学生活動-サークル活動

『ラストイヤーに込めた思い』(サッカー部)

社会学部
吉田 源太郎 さん

四国学院大学香川西高等学校出身。
四国学院大学サッカー部。

 

 

 

Zeal Career第4回関東大学サッカー連盟新人交流戦U-19全日本大学選抜候補
U-19全日本大学選抜台湾遠メンバー
第3回全日本大学サッカー新人戦四国選抜チーム
第34回デンソーカップチャレンジサッカー中国・四国選抜メンバー
#atarimaeni CUP マン・オブ・ザ・マッチ選出
第35回デンソーカップチャレンジサッカー中国・四国選抜メンバー
全日本大学選抜候補
第76回国民体育大会香川県代表
第36回デンソーカップチャレンジサッカー中国・四国選抜メンバー

順風満帆ではなかったサッカー人生。
強い気持ちを胸に、キャプテンとして大学ラストイヤーに挑む。

サッカーを始めたきっかけを教えてください。

――フットサルをしていた父の影響です。4歳から、父の所属しているチームに毎週のように連れていってもらっていました。小・中学校は大阪のユースチーム、高校は親元を離れサッカーに集中できる環境を選びました。高校では、僕よりもできる選手がたくさんいたので、試合に出れない日々が続いていましたが、「負けず嫌い」な性格もあって、ひたすら練習に明け暮れていました。その反面、監督やコーチに注意されると、すぐに不貞腐れ、尖っている部分も多かったなと。高校3年の夏、ボランチから左サイドハーフへポジションを変えたことが転機となりました。練習をすればするほど上達する感覚に背中を押され、プロを目指すようになりました。

大学サッカーを続けるなかで印象に残っていることはありますか?

――同年代の選手のレベルの高さです。大学入学後、U-19全日本大学選抜候補に選ばれました。ここでは、経験や技術、フィジカル、すべてにおいて周囲との差を痛感しました。四国リーグでは点も取れ、自分中心の試合ができるのに、選抜に入ったら、自信があったプレーも通用せず、周りについていくのが精一杯。心が折れました。でも、この経験が「負けず嫌い」な僕をさらに駆り立て、負けたくないから練習をするし、頭を使ってプレーするようになりました。

プレッシャーやミスとの向き合い方は?また試合中に意識していることは?

――ネガティブな状況や感情を受け入れることです。ミスをすること、うまくいかないこと、怪我をすることは、誰もが経験する日常です。そういうことは起こりえるものとして受け止め、次どうするのか、プラスに考えるようにしています。特に、僕は、試合中、すぐにカッとなってプレーが雑になり、歯止めが効かなくなることがあるので、ボールを奪ったら、冷静に仕掛けていくようにしています。ただ、強気なメンタリティーを消してしまうと、自分のよさが出なくなるので、冷静にプレーしながらも、要所で強気な自分を出していく。メンタルをコントロールすることを意識しています。そこは、昔の自分とは大きく変わりました。

今後の目標を聞かせてください。

――チームとしては、四国制覇、全国大会ベスト16以上です。僕は、前キャプテンのように、言葉でチームを引っ張っていくタイプではありません。だから、自分らしく、プレーで引っ張る、ピッチで表現する、そういうキャプテンを目指しています。そうすれば自然と周りもついてくると思っています。また、本気で取り組む選手に対しては、本気で接してくれる監督や環境があるということに気付くこともできました。大学では、いろいろなサッカー観に触れることができるので、人間的にも技術的にも大きく成長できると思っています。僕自身の目標は、プロサッカー選手です。高校3年のとき、不運が重なり、プロへの道が閉ざされてしまいました。くすぶっていた時期には、サッカーを辞めたいと思うこともありましたが、僕を支えていたのは負けたくないという闘争心でした。プロの世界で活躍し、子どもたちに夢を持つことの大切さを伝えていきたいです。僕も子どものころ、サッカー選手に夢を与えてもらいました。今度は僕の番だと思います。


サッカー部
サッカー部HP


 

 

 

 

 

『成長の鍵は競争心』(硬式野球部)

社会学部 宇座 幸太郎 さん

沖縄県立宮古高等学校出身。
四国学院大学硬式野球部。

2021年四国六大学野球春季リーグベストナイン
2021年四国六大学野球春季リーグ最多打点

全国大会出場の常連校であり、プロ野球選手も輩出している硬式野球部。
沖縄を離れて活躍する宇座さんに、大学野球で成長したことを話してもらいました。

 

2021年秋季リーグ戦を振り返っていかがでしょうか。

――4番を任されたことへのプレッシャーから、体が思うように動かず、大切な場面で勝ちきれないメンタルの弱さが課題として見つかりました。自分の弱さを受け入れ、自信をつけるために、ひたすら練習に取り組んでいます。リーグ戦の調子は悪かったのですが、試合のライブ中継を見てくれていた父から「タイミングは合っている。打てなくても次頑張ればいい」とアドバイスをもらい、結果は気にせず、思い切りやろうと切り替えることができるようになりました。

四国学院大学へ進学した理由を教えてください。

――進学の決め手となったのは、高校の野球部の先輩が四国学院大学で野球を続けていたことです。大学野球は自主性が求められるので、自己管理の大変さを聞いていましたが、充実した生活を送っている先輩を見て、四国学院大学への進学を決めました。沖縄出身の選手も多数いますし、今のチームは練習に取り組む意識が高いので、技術を上げるのには良い環境だと思います。また、ベースボール科学メジャーや健康・スポーツ科学メジャーなど、専門的に学べるカリキュラムも充実しています。他の大学からもお誘いをいただきましたが、いろいろと話を聞いていく中で、野球に集中できる大学だと思い、進学を決めました。

忘れられないできごとはありますか?

