学生活動

『インタレストで香川県の魅力を伝える!』

社会学部 情報加工学メジャー 藤川 美夕季 さん

香川県立三木高等学校出身。
インタレスト2020early(通巻29号)編集長。
株式会社JR四国ホテルズ内定。

 

情報加工学メジャーの学生が発行しているフリーマガジン「インタレスト」。うどんブームの火付け役として有名な田尾教授のもと、学生たちが鋭意編集をしています。インタレスト通巻29号の編集長をつとめた藤川さんにインタビューしました。

インタレストとはどのような雑誌ですか?

――情報加工学メジャーの学生が取材から発行まで行っているフリーマガジンです。6月と12月、年2回発行しています。うどんブームの火付け役として有名な田尾教授の指揮のもと、企画、取材、編集、発行まですべて学生が行います。例えば、
・池の名は。(香川の池6019面の名前を分類してみた。)
・魂のうどん脳スケッチ(香川県のマスコットキャラクターであるうどん脳のスケッチを老若男女100人に頼んでみた。)
など、他の雑誌にはない切り口で香川県内の情報を発信しています。

インタレストは、県内の紀伊国屋書店前ラックや、一部有名うどん屋さんなどで入手することができますが、ファンが多く品切れになることが多々あります。大学の授業だからこそできる人海戦術で、県内を走り回って数々の企画を生み出してきました。

企画や取材はどのように行っているのですか?

――ひとつの号が発行されたら次号に向けての企画会議が開かれます。新人からベテランまでインタレスト制作メンバー全員が集まり、一人ひとり自分の企画をプレゼンしていきます。ここで多くの企画が振り落とされます。残った企画は第2ステージへ。第2ステージでは、実際に現地への取材、データ収集を行います。ここである程度、データが集まってくるので、掲載したときのイメージが沸いてきます。第2ステージをクリアすれば、いよいよ掲載に向けて編集作業に入ります。制作をするうえで、いちばん大切なのは「完成形を考える」ことです。実際に掲載されたときに、どのようなレイアウトで、どのような写真を使うのか、イメージしながら作業を進めます。ゴールが何かを常に考えることで、何をしなければいけないかが見えてくると思います。
私が、
制作に携わるようになったのは、田尾教授の講演会がきっかけです。高校3年生のとき、田尾教授からインタレストやマーケティングの話を聞いて、「おもしろい!!」と感じました。インタレストを制作するために四国学院大学へ入学しました。広告の見出しの作り方や、読みやすい文書をつくるためのコツなどを学んだので、レポートを書くとき、就職活動のエントリーシートを書くときにとても役に立ちました。また、写真の配置の仕方や文字の置き方を学ぶ授業もあったので、ビジュアルで魅せることもできるようになりました。

印象に残っている企画を教えてください。

――27号の「妄想会議~香川県大改造計画~」です。香川県内にある観光地は全国的にみても知名度が低いということから、観光地を妄想の中で改造する企画です。屋島山頂から高松駅のシンボルタワーまで、全長5キロのロープウェイをつけたり、公園に恐竜を集めて「香川ジュラシックパーク」をつくってみたり…ほかにも夢のある企画を考えました。東から西まで、県内を何度も往復し、写真撮影、取材を行いました。取材に行く道中で見つけたもの(看板や景色など)すべてが制作のヒントになるので、写真に残しています。私は絵を描くのが好きなので、この企画で、写真を合成したり、写真にイラストを描きました。授業以外の時間もフル稼働で、とても大変でしたが、スケジュール管理や取材の仕方など、さまざまなことを学ぶことができたと思います。

ホテルクレメント高松への就職が決まったそうですが、なぜホテリエになろうと思ったのですか?

――大学で学んだことを活かして、企業でマーケティングや広報の仕事をするのだろうと考えていました。でも、6年半続けているスーパーのアルバイトで接客業のおもしろさを感じていたことや、東京へ行ったとき、日程を間違えて予約していたのにも関わらず、フロントの方が近隣のホテルを手配してくれたことに心打たれ、ホテル業界への就職を決めました。また、インタレスト制作で学んだ「ゴールがどこかを常に考える」ことを意識し、目標に対して、どのように動くかを大切にしていきたいと思っています。お客様の要望を受け取り、満足していただけるようなサービスを提供していきたいです。


インタレスト
情報加工学メジャー

『海外での貴重な体験』

社会学部 観光学メジャー 齋藤 彰仁 さん

香川県立三豊工業高等学校出身。
香川県農業協同組合内定。

大学で観光学メジャーを専攻し、台湾、マレーシア、フィリピン、シンガポール、海外4ヶ国を訪れた齋藤さんに、海外での貴重な体験を話していただきました。
齋藤さん(写真左から4人目)

※現在は新型コロナウイルスの影響により留学や海外研修を中止しています。

 

台湾を訪れたきっかけを教えてください。

――香川県主催の企画「もっと知りたい!台湾ローカル旅」へ応募し、選ばれたことがきっかけです。この企画は、チャイナエアラインの高松/台北線を利用して台湾へ行き、大学生モニターとして台湾の魅力を発信するものです。大学で観光学メジャーを専攻している友人4人で3泊4日の旅に出ました。帰国後は、地元情報誌である香川Komachi、NICETOWN香川に旅行記が掲載されました。幼い頃から、母の地元である鹿児島県へよく行っていたことから、旅行が好きでした。高校は工業高校でしたので、卒業後は就職する同級生がほとんどでしたが、僕は観光学を学びたかったので、四国学院大学へ進学しました。大学生活の中で、常にアンテナを張って、旅行や観光に関する情報収集をしています。

台湾ではどのようなことを体験しましたか?

