって、物を運んだり、カメラをつるす機材を組んだり、といった手伝いをさせてもらいました。撮影の3日間、重機とか特機の方の手伝いをしていました。

今まで経験していた舞台と、今回の映像(映画)ではどのような違いを感じましたか。

――使っている物、テープ類とかは舞台と同じだったので、すぐに対応はできたんですけど、動き方とか役職も全然違っていました。舞台は、本番の掛け声がありません。ずっと稽古して、演出家さんが「ここもっとこうして」と指示を出したりして、稽古中スタッフはじっと座って見ている感じなんですけど、映画の現場は「よーい、スタート!」の本番の掛け声で、みんながピシっと止まりますし、「カット!」の掛け声で一斉に動き始めます。場面転換や衣装の人、カメラマンの人が一斉に動いて、本番になるとまたピタッと止まって、という動きにすごく新鮮さを感じました。3日間通して、これがプロか、これが映画の現場なんだな、と驚くことばかりで、舞台と全く違うなと感じました。
舞台は一貫通して起承転結全部きれいに通していくんですけど、映画はシーンがあってバラバラに撮影していました。キスシーンの後にすごく必死なシーンを撮っていたり、その演技の瞬発力というか、すぐにその演技が出せるのはドラマとか映画の俳優さんしかできない演技なのかなと思いました。気持ちの切り替えがすごいなと思いました。また、演出に関しても、舞台は台詞の言い方とか人間の動きが重要で、映像は目の開き具合、目の動きとか細かい演出が入ってくるので、演出の仕方もまた変わってきます。演技ではハテナマークとかビックリマークがつく表情をやるのが難しいと言われていて、僕も役者をやっている時に表情が硬いと言われていました。それに注目して演技を見ていたら、役者さんはすぐに表情をつくっていたのでプロはすごいなと思いました。

映像について、どんなことを学びましたか。


――将来はこういう映像の仕事に就きたいということを話すと、スタッフの方が機材の説明をしてくれて勉強になりました。それに、監督がカット割のミーティングをする、と言った時に瞬時にスタッフが集まって「ここで1カット、ここで2カット・・・・・・」とすごくテキパキと臨機応変に決められていたので、こういう判断力を求められるのだなと感じました。やっぱり舞台はお客さんが全体を見ているんですけど、カメラは四角い部分しか映せないので、その四角の中でどれだけ監督が演出してるのか、ということがすごく学びになりました。カメラマンさんの動きとかも見ていて、カメラを動かすローラーがあるんですけど、「あ、そう動かして撮るんだ」とか「ここから顔を映して撮るんだ」という発見もありました。
僕は将来、監督か演出をやりたいと思っています。監督は監督の仕事があってすごいなと思ったんですけど、一番すごいなと思ったのは助監督の方で、十数人いたエキストラの名前を一瞬で覚えていたんです。監督は役者との演技を固める話し合いをしているので、助監督がスタッフを集めて「ここのシーンはこうだからこういう風に動いてください」と指示を出したり、遠くにいるエキストラに指示を出したりしていて、その周りを見て管理できる能力というのはその監督や助監督から学びました。授業で映像の授業はあるんですけど、自分でテーマを決めて作品を撮る、独学に近いものだったので、今回は新しく学ぶことばかりでした。

これからの将来にどう活かしていきたいですか。

――今回、映画の撮影に関わらせてもらったことで、映像への知識や興味がさらに深まりました。将来は、テレビの映像や映画撮影などの現場にいけたらいいなと思っています。今はまた本広監督の撮影の下でお手伝いをされている方の手伝いをさせてもらっています。最近、舞台の方で僕が一眼レフのカメラを持っているので、写真を撮ってくれと言われています。これからも舞台や映像に関わっていく中で、今回、舞台とドラマ、映画での撮り方の違いなどを学ぶことができたのは大きいです。そして、今はノトスラボVol.10『ChamPle』の舞台監督をしています。これからも大学では舞台に関わりながら、隙あらば本広監督の下で映像も学んでいきたいと思います。そして、将来はみんなが足を運ぶ映画館で自分の作品を上演したいです。また、舞台でやっているお芝居とかの映像化が少ないと感じているので、映像にしたらどうなるんだろうという興味があります。