――大学2年の夏、バッターが打ったボールが網を貫通し、顎に当たり、大怪我をしたことです。当たった瞬間は何が起きたのか分からず、ただ耳鳴りがしていました。痛みよりも完全に下顎がズレている感覚がありました。約1ヶ月間、衝撃でズレた歯を戻すために矯正をし、流動食を食べていたので体重も5キロ落ちました。復帰後は、すぐにトレーニングを開始したおかげで、早い段階で試合にも出れるようになりました。意外と体は忘れていないなと思いました。この怪我があったからこそ考える時間ができ、チームや自分自身のことを振り返る良い機会になったと思います。

大学野球を続けるなかで変わったことはありますか?

――競争心が生まれたことです。大学野球は高校野球以上に実力主義です。そのため、学年や年齢に関係なく、結果を求められるので、厳しさを感じるときもありますが、ストイックに練習に取り組む実力のある選手を見て、僕も負けないようにと思えるようになりました。やるのもやらないのも自分次第です。また、高校生の頃より柔軟性が身に付いたと思います。野球部には、プレースタイル、考え方、本当にいろいろな人がいて、そのような環境の中で野球をするというのは、柔軟に対応することを意識しないとやっていけないと気付かされました。

今後の目標を聞かせてください。

――来春のリーグ戦で優勝し、全国大会に出場することです。このリーグ戦が終われば引退を考えています。野球人生最後の1年ですので、充実した野球生活を送り、キャリアハイの成績を残したいです。


硬式野球部
硬式野球部HP

『ゼロからのスタート』(陸上競技部)

社会学部 中島 澪哉 さん

高知県立安芸中・高等学校出身。
四国学院大学陸上競技部。
 
第74回国民体育大会高知選考会(男子 100m優勝)
2019年度香川陸上競技協会記録会(男子 100m優勝・男子200m2位)
第42回中国四国学生陸上競技選手権大会(男子 100m優勝・男子200m2位)
第43回中国四国学生陸上競技選手権大会(男子100m2位・男子200m優勝)
第58回 近県陸上競技カーニバル大会(男子100m優勝)大会新
第75回中国四国学生陸上競技対校選手権大会(男子100m2位・男子200m2位)
第44回中国四国学生陸上競技選手権大会(男子200m2位)

怪我に悩み、大学での練習に戸惑い、逆境を乗り越えながら陸上と向き合ってきました。
中島さんはどのような思いで競技に取り組んでいるのでしょうか。そして、今後、何を目指しているのでしょうか。

陸上を始めたきっかけは?

――小学生の頃、地元の先輩が駅伝をしている姿を見て、陸上を始めました。先輩が走る姿がテレビ中継されていて、ランナーってかっこいいと思っていました。その影響で、小学校の陸上クラブに入り、中学・高校、そして大学と陸上を続けています。僕は短距離が専門です。短距離は、努力すればするほど、記録に反映されるので、走りこめていないときは、残酷なほど結果に表れます。また、陸上界では、0.01秒で約10センチの差がつくと言われています。そのため0.1秒を縮めるためには、100センチ先を走らなければいけません。0.1秒のために、日々トレーニングに取り組んでいます。

陸上を続けるなかで大変だったことは?

――高校3年のとき、全国につながる大会で怪我をしたことです。僕は100メートル競技で優勝を狙える記録を持っていたので、「いつも通りの記録を出せば、全国は間違いない」と言われていましたが、走り幅跳びで、怪我をしてしまい、本命の100メートル競技に参加することさえできませんでした。苦労したのはここからです。次に国体の選考会を控えていたので、気持ちを切り替えて練習しようと思いましたが、怪我が治らず、出場はできませんでした。何とか怪我を治し、高校最後には、自己ベストを更新することができました。怪我をしたことが、陸上に対する姿勢を見つめ直すきっかけとなりました。高知県では、常に上位の記録を出し、負けた経験も少なかったので、自分を過信していたのだと思います。自分の甘さが引き起こした怪我だと感じました。怪我をしている間は、「もう走れるだろう」と気持ちは前向きでしたが、怪我が思うように治らず、焦る毎日でした。地道に筋トレに励んだことが、大学入学後の自己ベスト更新という結果につながったと思っています。

大学進学後、変わったことはありますか?

――練習方法、練習に対する考え方です。高校のときは、与えられたメニューに取り組み、一つひとつ監督がアドバイスしてくれていました。大学では、与えられたメニューをこなし、あとは自分で走りを振り返り、課題を見つけていきます。もちろん監督からのアドバイスはありますが、どうしてこの練習をするのか、課題をクリアするためにはどのような練習をすればいいのか、これまで以上に自分で考えて取り組んでいきます。中高一貫校で、6年間同じ環境の中、陸上を続けてきた僕には、戸惑いも大きく、入学当初はとても大変でした。そのような中でも「一つひとつ細部まで丁寧に教えてくれない」と考えるのか「自分で考えるチャンスがある」と考えるのかで、結果は大きく変わると思い、ゼロからスタートしようという気持ちで改めて陸上と向き合うようになりました。自ら進んで取り組むようになって、今まで以上に陸上が楽しくなり、自然と結果もついてくるようになりました。自分で考えることで、強くなっていけるのが大学陸上の面白さだと思います。