――さまざまなことを体験したのですが、いちばん印象に残っているのは日月潭(にちげつたん)での観光です。日月潭は周囲が約33kmある台湾最大の湖で、自転車で湖を一周するコースに挑戦。自転車は湖の近くにあるレンタルショップで借ります。そこには、電気自動車や電気スクーターもあり、たくさんの種類の中から自分に合ったものを選ぶことができました。自転車は200元、500元、800元、1000元に分けられていて、2時間を過ぎるとどの自転車も1時間200元になっているようでした。台湾は右側通行で、慣れるまでに少し時間がかかりました。景色を楽しみながら回ろうと思っていたのですが、アップダウンのある道に体力を消耗してしまい、トレーニング並みにしんどかったです。途中で休んだり、寄り道をしたりして、3時間かけてなんとかゴールしました。1周した人には、写真を撮り、記念証を渡してくれます。また、台湾最強のパワースポットとして知られている阿里山(ありさん)に日の出を観にいきました。1日1往復、日の出を見るためだけに運行する電車があり、車内は観光客で満員でした。標高が高いので、早朝はかなり寒かったのですが、日の出が徐々に姿を現し、温かい光が差し込む光景に感動しました。そのあと、阿里山の森林をのんびり散策しました。
台湾の首都、台北では、夜市に行きました。夜市とは台湾各地で毎日開催されるナイトマーケットのことです。食事や買い物、露店でゲームをしたり、子どもから大人まで楽しめる場所です。物価が安いので、おなかいっぱい台湾グルメを楽しみました。日本との食文化の違いで驚いたのは、台湾にはみんなで一緒に乾杯するというルールがあまりないことです。何人か集まり始めたら、ビールや飲み物を飲み始め、自由に始まるのが一般的です。

海外での経験を通してどのようなことを学びましたか?

――大学4年間で台湾、マレーシア、フィリピン、シンガポールの4ヶ国へ行きました。特に、協定留学先のシリマン大学(フィリピン)で感じたことは、「積極的に関わることの大切さ」です。初めは、英語が全く通じず、消極的になっていましたが、バディ※がK-POPが好きだと聞き、それについて調べ、自分から話しかけるようにしました。自然とコミュニケーションもとれるようになり、片言ながら英語も通じるようになりました。僕の地元で有名なちょうさを紹介すると「Japanese festival!」と喜んでくれたことも嬉しかったです。フィリピンに行ってすぐのころは「自分の話す英語は正しいのか?伝わらなかったらどうしよう」と失敗を恐れてばかりでした。見当はずれの返事をしてしまった、相手の言っていることが分からない、など失敗はたくさんありましたが、すべてが勉強になりました。また、大学の授業で航空表の見方を勉強していたことが、とても役に立ちました。海外の航空表は日本のものとは全く違うので、事前に慣れておいて良かったです。
※バディ:日本人留学生が充実した留学生活を送るために学業や日常生活のサポートをする学生

将来の目標を教えてください。

――4月から香川県農業協同組合(JA香川)への就職が決まっています。JAは総合事業なので、さまざまな分野から地域貢献していきたいと思っています。観光学メジャーでの学びや海外での経験を活かし、地域の人たちの意見に耳を傾けられる人になりたいです。

後輩のみなさんへ

――英語ができないから留学はできないと考えている人も多いと思いますが、英語ができないからこそ留学するものだと思います。失敗して当たり前くらいの気持ちで、挑戦してほしいと思います。また、海外では、語学の習得と同時に、観光を楽しんだり、食文化に触れたり、そこでしかできない貴重な体験をたくさんしてほしいと思います。


海外研修プログラム

『こどもたちを笑顔に!』

社会学部 健康・スポーツ科学メジャー 加藤 天 さん

香川県立丸亀城西高等学校出身。
リーフラス株式会社内定。

スポーツの楽しさを伝えたいという思いから、子ども向け体育教室でのアルバイトに励んだ4年間。その経験を活かし、スポーツインストラクターになる夢を叶えました。「スポーツを通して、子どもたちが笑顔になれるように」と話す加藤さんに、子どもたちとの交流の中で学んだことを話してもらいました。

 

子ども向け体育教室とはどのようなところですか?また、どのような活動をしていますか?

――なわとびやかけっこなどを通して運動を好きになるための教室です。主催は香川県運動推進協会で、週2回、香川県立丸亀競技場で実施しています。月曜日は幼稚園年長から小学2年生、水曜日は小学3年生から6年生までと、年齢別にクラスがあります。小学2年生までのクラスでは、この時期に必要な運動能力の基礎を作ります。小学3年生からのクラスでは、運動を好きになって、体育の授業が得意になるために活動しています。また、春は運動会に向けて走る練習、冬は縄跳びなど、体育の授業にあわせて、さまざまな競技にチャレンジします。運動が得意な子もいれば、運動は好きだけれど体育は苦手な子がいるように、子どもたちのレベルもさまざまです。私は、この体育教室で子どもたちに運動を教えるアルバイトをしています。私自身、幼いころからバスケットを続けていて、大学では健康・スポーツ科学メジャーを専攻しています。大学の授業以外でもスポーツに関わりたいと思い、片山教授からこのアルバイトを紹介していただきました。スポーツが好きな私にはぴったりです!