映像作品に関わろうと思っている後輩へアドバイスやメッセージがあればお願いします。

逢坂涼介くん
――動かないと何も始まらないですし、芸能界とか演劇とか芸術をやる人は動いた方が結果にはなるので、とりあえず行ってみた方がいいと思います。行ってみて違っていたらやめればいいし、とにかくその場所に行って体験して欲しいです。感じないと分からないので、合ってなければやめて、これだ!と思ったらまた色んなところに行けばいいと思います。実行してほしいです。
動けっっ!!


『君と100回目の恋』公式サイト
 ・本学ロケ地について

『将来を考えるきっかけに』

文学部 学校教育メジャー 2017年度卒業 古枝愛未さん
活動内容:女子学生による私の未来発見事業

参加しようと思ったきっかけは何ですか。

――私がピア・リーダーやリーダーシップ会議の活動をしている関係で、総合教育研究センターの方から「女子学生による私の未来発見事業」のお話をいただきました。正直、最初はあまり興味がなかったんですけど、メンバーを集めはじめて、どういうことをするのかを明確に考えるようになってからは、これは将来も使える!とどんどんやる気が出て来て、参加しようと決めました。

事前準備はどんなことをしましたか。

――本格的に活動し始めたのは8月の夏休みだったんですけど、それまでにどういう風に進めていくのかをみんなで話し合いました。動画を作成したり、編集したりすることがみんな初めてだったので、総合教育研究センターの方に相談したりしていました。事前説明会では、お手本となる動画などを見せてもらったり、機材の使い方を教えてもらったり、動画の編集方法やシナリオ構成の考え方などの説明がありました。申込みをする段階で誰を取材するのかを決めていたので、説明会に参加してより具体的に「ここはこうしよう」というイメージができました。

木戸亜耶さん(フリーアナウンサー)を取材しようと思ったのは何故ですか。

――メンバーのほとんどがピア・リーダーをしていて、オリエンテーションなどで木戸さんにお世話になっているので、みんなで木戸さんにしようと決めました。それに、木戸さんについてネットで検索してみると、イベントのMCだけではなくて、瀬戸内国際芸術祭で男木島のカフェをプロデュースしていたり、「さぬき讃フルーツ大使」に任命されていたりと、色々な方面で活動をされていたので、取材してみたいと思いました。

チーム名「ペリドット」はどのように決めたのですか。

――はじめ、チーム名が全然決まらなくて、遊びでメンバーの誕生石を調べていたのがきっかけです。ちょうど活動していた8月が、取材対象者の木戸さんのお子さんの出産予定日でもありました。調べてみると、8月の誕生石は「ペリドット」で、名前も可愛いし、宝石の持つ意味が幸福や希望、夫婦の愛などで前向きなもので、木戸さんへの取材内容とも合っていたので、チーム名を「ペリドット」に決めました。

実際に木戸亜耶さんにインタビューしてみてどうでしたか。

古枝愛未さん
――自分たちの将来のことを考えて、大学で学んだことがどう活かされたのかということと、女性が社会に出ていく中で厳しいことや乗り越えたことをテーマに取材していきました。
取材の時は、木戸さんが臨機応変に対応してくださって、本当に助かりました。ちょうど撮影の時期が学祭やサークル活動等で忙しく、なかなかみんなが集まれなくて、木戸さんの方が私たちに時間を合わせてくださって、申し訳なかったんですけど本当に有り難かったです。それに、取材する私たちの方が緊張してしまってたんですけど、木戸さんの方から話しかけてくださって、緊張をほぐしてくれました。実際に木戸さんが仕事をしているところも密着させていただいたんですけど、取材している時の表情とお仕事をされている時の表情が全然違っていて、切り替えがしっかりできている大人の女性だなと感じました。仕事をされている時も、インタビューで話してくれている時も、木戸さんの笑顔がすごく純粋で、とても印象的でした。純粋に仕事や人生を楽しんでいるからこそ出てくる笑顔なんだと思います。木戸さんは、仕事を続ける上で周りの人の協力は大事だけど、自分の思いを伝えることと、人から協力されるためにまずは自分が協力することが大事だと言っていて、私にはそれができているのだろうかと胸に響きました。