今後の目標を教えてください。

――来年の日本インカレに出場し、決勝の舞台で戦うことです。中学・高校とライバルとして戦ってきた選手と全国の舞台で再会できることが楽しみです。ライバルでありながら、お互いに刺激を受け合いながら大舞台を目指しています。また、どのような状況でも応援してくれる両親や監督がいてくれたので、陸上を続けることができたと思っています。サポートしてくれる周囲への感謝の気持ちを込めて、目標に向かって走り続けます。


陸上競技部

『英語って楽しい!』(ENGLISHCLUB)

文学部 シマブコロ マイケル ジェイさん

香川県立高松高等学校出身。

みんなと英語で会話したい!英語で話すことは楽しい!そんな気持ちでENGLISHCLUBを立ち上げたシマブコロさん。大学での学びやアルバイトの経験を活かした将来の夢を話してくれました。

 

 

ENGLISHCLUBを立ち上げたきっかけを教えてください。

――英語で話すことの楽しさを知ってほしいと思ったからです。中学、高校、大学と、長い時間英語を勉強してきたのに、話せない友人がたくさんいることにショックを受けました。友人に 「英語ができるようになりたい?」「海外へ行きたい?」と聞くと、みんな「できるようになりたい!」「行きたい!」と答えてくれましたが、一方で“話せないから楽しくない”という自信のない気持ちを常に抱えていることに気付きました。それは、暗記中心で勉強してきたため、英語を聞いたり、話したりする練習が不足しているからだと思いました。単語を多く覚えても、会話の練習が足りないと、英語で話すことはできません。それなら、楽しく、英語で話す環境をつくろうと、ENGLISHCLUBを結成しました。

どのような活動をしていますか?

――ENGLISHCLUBでは、英語=勉強ではありません。ゲームや映画を通して、自然と英語に慣れることを大切にしています。もちろん、勉強も必要ですが、英語に触れる環境にいることで、少しずつ理解できるようになります。(続けることが大切!)僕は、3年間、日本語を勉強して高校へ入学しました。初めは、周りとうまくコミュニケーションが取れず、苦労しましたが、日本語を使う環境でいることで、耳が慣れ、スムーズに会話できるようになったと感じています。大学では、英語の授業を中心に受講しています。自分の英語力向上のためだけではなく、授業の構成の仕方や教え方など、教授からもたくさんのことを学んでいます。四国学院大学には外国人の先生方も多いので、自分の世界が大きく広がります。また、学童クラブで小学生に英語を教えるアルバイトをしています。英語や歌、外国の文化を子どもたちに教えています。ここでは、聞くこと、書くこと、話すことを意識し、簡単な英語を使いながら、ひとりひとりをよく見ながら教えるようにしています。例えば、疲れていて集中力がなかったり、力があまっていて集中できなかったり…という日は、ゲームを取り入れながら教えています。子どもたちは「マイケル先生~!」と集まってきてくれるので、とても可愛いです。他にも、通訳や家庭教師のアルバイトをしています。

学業、サークル、アルバイト、忙しい中で、活動を続けている理由は?

――人と関わることが好きだからです。様々な人と関わると、視野が広がり、勉強になることがたくさんあります。国籍や年齢に関係なく、これからも様々な人と交流していきたいと思っています。

将来の夢を教えてください。

――教員になり、日本で、子どもたちに英語を教えることです。現在、教えている子供たちのほとんどは、まだ将来の目標を持っていません。でも、将来の目的を達成するためには、英語が使えることも大きなメリットになるということに気付いて、自信を持って英語を話すようになってほしいと思っています。僕自身、子どもたちとの関わり方がうまくいかず、落ち込むときもありますが、「失敗してもいい。Try and try!」の気持ちでポジティブに取り組んでいきたいと思います。

『息を合わせること』(ハンドベル・クワイア)

社会福祉学部 こころとからだの福祉メジャー
大西 くるみ さん
飯山高等学校出身。ハンドベル・クワイア。

本学のチャペルアワーや入学式などの学内行事で、美しい音色を奏でてくれるハンドベル・クワイア。
その美しい音色に魅せられ、ハンドベル・クワイアに入ったという大西さんに、ハンドベルの魅力や学生生活についてお話を聞いてみました。

 

ハンドベル・クワイアに入ったきっかけを教えてください。

――高校生の頃、知り合いの方からコンサートがあることを聞き、3月のフェアウェルコンサートに行ったのがハンドベル・クワイアを知ったきっかけです。ハンドベルの演奏はすごくきれいで、とても感動する音色でした。四国学院大学への入学は決まっていたので、サークルに入るならハンドベル・クワイアにしようと決めました。入学して、実際に体験させてもらったら、入りたい気持ちがもっと強くなりました。音色ももちろんきれいなんですけど、今まで見たこともない楽器ということで興味もありました。先輩方が1音鳴らすだけで褒めてくださって、あたたかみのあるサークルだなと感じて、ここで一緒にひとつの曲を演奏してみたいと思いました。

四国学院大学への入学を決めた理由を教えてください。

――オープンキャンパスの模擬授業で、自分が学びたいことを見つけられたからです。オープンキャンパスに参加する前は、他の大学への進学を考えていました。それまで私は、子どもに関わる学びが自分に合っていると思っていて、高校でも子どもに関することを勉強していたのですが、何か違うと感じていました。そんな時、高校から必ず2校のオープンキャンパスに行くようにと言われ、近いからという理由で四国学院大学のオープンキャンパスに参加しました。その日はちょうど「こころとからだの福祉メジャー」の模擬授業が行われていました。参加してみると、すごく興味がわいて、学んでみたい!という気持ちになり、四国学院大学へ進路変更しました。内容については分からないことも多かったんですけど、模擬授業をされていたメジャー・コーディネーターの富島先生の話が面白くて、この先生の下で学んでみたいとも思いました。精神保健福祉への興味も少しはあったので。