心に残っているエピソードを教えてください。

――小学2年生の男の子の話です。前飛びはできるけれど、何度練習してもあやとびができませんでした。なわとびが好きな子だったので、練習を休むことはありませんでしたが、「やりたくない」の一点張り。私はインストラクターという立場なので、声をかけたり、見本を見せたり、その子のために一生懸命になっていました。でも、どんなに言葉をかけても、見本を見せても、練習をしてくれませんでした。そのときに、大学の授業で学んだ「子どもは、楽しい!やってみたい!といった気持ちから運動をしたいと思うようになる」ということを思い出しました。その子の気持ちを考えていたか、その子の心に寄り添えていたか。自分なりに考えた結果、「褒めて伸ばす」ことにたどり着きました。前飛びを見せてもらい、とにかく褒めました。あやとびのことには触れず、できることを褒める。すると、その子は自分からあやとびの練習を始めるようになりました。その子をよく観察し、その子のペースに合わせた指導をするように心がけました。数日後、「先生!みて!」と嬉しそうにあやとびをする姿を見せてくれ、一緒になって喜びました。飛べるようになることも大切ですが、子どもが「楽しい」とか「やってみたい」と思える状態をつくることが、指導者の大切な役割だと実感しました。

指導することを通して学んだことを教えてください。

――まず、自分自身が楽しむことです。インストラクターという立場上、子どもたちの運動能力の向上にとらわれてしまいがちですが、いちばん大切なのは「スポーツの楽しさを教える」ことだと感じています。私自身、子どもの頃からバスケットを続けてきましたが、ときにはふざけたり、本気で笑ったり、楽しみを見つけながら成長していました。子どもたちにもスポーツを楽しみながら、心身の成長をさせてほしいと思います。また、私にとっては何気ない言葉でも、子どもにとっては良くも悪くも大きな影響を与えることになるかもしれないので、言葉には気を付けるようになりました。

 

 

後輩のみなさんへ

――自分の得意なこと、自分に合ったことを見つけてほしいです。私は、幼いころからスポーツを続けてきたので、大学では健康スポーツを学び、将来はスポーツ関係の仕事に就くことが自然な流れでした。やりたいことがあれば、それに向かって迷わず進んでください。もし、今、目標が見つからない人も、授業での学びや友達との交流から、自分に合ったことを見つけてほしいと思います。四国学院大学には、個性的でおもしろい先生がたくさんいるので、4年間できっと興味が持てる学びの分野が見つかるはずです。

『自分を変えてくれたコーチとの出会い』


社会福祉学部 吉川愛莉
 さん

四国学院大学香川西高等学校出身。四国学院大学陸上競技部。

2020年度香川陸上競技選手権大会女子ハンマー投1位。
第46回中讃地区陸上競技大会女子ハンマー投1位。
天皇賜盃第89回日本学生陸上競技対校選手権大会女子ハンマー投10位。
第43回中国四国学生陸上競技選手権大会女子ハンマー投1位。
全国高等学校陸上競技大会2020 兼 U20 全国陸上競技大会女子ハンマー投3位。

跳躍競技からハンマー投への転向を決めた吉川さん。そこでのコーチとの出会いが吉川さんを大きく変えていくことに。4年間でどこまでいけるか、意気込みを語ってもらいました。

 

ハンマー投を始めたきっかけは?

――小学校では幅跳び、中学校では高跳びが専門でした。ハンマー競技に転向したのは、中学校のときに所属していたクラブチームのコーチから声をかけてもらったことがきっかけです。ご縁があり、元日本記録保持者の綾真澄さんに指導していただけることになり、転向を決めました。高校でも綾コーチの指導のもと、技術を磨きました。高校卒業後は、県外の大学で、いろいろな選手にもまれながら強くなろうと思っていました。でも、綾コーチを超える指導者はいないと思い、コーチのもとでハンマー投を続けられる四国学院大学へ進学しました。自宅から通え、大学近隣に陸上競技場もあり、とてもいい環境だと思います。四国学院大学陸上競技部は2019年度に指定課外活動団体として発足しました。それぞれの目標に向かって、成長を続けています。周りの部員たちから影響を受け、私もしなくてはと自分を奮い立たせています。現在は投げ込み練習を中心に、筋力アップのためのウエイトトレーニング、走り込みを欠かさず行っています。

いちばん印象に残っている大会を教えてください。

――2020年8月の天皇賜杯日本学生陸上選手権大会です。今年は、新型コロナウイルスの影響で、標準記録を突破した選手の中で全国から20位までが出場資格となっていました。大会前の香川県大会で標準記録をクリアし、全国大会に出場することができました。私は1投目、2投目…と回数が増えるごとに記録が伸びなくなるタイプなので、1投目から飛ばすつもりで投げました。結果は10位。大会前は調子が良く、本番でも気持ちをうまく持っていけたのに、結果を出せず、悔し涙を流しました。この悔しい気持ちが契機となり、さらに真剣にハンマー投と向き合うようになりました。結果が出なかった原因は調整不足だと感じています。ハンマー投は調整がとても大切な競技です。大会に向けて、追い込みをかけながらも、体を休ませ、最高のコンディションをつくっていきます。私は疲労が溜まりにくいタイプなので、しっかり追い込みをしていれば結果は違ってきたかもしれません。自分の体を知ることがいかに重要かを教えられた大会になりました。

綾コーチの指導を受けるようになって変わったことはありますか?

