『困難の先で得たもの』(全国障害者スポーツ大会)

社会学部 健康・スポーツ科学メジャー/科学教育マイナー 菰渕大城さん

香川県立盲学校出身。

香川県での予選会を経て、第22回全国障害者スポーツ大会に香川県代表選手として出場し、水泳男子(視覚)50m平泳ぎで優勝を飾った菰渕さん。
中学・高校での大会出場経験のおかげで大会慣れしていたため、当日は落ち着いて競技に臨めたといいます。
しかし、今回の全国大会出場までの道のりは平坦ではありませんでした。
高校一年の冬、中心部分の視野が欠ける(中心暗点)視覚障害を発症し、パラ水泳を始めて3年。
コロナ禍での大会中止やパニック障害などの困難を乗り越え、前を向いて努力を続けている菰渕さんにお話を聞いてみました。

パラ水泳をはじめたきっかけを教えてください。

――元々、地元のスイミングスクールで5~12歳まで競泳をやっていましたが、中学進学を機に一度水泳からは離れました。中学ではフェンシング、高校ではラグビーをやって、どちらのスポーツでも全国大会などの大きな大会に出場していました。しかし、高校一年の冬から視力が落ち始め、主治医の先生に難病指定されてラグビーを辞めざるを得なくなりました。そんな時、高校の先生から僕と同じように難病指定を受けてパラ陸上のやり投げで活躍している先輩を紹介していただき、パラ水泳の話を聞くことができました。タッピングバーなど視覚障害のための器具があるということを聞いて、パラ水泳であれば大きなハンデを考えずに始められるかもしれないと思い、始めました。

実際にパラ水泳をはじめてみてどうですか?

――視覚障害者になって、久しぶりに飛び込み台からスタートするクラウチングスタートで構えた時、水面との距離がまったく分からないことにすごくハンデを感じました。体がこわばって腰が引けてしまい、飛距離が出ず、なかなかクラウチングスタートから入水までのフォームを改善するのに時間がかかりました。今でも改善する点が多くあるのですが、パラ水泳を始めて3年経ってようやく膝が曲がってしまうのはなくなって、飛び込めるようになりました。僕は短距離をメインでやっているのですが、スタートで勝負が決まるといっても過言ではないので、これからもどんどん極めていきたいです。今は、オリンピックの日本記録保持者の選手の動画と見比べて、できるだけフォームを近づけられるようにコーチからアドバイスをもらいながら練習に取り組んでいます。

 

大会に参加してみてどうでしたか?

――僕は日本選手権や国際大会などの大きな大会を目指しているので、正直に言うと全国障害者スポーツ大会は登竜門だと思っていました。でも、いざ会場に入ってみると、すごく大きな電光掲示板があったり、アドレナリンが出るような音楽が大音量で流れていたり、招集所や会場の雰囲気なども活気があって、テレビで見ていた日本選手権や国際大会などに近いものを感じました。出場する選手たちも予選を勝ち抜いた猛者が集まっているし、同じ障害を持つ選手と「頑張ろう」と声をかけあって、気持ちを高めることができました。それに、2019年から大会が中止になり、今回が4年越しの開催だったのでみんな熱が入っていました。

優勝した時はどんな気持ちでしたか?

――自己ベストを2秒近く更新していたので、最初は喜びよりも驚きの方が勝っていました。僕は自分で電光掲示板のタイムを見ることができません。審判の方から記録が38秒26だと聞いた時は、すぐには信じられませんでした。表彰式でメダルやヴィクトリーブーケをもらった時、コロナで様々な大会が中止になり、去年はコンディションが良かったのに大会が中止になって精神的に落ち込んでパニック障害になり、一度は水泳から離れていたことなど、この大会に出場するまでの順風満帆ではなかった過去を思い出しました。表彰台では泣きませんでしたが、更衣室に戻った時に感極まって泣いてしまいました。やっぱりとんとん拍子にここまできたわけではないので、スランプがあって勝ち取った今回の優勝には重みを感じています。

 

出場までに様々な困難があったと思いますが、どうやって乗り越えてきましたか?