実際に入学してみて、どうですか。

――学びたいことを自分が決めて学べるし、その中でいろんな人との関わりがあります。入学前は、一つの学部の中でその学部にいる人とのつながりしかないイメージを持っていたんですけど、実際はそうではありませんでした。私の友達には社会学部の子や文学部の子がいるし、いろんな学部の人と関わりを持てて、そこからまた新しい人と出会えて、すごく楽しいなと思います。教授とのコミュニケーションも、けっこういろんな話ができていいなと思います。メジャーの先生に覚えてもらって「最近どう?」と話しかけてもらったり、授業中にあてられたり、そういうのは今までにないことで楽しいなと思います。
「現代倫理の諸課題」の授業では、学部学年関係なく受講しているので、本当に面白いです。先生方の熱がヒートアップすることや、議論のぶつかり合いなどがあって、でもその中で学びが深まっていっていると感じています。一つ一つのテーマも、昔のことではなく今現在に起こっていることやこれから私たちが経験するであろう問題など、今まで考えることがなかったことを考えさせられます。この授業をとっていなければ、自分の固まった価値観、狭い視野でいろんな物事を見てしまっていただろうなと思います。

ハンドベル・クワイアでのやりがいや楽しみはどんな時に感じますか。

――練習を重ねて、本番を何度か経験する中で、みんなと息が一つに合って、私たちの目標としている“歌っているような曲をつくる”ことができた時は、鳥肌が立つほど感動します。練習の中では、「本当にできるのだろうか?」「あと0.5秒の差なのに……」と微調整ばかりで、自分が本当に成長しているのか、うまくなっているのか分からない時もあるんですけど、それが成功した時は本当に病みつきになります。

今は、「いつくしみ深き」などの宗教曲や練習で「わたしのお気に入り」(JR東海で流れている曲)を演奏したり、これから聖歌隊とのコラボ曲の練習も始めようとしています。まだどうなるか分からないんですけど、以前小豆島のハンドベルクラブの方とコラボさせてもらったことがあって、そのハンドベルクラブの方からまた一緒に演奏したいというオファーがあり、それに向けた練習もしています。前回のコラボの時は、私たちが4曲、ハンドベルクラブが1~2曲、私たちとハンドベルクラブの合同で1曲を披露しました。私自身はクラブの方とお話していなかったのですが、楽器を通して1つのことを為すというのはすごいなと感じました。

ハンドベル・クワイアではどんな役割を担当していますか。

――私は、最初は中音のベルからスタートしました。それからだんだんと下の音へとおりていって、一年生の最後はテナーを担当していました。先輩たちが卒業して担当パートが変わる際、低音を担当することになりました。低音の大きいベルは1キロ近くあるので、重さはあるし、慣れていないし、ベルが大きくなれば中のハンマーが当たる時間も全然違うので、ひたすら練習あるのみでした。何回やってきても、本番はやはり緊張します。私自身がベースとして、土台としての役割がちゃんとできているのかなと思うこともあります。大きく主張はしなくても、しっかり支えていないと他の中音や高音が活かされないので。
でも、先輩と話している時に、私が一番安定していると言われた時は、頑張ってきてよかった! と本当に嬉しかったです。

ハンドベル・クワイアの魅力や好きなところを教えてください。


―― 一つの音なんですけど、誰かが代わりに持つと違うものになったり、人の性格やその時の体調が音に現れるのですごく面白いです。
一つの曲を完成させるには他の部員と息を合わせたり、強弱を統一したりする必要があります。そういったことを通して、相手をみることを鍛えられていると思います。「あの人はこういう鳴らし方をするから、私はどう合わせたらいいか?」ということを考えたりもしますし、チームで一つのものを作り上げていく大切さを学ばせてもらっています。同じ学年以外の先輩や後輩たちとの関わりもすごくあって、それぞれで悩むこともあれば、遠慮することもあったり、逆にさらけ出すこともあるので、先輩後輩を持つってこういうことなんだと分かりました。先輩から教わってきたことがあるから、今の自分が自信を持ってベルを振れるということもあるし、後輩がいるからこそ引っ張っていく先輩として相手のことを考えることもできるし、中高では体験できなかったことを今体験させてもらっています。

大学生活でのこれからの目標を教えてください。

――今は、精神保健福祉士の資格取得を目指していて、来年実習に行くことになっているのですが、来年の2022年に資格を取れないと2023年度はカリキュラムが大きく変わるので、受からないと!というプレッシャーがあります。テキストをみていてもかなりの量があるので自分にできるのか不安もありますが、国家資格を取得したいと思って入学した過去の自分のためにも、諦めずに頑張りたいと思っています。チャレンジして駄目だった時は仕方ないと思うのですが、やる前から諦めることはせずに自分で決めたことは最後までチャレンジし続けたいです。

ハンドベル・クワイアでのこれからの目標を教えてください。

――リーダーシップをとる3年生として、後輩たちに何を残していけるだろうということを考えています。どうすれば次の世代も楽しんで、曲を仕上げることができるだろうか、と。練習がきついと苦しいだけだと思うので、やっぱり楽しんでもらいたいというのが一番ですし、それぞれがベルに対する思いを持ってくれたらいいなと思います。自分に何ができるのか考え中なんですが、少しずついろんなことを教えながら、自分も成長していきたいです。