――「考えて投げる」ようになったと思います。ハンマー投を始めてすぐのころは、技術を身に付け、感覚で投げれば、順調に記録が伸びていました。でも、ある程度のレベルまではいけてもそれ以上は伸びないというスランプに陥りました。結果が出ないことへの焦りから、コーチの指導を聞かず、ただ、がむしゃらに練習をしていました。素直に指導を聞けないことを注意され、不貞腐れる。そんなことを繰り返していました。そのような状況でも、いつもと変わらず丁寧な指導をしてくれるコーチを見て、このままではいけないと思うようになりました。どうすれば飛ぶのか、何をすべきなのかを考えるようになり、「感覚で投げる」ハンマーから「考えて投げる」ハンマーへと変わっていったと感じています。考えて投げることで、徐々に指導も理解できるようになりました。
綾コーチは練習に関しては、とても厳しい人です。でも、投げ方がいつもと違うときや、不安な気持ちを抱えながら投げているときなど、少しの変化にすぐに気付いてくれ、的確なアドバイスをしてくれます。良い指導者に出会えたことは、本当に幸運なことだと感じています。

これからの目標を聞かせてください。

――大学4年間、本気でハンマー投に取り組もうと思っています。高校3年の夏、不完全燃焼だったインターハイ終了後に、このまま引退するのかどうか、とても悩みました。インターハイ前は、看護の道へすすむことを決めていましたが、どうしても諦めきれなかった私は、4年間だけという母との約束で、ハンマー投を続けています。4年後のことはあえて考えていません。先のことより、今できることを全力でやるだけです。そうすることで、新しい道が拓けると信じているからです。


■陸上競技部

■関連記事
・U20全国陸上競技大会にて入賞しました。(2020-10-26)
・陸上競技部が第43回中国四国学生陸上競技選手権大会で入賞しました。(2020-10-06)
・陸上競技部が2020年度香川陸上競技選手権大会で入賞しました。(2020-07-24)

『プロの世界へ』


社会学部 ベースボール科学メジャー
水上由伸さん

帝京第三高校出身(山梨県)。四国学院大学硬式野球部。
キャプテンとして持ち前の前向きな姿勢とプレーでチームを引っ張り、3年秋には投手として最多勝利、最優秀防御率、ベストナイン投手などのタイトルを獲得。自己最速150㎞を記録するなど、チームの勝利に貢献してきた。

2020年10月26日(月)に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズの育成5巡目で指名され、プロへの一歩を踏み出す水上由伸さんにお話を聞いてみました。

野球を始めたきっかけを教えてください。

―元々は空手をしていたのですが、野球を始めたのは小学校4年生の時に友人に誘われたのがきっかけです。あまり覚えていないのですが、小さい頃は父とよくキャッチボールはしていたみたいです。『由伸』という名前も、父が好きな巨人の高橋由伸前監督からつけてくれました。
僕が思う野球の魅力は、どんな場面でも一球でゲームが動くところだと思います。
小学校4年生で野球を始めてからは、ずっと野球一筋です。最初に始めた時から、ポジションはピッチャーを希望していました。四国学院大学でのポジションは、バッターからのスタートでした。でも、3年生でピッチャーになり、自分がどんな球を投げられると嫌だったか、ということが分かるようになったので、バッターを経験していてよかったと思います。

四国学院大学への入学しようと思った決め手は何ですか。

―高校3年生の時、プロ志望届を提出しましたが、名前を呼ばれることはなく、悔しい思いをしました。この先どうしようかと悩んでいる僕に声をかけてくださったのが、四国学院大学硬式野球部の橋野前監督でした。野球がしたいという思いで、すぐに四国学院大学への入学を決めました。
実際に入学してみて、すごく充実していて楽しいです。1年生の時から試合に出させていただけて、全国大会も経験できて、四国学院大学で野球ができてよかったなと思っています。

硬式野球部ではどんな練習をしていますか。

―練習は、自主性を基本としているので、トレーニングメニューなどは自分で考えています。そういう面では自分で考える力がついたと思います。マネージャーとマネ室で話したり、仲間の助けもあって、僕一人では今回の指名もなかったと思うので、僕を支えてくれた方々にはすごく感謝しています。

ドラフト指名を受けた時の気持ちを教えてください。


―名前を呼ばれた時は、鳥肌が立ちました。素直に嬉しかったです。
今回は候補者が多かったので、その中で呼ばれたということは本当に嬉しかったです。でもまだ育成なので、上しかないと思っています。
大好きな野球を全うして、少しでも早く一軍で投げたいです。まだまだこれからなので、頑張っていきたいと思います。
今回、多くの報道関係者の方に取り上げてもらえて、僕だけでなく「四国学院大学」という名前が多くの人に知っていただけることが一番嬉しいです。
これで四国学院大学を知って、硬式野球部の部員数や入学生数が増えてくれたらいいなと思います。
また、プロ野球で指名を受けるのは、地元の長野県宮田村では僕が初めてということで、村を上げて祝福してくれて嬉しかったです。

実際に球団の方に会ってみてどうでしたか。


―自分が思っていた以上に評価していただけたので、すごく嬉しかったです。
早く一人前になって、渡辺さん(※1)を喜ばせたいと思います。
今はチームに入ることがすごく楽しみです。
ゲームやテレビの世界の人たちと一緒にプレーできるので、楽しみしかないです。

 

(※1 埼玉西武ライオンズの育成・アマチュア担当チーフ補佐 渡辺智男氏)

憧れのプロ野球選手はいますか。

―元々、野球が好きで始めたときからプロになると思って練習してきたので、自然とプロを目指していました。特定の人に憧れて野球を始めたという訳ではないので、これから自分のスタイルを確立していけたらいいなと思っています。
今回のドラフト指名では、後輩たちへのいい刺激になれたかなと思っています。期待できる子もたくさんいるので、これから続いていってほしいです。

キャプテンを経験して成長したと感じる部分はありますか。

―キャプテンというだけでなく、僕はピッチャーだったので、一番見られる立場でした。あまり言葉にするのは得意ではないので、キャプテンらしいことはできなかったかもしれないんですが、プレーで示せたかなと思います。僕は元々ポジティブな方なので、ピンチをピンチだと感じずにいつも通りの試合をしていたら、結果がついてきてくれました。チームを背中で引っ張ることはできたかなと思います。それに、僕が崩れたらチームが崩れてしまうので、絶対に崩れないという気持ちはいつもありました。強気になれたし、キャプテンになったことでさらにメンタルも強化できたと思います。