――去年は週8で練習をしていて、コンディションも良かったのにコロナで大会がどんどん中止になっていき、大会で記録を残すために肉体的にも精神的にも自分を追い込んでいた分、「何のためにこんな厳しい練習しているのか」という思いが強くなり、パニック障害になりました。その時は、乗り越えたというよりも、一度忘れたくて離れました。それでもし水泳に対する未練がなければ別のことを始めようと思っていました。中学の時のフェンシングや高校の時のラグビーでは大きな大会に出場したことがありますが、水泳では特に何の実績を残せていなかったこともあり、しばらく水泳を離れているうちにだんだんともう一度水泳をやりたいという思いが湧いてきました。一旦水泳から離れて、落ち着いて考える時間ができたことがよかったのだと思います。
約半年のブランクがあったので、今回はようやく大会に出場して公式記録を残せるということだけでも感激でした。それだけでなく、自己ベストを更新して優勝することができたので、今後のパラ水泳に対するモチベーションも上がりましたし、また頑張ろうと思えました。

  

大学の授業はどのように受けていますか?

――僕の視覚障害は中心暗点で、真ん中が全く見えず、端にいくにつれて少しずつ見えてくる病気です。だから、文字を見るというのがけっこうしんどいです。最前列に行っても黒板やスクリーンが全く見えないので、タブレット端末を使って写真を撮り、ピンチアップして大きくして見るようにしています。また、先生の言葉をパソコンに入力して授業を受けるようにしています。一年生の頃はアテンダントに甘えていた部分があったので、今は自分で効率的に勉強できる方法を探しています。
授業ではアテンダントサービスを利用することもありますが、パソコンスキルを上げるためにも、分からなかったことは自分で聞きに行ったり、困ったら自分から頼みに行くようにしようと決めて、今はできるだけ自分の力でやるようにしています。

健康・スポーツ科学メジャーの授業が練習に活かされているなと思うことはありますか?

――たくさんあります。例えば、「スポーツと栄養学」の授業ではスポーツのパフォーマンスを上げるノウハウを知ることができましたし、「トレーニング論」では効率的なトレーニング方法を学ぶことができて、水泳をやる上でとても役に立っています。
運動の前後に筋分解を抑えるために必須アミノ酸サプリを摂取したり、自分が普段食べている野菜では摂取できないビタミンをマルチビタミンなどのサプリで補うようにしたり。「スポーツと栄養学」の授業をきっかけに食事の面で気を遣うようになりました。去年はコンビニ飯ばかりで胃腸の調子を崩しがちでした。でも、食事の栄養に気を付けるようになって、体の調子だけでなく精神的にも落ち着いていると思います。家族や友人のサポートのおかげもありますが、栄養バランスの良い食事のおかげでパニック障害の症状も少し良くなってきました。練習頻度は以前よりも少ない週2なのに、前よりも体をスムーズに動かせるようになったので、そのおかげで自己ベストを更新できたのかなとも思っています。

これからの目標を教えてください。

――来年5月に日本選手権の予選があります。僕は、100mバタフライと100m平泳ぎにエントリーする予定なので、日本選手権の派遣標準記録をとって大会に出場することです。今後の大きな目標としては、パリとロサンゼルスのパラリンピックに出場することです。

同じように中途障害を持って悩む人へメッセージがあればお願いします。

――僕は元々アウトドア派で自転車に乗っていろんなところに出かけることが好きでした。視覚障害者になって、友人が運転免許を取って車に乗っているのを見て、「僕はどうして車を運転することができないのだろう」「自分はどうして障害を持ってしまったのだろう」とできないことに目を向けてしまっていました。でも、できないことに目を向けるのではなくて、パラリンピックのように、視覚障害であればタッチする時に壁にぶつからないようにタッピングバーを使うなど、その人の障害に適応した器具やサポートなどで工夫をすれば、障害を持っていてもフェアに競技に挑むことができます。パラ水泳を始めて、できないことに目を向けるのではなく、できることもたくさんあるんだということに気づくことができて、ようやく障害を“個性”だと思えるようになりました。最近は見えないことを強みにしています。視覚障害者だったからこそ、全国大会という大きな舞台で優勝することができたので、障害を負ってからもメリットはあると思います。最初はすぐにそういう風に思えなくても時間が解決してくれるし、障害が長所になることもあるので、少しずつでも自分のことを見つめ直していってほしいと思います。


【関連リンク】

第22回全国障害者スポーツ大会にて本学学生が入賞しました。

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