ハンドベル・クワイアに興味がある方へ向けてメッセージをお願いします。

――私も経験ゼロからのスタートだったので、ベルに触ったことがないという人も大歓迎ですし、音楽が大好きだ!という人も大歓迎です。


ハンドベル・クワイア(公認CC サークルページ)

『前向きに走ること』(陸上競技部)


社会学部 藤田真緒さん

四国学院大学香川西高等学校出身。四国学院大学陸上競技部。
第75回中国四国学生陸上競技対校選手権大会 女子 400mハードル1位。

中国四国学生陸上競技対校選手権大会では、女子400mハードルで創部以来初の優勝を飾った藤田さん。
小学生の頃から続けてきた陸上競技について、お話を聞かせてもらいました。

 

四国学院大学へ進学した経緯を教えてください。

――私は、小学生の頃から陸上競技を続けてきました。小学生の時はハードル、中学生の時は走幅跳をしていたのですが、高校生の時はハードルだけに集中してきました。そのおかげで高校3年生の大会では、400mハードルで全国大会に出場することはできました。けれど、納得のいく結果を残すことが出来ませんでした。大学でもまたチャレンジしたいと思い、高校の時に指導してくださっていた青海コーチがいる四国学院大学に進学を決めました。それに、学びたいことを見つけるためにも、入学後に学びを自由に選べるメジャー制度は合っていると思いました。

 

400mハードルと走幅跳を競技する選手は珍しいそうですが、二つの競技にはどんな魅力がありますか?

――400mハードルは、ハードル間の走りや歩数、歩幅などを調整しながら競技できます。ハードルを越えながら走っていくなかで自分の思い通りに走れている時はとても楽しいです。ハードルという障害物があるのでレース展開がどうなるか分からないのが魅力だと思います。
走幅跳は、技術力や助走の流れなどが大事でそれを追求することで記録の向上につながり、自己ベストを出せた時はとても嬉しく思うのでそこが魅力だと思います。

 

陸上競技をしていてよかったと思うのはどんな時ですか?

――大会で良い記録を出せた時やたくさんの人たちが応援してくれた時です。
また、いろいろな人と出会えて喜びなどを共有できる時です。

 

陸上競技部での練習や競技をする上で気を付けていることはありますか。

――陸上競技部は、火曜日が自主練習で木曜日と日曜日がオフでそれ以外は全体練習日です。練習メニューは、青海コーチが考案してくれています。自分でトレーニングメニューを考えて練習することは難しいのですが、自分でしっかり考えて練習している先輩や同期がいて尊敬しています。自分では、余計な食べ物を食べないようにしていたり、練習中や大会で良い動きができるよう日々の体のケアをしたりして気を付けています。課題がたくさんあって良いフォームを身に付けられるよう走っています。怪我をしたり、記録が伸びなかったり、調子が悪い時には、「明日は走れる」と前向きに考えるようにしています。

 

第75回中国四国学生陸上競技対校選手権大会の感想を聞かせてください。

――コロナの関係で出場できていない選手がいる中での優勝だったので、複雑な気持ちもあるのですが、自己ベストに近い記録を出すことができたので嬉しかったです。走幅跳でも決勝に出場することができました。今後も記録を伸ばしていけるよう練習を頑張りたいと思います。

 

これからの目標を教えてください。

――4年間ある中で日々練習を頑張り、全国で戦える選手になることです。400mハードルでは50秒台で走ることと、走幅跳では6mで跳ぶことが目標です。将来は、スポーツに関わることをしたいと思っているので、これからスポーツに関することを学んでいきたいと思っています。


陸上競技部
■大学HP関連記事
・第75回中国四国学生陸上競技対校選手権大会にて、陸上競技部学生が優勝(2種目)しました。

『自分を変えてくれたコーチとの出会い』(陸上競技部)


社会福祉学部 吉川愛莉
 さん

四国学院大学香川西高等学校出身。四国学院大学陸上競技部。

2020年度香川陸上競技選手権大会女子ハンマー投1位。
第46回中讃地区陸上競技大会女子ハンマー投1位。
天皇賜盃第89回日本学生陸上競技対校選手権大会女子ハンマー投10位。
第43回中国四国学生陸上競技選手権大会女子ハンマー投1位。
全国高等学校陸上競技大会2020 兼 U20 全国陸上競技大会女子ハンマー投3位。

跳躍競技からハンマー投への転向を決めた吉川さん。そこでのコーチとの出会いが吉川さんを大きく変えていくことに。4年間でどこまでいけるか、意気込みを語ってもらいました。

 

ハンマー投を始めたきっかけは?

――小学校では幅跳び、中学校では高跳びが専門でした。ハンマー競技に転向したのは、中学校のときに所属していたクラブチームのコーチから声をかけてもらったことがきっかけです。ご縁があり、元日本記録保持者の綾真澄さんに指導していただけることになり、転向を決めました。高校でも綾コーチの指導のもと、技術を磨きました。高校卒業後は、県外の大学で、いろいろな選手にもまれながら強くなろうと思っていました。でも、綾コーチを超える指導者はいないと思い、コーチのもとでハンマー投を続けられる四国学院大学へ進学しました。自宅から通え、大学近隣に陸上競技場もあり、とてもいい環境だと思います。四国学院大学陸上競技部は2019年度に指定課外活動団体として発足しました。それぞれの目標に向かって、成長を続けています。周りの部員たちから影響を受け、私もしなくてはと自分を奮い立たせています。現在は投げ込み練習を中心に、筋力アップのためのウエイトトレーニング、走り込みを欠かさず行っています。