大学での学びがプレーに活かされたことはありましたか。

―授業で野球の歴史を学び、メジャーリーガーの映画などを観て、自由に野球ができていることが幸せなことなんだと感じました。モチベーションにもつながりましたし、試合でも気合が入りました。初めて観る映画も多く、知らなかったことを知ることができてよかったです。また、「トレーニング論」の授業では、トレーニングをする際の注意点や知らなかった基礎的なことを学ぶことができたので、練習に活かすことができました。自分のトレーニングメニューを考える上でも役に立ちましたし、自分の体にも活きてきていると思います。

これからの目標を教えてください。

―まず、プロの世界に入ることは達成できたので、ここから支配下になって10年以上活躍することがいまの目標です。

硬式野球部に興味がある後輩に向けてメッセージをお願いします。

―大学4年間は長いと思っていたのですが、すごく短かったです。僕は、まっすぐに野球が好きな気持ちを持って4年間頑張ってきたからこそ、今回の指名にもつながったのだと思います。野球が好きで入ってきたなら、野球が好きという気持ちを4年間忘れずに、目標に向かって頑張ってほしいです。


硬式野球部HP

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社会学部4年 水上由伸がドラフト指名されました!(2020.10.17)
埼玉西武ライオンズの担当者が水上由伸選手への育成指名挨拶に来学しました。(2020.11.5)
水上由伸選手の埼玉西武ライオンズの入団内諾会見が行われました。(2020.11.16)

『音のない世界での挑戦』

社会福祉学部 地域社会と福祉実践メジャー 田岡 大知 さん

徳島県立城西高等学校出身。四国学院大学硬式野球部。世界ろう野球選手権大会日本代表候補※。
※新型コロナウイルスの影響により、世界大会(2020年8月)は中止となりました。よって正式な日本代表選手は未決定ですが、田岡さんは代表選考基準をクリアしています。

高校卒業後、田岡さんが選んだのは大学で野球を続けることでした。大学野球を続けていく中で出会ったろう野球。いろいろなことに気付かされ、考えさせられながら見つけた新たな目標を話してくれました。

 

野球を始めたきっかけを教えてください。

――小学生のときに、先輩と一緒にキャッチボールをしていて、ボールを投げることが楽しくて、野球を始めました。父も野球をしていたので、自然と野球をするようになりました。小学校1年生までは、ろう学校に通っていましたが、野球部がなかったので、野球をするために、一般の学校へ転校しました。

野球をしてきた中で心に残っている出来事は?

――高校3年生の県総体で、当時ドラフト候補だった相手チームのピッチャーからヒットを打ったことです。延長10回、タイブレーク。4打席目、2カウントに追い込まれた状態から決勝タイムリーツーベースを放ちました。その結果、高校初の準優勝に貢献することができました。高校3年間で、一番うれしかった瞬間です。高校卒業後は就職するつもりでしたが、当時の野球部の監督に「高校野球で終わるのはもったいない。上を目指して大学で野球をしなさい。」と言われました。辞めると決めていましたが、野球をしていたから今の自分があるのに、ここで辞めたら何が残るのかと悩みました。両親も野球を続けることを応援してくれ、納得のいくまで続けようと決心しました。大学での野球は高校野球とは全く違います。大学では自主練習が基本なので、自分に足りないものは何かを理解し、それを伸ばすための練習メニューを考えます。高校までの「指導者の指示で動く」ことよりも、自主性に重点を置く野球になります。

ろう野球を始めたきっかけや、どのような競技なのかを教えてください。

――昨年、日本ろう野球協会の方から連絡をいただきました。ろう野球のことは全く知りませんでしたが、ろう野球経験者の中から、僕を見つけて、選んでくれたのだから、期待を裏切らないようにという気持ちで挑戦することにしました。3月の日本代表選考会に参加し、代表選考基準をクリアしました。今年の8月に韓国で世界大会が開催される予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で中止に。現在は、来年の世界大会に向けて練習に励んでいます。チームには、足が速い選手、キレのいい変化球を投げる選手がいて、レベルの高さを感じています。ろう硬式野球は聴覚障害のある人だけがプレーする競技で、硬式野球とルールは同じです。聴覚障害は個人差が大きく、全く聞こえない人、小さな音が聞こえない人、片耳だけが聞こえない人など症状はさまざまです。普通なら、野球は、声を出してプレーしますが、ろう野球では、声だけでは伝わらないので、手話、ジェスチャー、口話などを使います。でも、うまく聞き取れず、どのようにプレーするのか分からないときがあります。大切なのは、とにかく「コミュニケーションをとること」です。分からないときは、何度も何度も繰り返し聞いたり、全身でジェスチャーをしたり、伝えようという気持ちを前に出していきます。

野球を通して自分の成長を感じますか?