女性が輝ける社会について、どんな思いを持ちましたか。

――諦めないで欲しい、と強く思いました。女性は仕事もして家事もして子育てもして、男性は仕事、というイメージが強いです。まだ社会全体にそういうイメージがあるんじゃないかな、と私は思っていて、それを女性自身が「女だから・・・」と諦めないで欲しいと思いました。今回取材した木戸さんは、諦めずに自分のやりたいことをやっているからこそ輝いているんだと思います。そのためにはやはり周りの支えも必要です。木戸さんの旦那さんは、子育てに協力的で、お子さんを連れてきてくれた取材の日も旦那さんが一緒に来てミルクをあげたりしていました。インタビューの中で、木戸さんがベビーカーを押している時に見ず知らずの人がドアを開けてくれた、という話があって、それってすごく大事なことだなぁと感じました。今は人が社会の中で孤立しているというか、核家族が増えていることもあって、個々に存在している感じがして、そういう社会の中で人と人との思いやりや支えは大事だなと思います。そして、理解することと、理解されることも大事だと思いました。

今回の経験を通して、新しい発見や学びはありましたか。

――私はピア・リーダーをしているんですけど、今回「女子学生による私の未来発見事業」に参加して、人との関わりやコミュニケーションが今まで以上に大事だなと感じるようになりました。今は学生だから同年代の人たちと友達だったり先輩後輩だったりで簡単に人間関係を作れるのかな、と思うんですけど、社会に出ると同年代の人だけではないので自分からコミュニケーションを取っていかなければいけないなとすごく感じました。人との関わりを作ることが必要だなと思いました。

将来、どんな女性になりたいと思いましたか。

――私が目指しているものは教師なので、将来どんな女性になりたいかは考えたことがありませんでした。教師をしている先輩にはやっぱり憧れがすごくあって、大変な仕事だということも聞いているので不安な面もあるんですけど、頑張りたいと思っています。今回は女性がテーマだったんですけど、女性ができることを活かしながらも、性別に囚われないで負けずにいたいです。教育実習に行った時に指導担当してくれた先生が、小学校6年生の時の担任の先生でした。女性の先生なんですけど、お母さんみたいな存在で、どんな些細なことでも真剣に話を聞いてくれて、私もそういう先生になりたいと思いました。
木戸さんや憧れの先生、他のチームが取材していた女性の方の姿を見ていて、私も自分から進んで出て行って、女性としての誇りを持ちたいなと思いました。

今回のような活動に興味がある後輩へアドバイスやメッセージがあればお願いします。

古枝愛未さん
――是非、やって欲しいです。社会に出てからどういう方面にいくかはそれぞれなので分からないですけど、自由に自分がやりたいことをできるのは大学生の今だと思います。高校までは決められたカリキュラムの中で、敷かれたレールの上を走っているような感じですけど、大学生になるといっきに自由になります。その自由な時間を有効に使って欲しいです。今、何でも経験しておいたら将来につながるだろう、と私も様々な活動をしています。後悔することもありますけど、とりあえずやってみる、行動することが大事だと思います。


「女子学生による私の未来発見事業」
女子学生が自身の手本となる県内で活躍している女性を取材した動画を作成するとともに、その動画の活用を通して、女性の意識を改革し、あらゆる分野における女性の活躍を促進することを目的とした事業。
「こんな女性になりたい!」「こういう生き方に憧れるわ!」と思える女性を取材し、5分間のインタビュー動画を作成。
チーム名:ペリドット
取材対象者:フリーアナウンサー 木戸亜耶さん(2008年3月本学カルチュラル・マネジメント学科卒業)
・ 2017年11月23日(水・祝)に作品発表会が開催され、本学学生による動画は佳作。

「かがわ女性の輝き応援団」
インタビュー動画公開中。
香川県政策部男女参画・県民活動課