いちばん印象に残っている大会を教えてください。

――2020年8月の天皇賜杯日本学生陸上選手権大会です。今年は、新型コロナウイルスの影響で、標準記録を突破した選手の中で全国から20位までが出場資格となっていました。大会前の香川県大会で標準記録をクリアし、全国大会に出場することができました。私は1投目、2投目…と回数が増えるごとに記録が伸びなくなるタイプなので、1投目から飛ばすつもりで投げました。結果は10位。大会前は調子が良く、本番でも気持ちをうまく持っていけたのに、結果を出せず、悔し涙を流しました。この悔しい気持ちが契機となり、さらに真剣にハンマー投と向き合うようになりました。結果が出なかった原因は調整不足だと感じています。ハンマー投は調整がとても大切な競技です。大会に向けて、追い込みをかけながらも、体を休ませ、最高のコンディションをつくっていきます。私は疲労が溜まりにくいタイプなので、しっかり追い込みをしていれば結果は違ってきたかもしれません。自分の体を知ることがいかに重要かを教えられた大会になりました。

綾コーチの指導を受けるようになって変わったことはありますか?

――「考えて投げる」ようになったと思います。ハンマー投を始めてすぐのころは、技術を身に付け、感覚で投げれば、順調に記録が伸びていました。でも、ある程度のレベルまではいけてもそれ以上は伸びないというスランプに陥りました。結果が出ないことへの焦りから、コーチの指導を聞かず、ただ、がむしゃらに練習をしていました。素直に指導を聞けないことを注意され、不貞腐れる。そんなことを繰り返していました。そのような状況でも、いつもと変わらず丁寧な指導をしてくれるコーチを見て、このままではいけないと思うようになりました。どうすれば飛ぶのか、何をすべきなのかを考えるようになり、「感覚で投げる」ハンマーから「考えて投げる」ハンマーへと変わっていったと感じています。考えて投げることで、徐々に指導も理解できるようになりました。
綾コーチは練習に関しては、とても厳しい人です。でも、投げ方がいつもと違うときや、不安な気持ちを抱えながら投げているときなど、少しの変化にすぐに気付いてくれ、的確なアドバイスをしてくれます。良い指導者に出会えたことは、本当に幸運なことだと感じています。

これからの目標を聞かせてください。

――大学4年間、本気でハンマー投に取り組もうと思っています。高校3年の夏、不完全燃焼だったインターハイ終了後に、このまま引退するのかどうか、とても悩みました。インターハイ前は、看護の道へすすむことを決めていましたが、どうしても諦めきれなかった私は、4年間だけという母との約束で、ハンマー投を続けています。4年後のことはあえて考えていません。先のことより、今できることを全力でやるだけです。そうすることで、新しい道が拓けると信じているからです。


■陸上競技部

■関連記事
・U20全国陸上競技大会にて入賞しました。(2020-10-26)
・陸上競技部が第43回中国四国学生陸上競技選手権大会で入賞しました。(2020-10-06)
・陸上競技部が2020年度香川陸上競技選手権大会で入賞しました。(2020-07-24)

『プロの世界へ』(硬式野球部)


社会学部 ベースボール科学メジャー 2020年度卒業 
水上由伸さん

帝京第三高校出身(山梨県)。四国学院大学硬式野球部。
キャプテンとして持ち前の前向きな姿勢とプレーでチームを引っ張り、3年秋には投手として最多勝利、最優秀防御率、ベストナイン投手などのタイトルを獲得。自己最速150㎞を記録するなど、チームの勝利に貢献してきた。

2020年10月26日(月)に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズの育成5巡目で指名され、プロへの一歩を踏み出す水上由伸さんにお話を聞いてみました。

野球を始めたきっかけを教えてください。

―元々は空手をしていたのですが、野球を始めたのは小学校4年生の時に友人に誘われたのがきっかけです。あまり覚えていないのですが、小さい頃は父とよくキャッチボールはしていたみたいです。『由伸』という名前も、父が好きな巨人の高橋由伸前監督からつけてくれました。
僕が思う野球の魅力は、どんな場面でも一球でゲームが動くところだと思います。
小学校4年生で野球を始めてからは、ずっと野球一筋です。最初に始めた時から、ポジションはピッチャーを希望していました。四国学院大学でのポジションは、バッターからのスタートでした。でも、3年生でピッチャーになり、自分がどんな球を投げられると嫌だったか、ということが分かるようになったので、バッターを経験していてよかったと思います。

四国学院大学への入学しようと思った決め手は何ですか。

―高校3年生の時、プロ志望届を提出しましたが、名前を呼ばれることはなく、悔しい思いをしました。この先どうしようかと悩んでいる僕に声をかけてくださったのが、四国学院大学硬式野球部の橋野前監督でした。野球がしたいという思いで、すぐに四国学院大学への入学を決めました。
実際に入学してみて、すごく充実していて楽しいです。1年生の時から試合に出させていただけて、全国大会も経験できて、四国学院大学で野球ができてよかったなと思っています。

硬式野球部ではどんな練習をしていますか。

―練習は、自主性を基本としているので、トレーニングメニューなどは自分で考えています。そういう面では自分で考える力がついたと思います。マネージャーとマネ室で話したり、仲間の助けもあって、僕一人では今回の指名もなかったと思うので、僕を支えてくれた方々にはすごく感謝しています。