――野球も自分自身も成長したと実感するときが多いです。僕は人口内耳を外せば音は全く聞こえません。コミュニケーションがとれず、チームメートと喧嘩になったり、失敗が怖くて、思いっきりプレーができなくなったり…練習に身が入らない時期もありました。うまくいかないときは、障害を言い訳にしていたかもしれません。それでも僕が野球を辞めなかったのは「苦労するから成長するんだ。失敗から、いろいろなことに気づかされ、学ぶことができる。失敗するたびに成長する」という父の言葉があったからです。障害があっても野球が上手な人はたくさんいます。むしろ障害のない人よりできることもたくさんあります。僕が野球をすることで、それを証明しようと思っています。夢はろう野球の世界大会で優勝すること!今まで心配をかけてきた両親に野球で結果を残して恩返ししたいです。

 


硬式野球部

硬式野球部HP

『共感し、受け入れること』

文学部 歴史学・地理学メジャー 楢木 瞭太 さん

岡山県立倉敷古城池高等学校出身。四国学院大学バドミントン部。

高校の教員を目指し、学業と部活動を両立させる楢木さんにインタビュー。バドミントンを通して成長したことを話してもらいました。

 

 

バドミントンを始めたきっかけを教えてください。

―― 小学生のときに、クラブチームでバドミントンをしていた友達にすすめられて始めました。中学校・高校は学校の部に所属しながら、クラブチームでも活動していました。地元である岡山県倉敷市には実業団のチームがあったので、練習場所や実業団の方との試合など、バドミントンに触れる環境は整っていたと思います。

大学ではどのような練習をしていますか?

―― 四国学院大学にはバドミントンサークルとバドミントン部の2つがあります。サークルはシャトルに触れ合うことを意識した練習、部では、ランニングやストレッチなどの基礎トレーニングを行い、実践練習としてパターン練習(基礎的な動きを習得するために同じ動きを繰り返す練習)や試合をしています。それ以外にも、他大学との練習試合や高校生との交流合宿などもあります。サークルと部ではメンバーや練習時間にも違いがありますが、垣根がなく、オープンな雰囲気で活動しています。

心に残っているエピソードを教えてください。

――私の通っていたクラブチーム出身で全国大会で優勝した方がいます。その方が、練習を見に来てくれ、試合をさせてもらったのですが、ショットの質、動きのスピード、体格すべてが自分とは違いました。その方から刺激を受けて、岡山県ではトップを争う選手になりたいと思うようになりました。それからは練習に取り組む姿勢やバドミントンに対する気持ちも変わり、中学校のときは、団体戦で県準優勝、中国大会ベスト8、高校生のときには、県大会ベスト4の記録を残すことができました。

バドミントンの魅力とは?

――駆け引きと頭脳プレーです。相手の予想と逆方向を責めたり、相手によってショットの高さ・スピードを一瞬で変えます。いかに相手に読まれない戦術を立てるか、心理的要素も楽しめるスポーツだと思います。またダブルスで試合に出場するときは、ペアへのフォローを忘れないようにしています。ペアの良い部分を最大限に発揮できるように自分がどう動くかを考えます。

大学に入学して、自分自身の成長を感じたことはありますか?

――バドミントンで培ったことをベースに、柔軟に考える力が身に付き、相手に共感する気持ちを持てるようになったと思います。現在、高校の公民の教員になることを目指して頑張っています。教職関係の講義を中心に、社会福祉や観光学の授業も積極的に受けているので、さまざまな考え方の人たちと出会うことができました。その人たちとの出会いのおかげで「相手を否定するのではなく、まず受け入れ、その上で自分の考えを伝えること」ができるようになりました。これは大学生活にも、バドミントンにも共通することだと思っています。四国学院大学は、先生方や学生同士の距離が近く、困ったときに手を差し伸べてくれる環境があると思います。そのような環境で学べることはとても恵まれています。さまざまな考え方を持つ人たちの中で、お互いを尊重しながら成長したいです。

 


バドミントン部

『劇団Nuts’の活動のなかで見えた演劇のおもしろさ』

社会学部 身体表現と舞台芸術マネジメントメジャー(演劇コース) 大瀬戸 正宗さん

広島市立沼田高等学校出身。四国学院大学劇団Nuts’部長。ノトス・プロダクション※代表。
2018年度SARP※vol.15『レモネード・インセスト』(スタッフ)、2019年度SARP vol.16『平家物語REMASTER』(出演)、2020年度SARP vol.18『星の祭に吹く風』(スタッフ)。

「俳優になりたかった」と話す大瀬戸さん。大学では演劇コース、劇団Nuts’、ノトス・プロダクション、3つの場所で活動中。幅広く芸術に関わる姿にせまりました。

 

※ノトス・プロダクション
本学学生によって構成された、ノトススタジオを運営するためのチーム。照明や音響、舞台美術、映像、公演の制作など劇場の運営を学生たちが主体的に行っている。ここで培った経験を生かし、プロの舞台技術スタッフとして働いている卒業生も数多くいる。

※SARP/サープ(四国学院大学アーティスト・イン・レジデンス・プログラム)
身体表現と舞台芸術マネジメントメジャーが主体となって制作する公演。毎回、プロの演出家・振付家が大学内の宿泊施設に滞在し、学生キャスト・スタッフとともに一般観客の鑑賞に耐えうるレベルの高い舞台作品を創作し上演することを目指す。

演劇を始めたきっかけを教えてください。

――演劇を始めたのは高校からです。高校の演劇部の公演を観に行って、面白そうだと思ったことがきっかけです。演劇部での活動は充実していました。高校演劇コンクール、文化祭での公演を行っていました。当時は、ぼんやりと「俳優になりたい」と思っていたので、できる限り多くの舞台に立ち、持っている時間のほとんどを演劇に費やしていました。

劇団Nuts’ではどのような活動をしていますか?

――劇団Nuts’は四国学院大学の演劇サークルです。演劇コースで学んでいる学生、演劇を少し経験したことのある人、全く演劇をしたことがない人、部員の経験値はさまざまです。現在は、新型コロナウイルスの影響で公演ができないので、筋トレや柔軟など、基礎トレーニングに励んでいます。その他にも舞台の照明や音響などの講習を行っています。昨年の大学祭では、部員が、短編の作品を創作して、上演する短編演劇祭を行いました。また軽音楽部のライブの照明も担当しました。
私は大学へ入学したときに演劇コースで学ぶことはもちろん、演劇ができる場所をひとつでも多く探していました。当時、劇団Nuts’の部員は4名ほど。ここでは演劇ができないと思いました。演劇コースのある大学なのに、演劇サークルに活気がないのはどうしたものかと(笑)。劇団Nuts’の初公演は完成度の高い公演ではなかったかもしれません。でも作品の創作、音響、照明、大道具など、学生だけですべてを創り上げることがとても新鮮で、自分たちで公演を企画し、運営する楽しさを感じました。舞台芸術(パフォーミング・アーツ)には、音楽、舞踊、落語など、多彩な活動があります。私は、そのような舞台芸術の世界を盛り上げることができる存在になりたいと思っています。「俳優になりたい」という気持ちが「舞台芸術を支えたい」という思いに変わってきたように感じます。演劇コースでの学び、劇団Nuts’での体験、ノトス・プロダクションの経験、この3つで学んだことが、それぞれの場で活かせるので、お互いにうまく作用しているなと感じています。

劇団Nuts’の部員から「こんな刺激を受けた」というエピソードがあれば教えてください。

――毎回の公演で刺激を受けています。演劇コースに所属する学生からももちろんですが、演劇コース以外の部員から受ける刺激は大きいと思います。劇団Nuts’の部員の演劇経験値はバラバラです。演劇をしたことがない人からすると「なんで!?」と思うことが毎回ありますし、足並みが揃わないこともよくあります。でも、経験値が違う部員がいるからこそ、演劇の当たり前にとらわれない発想も生まれるし、私自身初心に戻って演劇と向き合うことができると感じています。演劇コースの人も、演劇コースではない人も、劇団Nuts’でしかできないことを体験できていると思います。

後輩のみなさんへ

――私は俳優志望でしたが、演劇の世界にいるうちに、舞台芸術を企画したり、裏方として支えることもおもしろいと感じるようになりました。そのような可能性を見つけるために、好きなことを続ける意味があるのだと思います。四国学院大学は演劇に限らず、社会福祉、スポーツなど、さまざまなことを学んでいる学生がいるので、視野を広く持つことができます。その中でも自分のペースでできることから取り組んでいく、バランスよく取り組むことが大切です。演劇をやりたい人、舞台芸術を盛り上げたい人、大歓迎です。もちろん経験は問いません。自分を表現できる空間、「劇団Nuts’」に興味を持ってもらえればと思います。また、演劇に本気で取り組みたいと考えている方にとっても四国学院大学はとても良い環境だと思います。贅沢な講師陣による本格的指導を受けることのできる演劇コースに、劇場の管理やスタッフワークに関する経験を積むことのできるノトス・プロダクション、ここまで紹介させていただいた劇団Nuts’など、演劇に関わる多くの機会があります。ぜひ自分に合ったペースと場所で演劇を楽しんでいただけたらと思います。


劇団Nuts’
劇団Nuts’ HP

『音楽を通して出会えたもの』

文学部 文学メジャー 玉浦 未菜 さん

香川県立三木高等学校出身。四国学院大学吹奏楽団部長。

硬式野球部の応援やオープンキャンパスでの演奏など、さまざまな場所で活動している吹奏楽団。部長の玉浦さんに吹奏楽団の魅力を話してもらいました。

 

 

吹奏楽団に入部したきっかけは?

――中学・高校と吹奏楽部に所属していましたが、大学では、新しいことを始めようと思っていて、文芸サークルに入部する予定でした。でも、心の片隅に音楽を続けたいという気持ちがあり、迷っていました。そのような中、吹奏楽団の見学へ行くと、中学校のときの先輩がいて、迷いは消えました。演奏は楽しいし、良い仲間に出会えたので、「自分の居場所はやっぱりここだ!」と。楽器はフルートです。音色が優雅で、見た目も上品なので、フルートは他の楽器にはない特別感があると思います。

 

どのような活動をしているか教えてください。

―― 大きなイベントは、硬式野球部の応援、大学祭でのコンサートです。特に野球部の応援は人一倍力が入ります。四国学院大学硬式野球部は全国大会出場の常連校。全国大会は東京ドームや明治神宮球場で行われます。私も東京ドームでの演奏を経験しました。協定校の高校生と一緒に演奏し、迫力ある応援を目指しています。曲を選んだり、間奏を入れるためにアレンジしたり、練習はとても大変でした。吹奏楽団だけでなく、野球部の応援メンバーとも、何度も合同練習を行いました。当日は、緊張している選手が力を出し切ることができるように背中を押してあげたいという気持ちで、演奏しました。選手をサポートすることも吹奏楽の応援の役割だと思っています。当日は試合に出場している選手、スタンドで応援している選手、みんなが一体となって戦っている気分でした。また、普段の練習では、音色やリズム、細かいことに気を付けていますが、野球の応援は大音量で思いっきり演奏できるので気持ちよかったです。その他にも、オープンキャンパスでのミニコンサート、ダンス部とのコラボ演奏など、主に学内で活動しています。

吹奏楽団の魅力を一言で表現すると?

――団結力です。現在部員は15名。小人数なので、足りない楽器やパートをどう補うか、みんなで話し合い、考えます。足りない部分は、工夫する。そのようなことを繰り返していくうちに、自然とまとまってきたと思います。ソロで演奏するのも楽しいのですが、みんなでひとつのものを作る達成感は一人で味わえないことだと思います。

 

サークル活動を通して成長したことはありますか?