ドラフト指名を受けた時の気持ちを教えてください。


―名前を呼ばれた時は、鳥肌が立ちました。素直に嬉しかったです。
今回は候補者が多かったので、その中で呼ばれたということは本当に嬉しかったです。でもまだ育成なので、上しかないと思っています。
大好きな野球を全うして、少しでも早く一軍で投げたいです。まだまだこれからなので、頑張っていきたいと思います。
今回、多くの報道関係者の方に取り上げてもらえて、僕だけでなく「四国学院大学」という名前が多くの人に知っていただけることが一番嬉しいです。
これで四国学院大学を知って、硬式野球部の部員数や入学生数が増えてくれたらいいなと思います。
また、プロ野球で指名を受けるのは、地元の長野県宮田村では僕が初めてということで、村を上げて祝福してくれて嬉しかったです。

実際に球団の方に会ってみてどうでしたか。


―自分が思っていた以上に評価していただけたので、すごく嬉しかったです。
早く一人前になって、渡辺さん(※1)を喜ばせたいと思います。
今はチームに入ることがすごく楽しみです。
ゲームやテレビの世界の人たちと一緒にプレーできるので、楽しみしかないです。

(※1 埼玉西武ライオンズの育成・アマチュア担当チーフ補佐 渡辺智男氏)

憧れのプロ野球選手はいますか。

―元々、野球が好きで始めたときからプロになると思って練習してきたので、自然とプロを目指していました。特定の人に憧れて野球を始めたという訳ではないので、これから自分のスタイルを確立していけたらいいなと思っています。
今回のドラフト指名では、後輩たちへのいい刺激になれたかなと思っています。期待できる子もたくさんいるので、これから続いていってほしいです。

キャプテンを経験して成長したと感じる部分はありますか。

―キャプテンというだけでなく、僕はピッチャーだったので、一番見られる立場でした。あまり言葉にするのは得意ではないので、キャプテンらしいことはできなかったかもしれないんですが、プレーで示せたかなと思います。僕は元々ポジティブな方なので、ピンチをピンチだと感じずにいつも通りの試合をしていたら、結果がついてきてくれました。チームを背中で引っ張ることはできたかなと思います。それに、僕が崩れたらチームが崩れてしまうので、絶対に崩れないという気持ちはいつもありました。強気になれたし、キャプテンになったことでさらにメンタルも強化できたと思います。

大学での学びがプレーに活かされたことはありましたか。

―授業で野球の歴史を学び、メジャーリーガーの映画などを観て、自由に野球ができていることが幸せなことなんだと感じました。モチベーションにもつながりましたし、試合でも気合が入りました。初めて観る映画も多く、知らなかったことを知ることができてよかったです。また、「トレーニング論」の授業では、トレーニングをする際の注意点や知らなかった基礎的なことを学ぶことができたので、練習に活かすことができました。自分のトレーニングメニューを考える上でも役に立ちましたし、自分の体にも活きてきていると思います。

これからの目標を教えてください。

―まず、プロの世界に入ることは達成できたので、ここから支配下になって10年以上活躍することがいまの目標です。

硬式野球部に興味がある後輩に向けてメッセージをお願いします。

―大学4年間は長いと思っていたのですが、すごく短かったです。僕は、まっすぐに野球が好きな気持ちを持って4年間頑張ってきたからこそ、今回の指名にもつながったのだと思います。野球が好きで入ってきたなら、野球が好きという気持ちを4年間忘れずに、目標に向かって頑張ってほしいです。


硬式野球部HP

■関連記事
社会学部4年 水上由伸がドラフト指名されました!(2020.10.17)
埼玉西武ライオンズの担当者が水上由伸選手への育成指名挨拶に来学しました。(2020.11.5)
水上由伸選手の埼玉西武ライオンズの入団内諾会見が行われました。(2020.11.16)

『音のない世界での挑戦』(ろう野球)

社会福祉学部 地域社会と福祉実践メジャー 田岡 大知 さん

徳島県立城西高等学校出身。四国学院大学硬式野球部。世界ろう野球選手権大会日本代表候補※。
※新型コロナウイルスの影響により、世界大会(2020年8月)は中止となりました。よって正式な日本代表選手は未決定ですが、田岡さんは代表選考基準をクリアしています。

高校卒業後、田岡さんが選んだのは大学で野球を続けることでした。大学野球を続けていく中で出会ったろう野球。いろいろなことに気付かされ、考えさせられながら見つけた新たな目標を話してくれました。

 

野球を始めたきっかけを教えてください。

――小学生のときに、先輩と一緒にキャッチボールをしていて、ボールを投げることが楽しくて、野球を始めました。父も野球をしていたので、自然と野球をするようになりました。小学校1年生までは、ろう学校に通っていましたが、野球部がなかったので、野球をするために、一般の学校へ転校しました。

野球をしてきた中で心に残っている出来事は?