――自分の考えに自信が持てるようになりました。引っ込み思案な性格でしたが、吹奏楽団の部員が私の考えを受け止めてくれたので、少しずつですが、サークル以外の場所でも、自分の思いを伝えることができるようになりました。勇気を持って行動に移すことが、新しい景色が見えてくるきっかけになることもあります。またフルートの技術も向上したと思います。私は自分の演奏を必ず聴いてもらうようにしています。そうすることで、違った視点からアドバイスをもらえ、フルートの上達につながるからです。
四国学院大学は先生と学生、学生同士の距離がとても近い大学だと思います。大学の先生が「吹奏楽団の活動は順調?」と声をかけてくれることもあり、気にかけてくれているんだなあと嬉しく思っています。高校生のときに参加したオープンキャンパスでも、ピア・リーダー(1年生のキャンパスライフ全般をサポートする上級生)の方に親切にしてもらったり、落ち着いていて過ごしやすい雰囲気を感じていました。入学後もそのイメージは変わっていません。

これからの目標を教えてください。

――まずは部員を増やして、学内外のさまざまな場所で演奏したいです。四国学院大学はクリスマスの時期になるとイルミネーションやチャペルでのクリスマス礼拝など、多彩なプログラムを実施しています。そこで、ハンドベル・クワイアや清泉礼拝堂聖歌隊などのサークルとのコラボに挑戦したいと考えています。クリスチャン系の大学にしかできない演奏になると思います。
吹奏楽団は部員を募集しています。音楽が好きな人、一緒に演奏しましょう!今しかできない経験を一緒にしましょう!

 

 


吹奏楽団

『継続することの大切さ』

社会福祉学部 子ども福祉メジャー 大井 孝菜 さん

香川中央高等学校出身。2019年に「四国学院大学水泳部」を創部。第54回中国四国学生水泳選手権大会女子100メートル背泳ぎ3位入賞。

2019年に水泳部を立ち上げ、日々水泳に関わっている大井さん。選手として水泳に取り組むようになったこと、スイミングスクールでの指導を通して学んだことなど、水泳に対する真っ直ぐな思いを語ってくれました。

 

 

水泳を本格的にはじめようとしたきっかけは?

――小学校5年生のときの県大会に出場できず、悔しい思いをしたことです。水泳は3歳から始め、スクールに通っていました。私の通っているスクールには選手コースと一般コースがあります。選手コースはクラブチームの大会に出場し、国体やジュニアオリンピックを目指すコースです。一般コースは泳力向上のためのコースで、泳げるようになることが目標です。水泳を始めてからずっと一般コースに所属していましたが、小学校5年生のときの悔しさを機に選手コースに変更しました。家族の後押しもあり、選手として水泳をやろうと決意しました。

 

普段はどのような練習をしていますか?

――毎週2回、香川県内の競泳プールでの合同練習を行っています。それ以外の日は個人練習に励んでいます。合同練習では、各自で練習した仕上がりをお互いに確認しています。現在部員は7名。水泳経験者から未経験者までさまざまです。練習は真剣に取り組み、練習が終われば、和やかな雰囲気になる、切り替えがしっかりできるチームです。水泳部を創部するまでは、ひとりで練習するだけだったので、心細いときもありました。今は合同で練習する機会があるので、他の部員の存在が心の支えになっています。

 

 

 

第54回中国四国学生水泳選手権大会(2019年)にて入賞したそうですが、当時のことを聞かせてください。

――四国学院大学の選手として初めて出場した大会です。女子100メートル背泳ぎで3位に入賞することができました。当日はとてもいい感覚で泳げたと思います。まさか入賞できるとは夢にも思っていなかったので、驚きましたが、とても嬉しかったのを覚えています。中国地方の選手と競う機会はなかったので、いつもと違う会場の雰囲気を感じたり、他の選手の泳ぎを見たり、良い勉強になりました。大会によって違いがあるかもしれませんが、チームからエントリーできる人数は限られているので、レースに出場できる人とできない人がいます。レースに出場する選手は自己ベストを出すために全力を尽くします。出場できなかった選手も、応援に全力を尽くします。水泳は個人競技でもあり、チーム競技だということを実感した瞬間でした。
水の中では浮力によって、体は楽に感じます。また、全身にバランスよく負荷がかかるので、陸上で運動するよりも効果的な運動ができます。水の中では大きな怪我をする可能性も低いので、運動不足の人や運動が苦手な人もチャレンジできるスポーツだと思います。

今後の目標を教えてください。

――来年のインターカレッジ(大学対抗のスポーツ競技大会)や、四国マスターズに出場し、自己ベストを更新することです。新型コロナウイルスの影響でほとんどの大会が開催中止になっていますが、今は力を蓄える時期だと考えて、個人練習に取り組んでいます。
将来は水泳のインストラクターになりたいと思っています。現在、スイミングスクールで2~3歳の幼児クラスを指導しています。この年齢は、母親と離れるのが不安だったり、水に慣れていない子どもたちがたくさんいます。2歳の子どもたちへは言葉で説明するのが難しいので、動作を真似してもらいます。3歳になると、言葉が分かる子も増えてくるので、単語と単語をつなぎながら、分かりやすく説明できるように心がけています。子どもへの接し方や、子どもの成長の仕方などを子ども福祉メジャーで学んでいるので、水泳の指導にとても役立っています。選手として泳いでいるときは気付かなかったことも、指導する立場に立つと見えてくることがたくさんあります。教えることが一番の勉強だと思っています。
私は水泳をやめようと思ったことが何度もありました。ひとつのことを続けていくのは根気が必要で、大変なことです。でも大切なのは「好き」という気持ちを見失わないことだと思います。悩んだことも失敗したことも、必ず良い経験になりますので、後輩のみなさんも真剣に取り組めることを見つけてください。


水泳部