――高校3年生の県総体で、当時ドラフト候補だった相手チームのピッチャーからヒットを打ったことです。延長10回、タイブレーク。4打席目、2カウントに追い込まれた状態から決勝タイムリーツーベースを放ちました。その結果、高校初の準優勝に貢献することができました。高校3年間で、一番うれしかった瞬間です。高校卒業後は就職するつもりでしたが、当時の野球部の監督に「高校野球で終わるのはもったいない。上を目指して大学で野球をしなさい。」と言われました。辞めると決めていましたが、野球をしていたから今の自分があるのに、ここで辞めたら何が残るのかと悩みました。両親も野球を続けることを応援してくれ、納得のいくまで続けようと決心しました。大学での野球は高校野球とは全く違います。大学では自主練習が基本なので、自分に足りないものは何かを理解し、それを伸ばすための練習メニューを考えます。高校までの「指導者の指示で動く」ことよりも、自主性に重点を置く野球になります。

ろう野球を始めたきっかけや、どのような競技なのかを教えてください。

――昨年、日本ろう野球協会の方から連絡をいただきました。ろう野球のことは全く知りませんでしたが、ろう野球経験者の中から、僕を見つけて、選んでくれたのだから、期待を裏切らないようにという気持ちで挑戦することにしました。3月の日本代表選考会に参加し、代表選考基準をクリアしました。今年の8月に韓国で世界大会が開催される予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で中止に。現在は、来年の世界大会に向けて練習に励んでいます。チームには、足が速い選手、キレのいい変化球を投げる選手がいて、レベルの高さを感じています。ろう硬式野球は聴覚障害のある人だけがプレーする競技で、硬式野球とルールは同じです。聴覚障害は個人差が大きく、全く聞こえない人、小さな音が聞こえない人、片耳だけが聞こえない人など症状はさまざまです。普通なら、野球は、声を出してプレーしますが、ろう野球では、声だけでは伝わらないので、手話、ジェスチャー、口話などを使います。でも、うまく聞き取れず、どのようにプレーするのか分からないときがあります。大切なのは、とにかく「コミュニケーションをとること」です。分からないときは、何度も何度も繰り返し聞いたり、全身でジェスチャーをしたり、伝えようという気持ちを前に出していきます。

野球を通して自分の成長を感じますか?

――野球も自分自身も成長したと実感するときが多いです。僕は人口内耳を外せば音は全く聞こえません。コミュニケーションがとれず、チームメートと喧嘩になったり、失敗が怖くて、思いっきりプレーができなくなったり…練習に身が入らない時期もありました。うまくいかないときは、障害を言い訳にしていたかもしれません。それでも僕が野球を辞めなかったのは「苦労するから成長するんだ。失敗から、いろいろなことに気づかされ、学ぶことができる。失敗するたびに成長する」という父の言葉があったからです。障害があっても野球が上手な人はたくさんいます。むしろ障害のない人よりできることもたくさんあります。僕が野球をすることで、それを証明しようと思っています。夢はろう野球の世界大会で優勝すること!今まで心配をかけてきた両親に野球で結果を残して恩返ししたいです。

 


硬式野球部

硬式野球部HP

『共感し、受け入れること』(バドミントン部)

文学部 歴史学・地理学メジャー 2021年度卒業 楢木 瞭太 さん

岡山県立倉敷古城池高等学校出身。四国学院大学バドミントン部。

高校の教員を目指し、学業と部活動を両立させる楢木さんにインタビュー。バドミントンを通して成長したことを話してもらいました。

 

 

バドミントンを始めたきっかけを教えてください。

―― 小学生のときに、クラブチームでバドミントンをしていた友達にすすめられて始めました。中学校・高校は学校の部に所属しながら、クラブチームでも活動していました。地元である岡山県倉敷市には実業団のチームがあったので、練習場所や実業団の方との試合など、バドミントンに触れる環境は整っていたと思います。

大学ではどのような練習をしていますか?

―― 四国学院大学にはバドミントンサークルとバドミントン部の2つがあります。サークルはシャトルに触れ合うことを意識した練習、部では、ランニングやストレッチなどの基礎トレーニングを行い、実践練習としてパターン練習(基礎的な動きを習得するために同じ動きを繰り返す練習)や試合をしています。それ以外にも、他大学との練習試合や高校生との交流合宿などもあります。サークルと部ではメンバーや練習時間にも違いがありますが、垣根がなく、オープンな雰囲気で活動しています。

心に残っているエピソードを教えてください。

――私の通っていたクラブチーム出身で全国大会で優勝した方がいます。その方が、練習を見に来てくれ、試合をさせてもらったのですが、ショットの質、動きのスピード、体格すべてが自分とは違いました。その方から刺激を受けて、岡山県ではトップを争う選手になりたいと思うようになりました。それからは練習に取り組む姿勢やバドミントンに対する気持ちも変わり、中学校のときは、団体戦で県準優勝、中国大会ベスト8、高校生のときには、県大会ベスト4の記録を残すことができました。

バドミントンの魅力とは?

――駆け引きと頭脳プレーです。相手の予想と逆方向を責めたり、相手によってショットの高さ・スピードを一瞬で変えます。いかに相手に読まれない戦術を立てるか、心理的要素も楽しめるスポーツだと思います。またダブルスで試合に出場するときは、ペアへのフォローを忘れないようにしています。ペアの良い部分を最大限に発揮できるように自分がどう動くかを考えます。

大学に入学して、自分自身の成長を感じたことはありますか?

――バドミントンで培ったことをベースに、柔軟に考える力が身に付き、相手に共感する気持ちを持てるようになったと思います。現在、高校の公民の教員になることを目指して頑張っています。教職関係の講義を中心に、社会福祉や観光学の授業も積極的に受けているので、さまざまな考え方の人たちと出会うことができました。その人たちとの出会いのおかげで「相手を否定するのではなく、まず受け入れ、その上で自分の考えを伝えること」ができるようになりました。これは大学生活にも、バドミントンにも共通することだと思っています。四国学院大学は、先生方や学生同士の距離が近く、困ったときに手を差し伸べてくれる環境があると思います。そのような環境で学べることはとても恵まれています。さまざまな考え方を持つ人たちの中で、お互いを尊重しながら成長したいです。

 


バドミントン部