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『Don’t be shy!』

文学部文学メジャー 森岡翔哉くん
期間:2016年8月14日~9月17日
場所:フィリピン
活動内容:フィリピン語学学校(セブ留学)

●フィリピンの語学学校に行こうと思ったきっかけは何ですか。
――2年生になる前から、日本語教員をやってみないか、と先生に言われていて、海外でやるなら英語が必要だなと思っていました。母親が自営業で塾をしているんですけど、そこでセブ留学の紹介をしてくれた人がいました。海外で働くという視野もあったので、ちょうどいい機会だと思って、行くことを決めました。

●フィリピン語学学校ではどんなことをしましたか。
――韓国人が多い学校でした。でも、韓国人は学生もいるんですけど子どもが多くて、日本人は大人が多かったです。日本人は16人くらいいたんですけど、せっかく海外に行ったんだからと僕は日本人との関わりはできるだけ避けて、先生とよく話をしていました。
留学のコースは、ジェネラルとビジネスがあって、僕はジェネラル(一般)のコースでした。50分授業で10分休憩があって、1日5時間ありました。午前と午後で1時間ずつの休憩があって、ランチブレイクとディナーがあります。ディナーの後には自由参加のフリークラスがあって、仲のいい先生がフリークラスをやっていたので、僕はほとんど参加していました。
授業は、先生との1対1が基本でした。着いてすぐにテストがあって、レベルに応じてテキストが変わったり、先生が変わったりします。朝1番の授業はグループワークで、そこでは色んなレベルの人が5人くらい集まって発音の練習をしていました。グループワークでは、先生が一人ずつあてて「r」の発音の入った単語を言ったり、似ている単語を言ってどちらを言ったかを当てたり、聞き取りの練習などを細かくしていました。発音さえできれば、伝わる英語になります。僕自身使える英語を身につけたかったので、しつこいぐらいに丁寧に教えてくれたのは有難かったです。その後のライティングやリーディング、スピーキングは個人で、先生はどんどん変わっていく、という感じでした。先生は20~30人くらいいて、どんどんローテーションしていくので、授業に飽きることはなかったです。英語の歌を覚えて歌での交流で人の輪が広がって、パーティーも多かったので楽しかったです。学校設立4周年のパーティーや月1で先生や学生みんなで集まって英語を使ったゲームをしたり、本当に楽しくて毎日がお祭りのようでした。

●自分自身で、英語の上達は感じられましたか。
――2週間ぐらい経って、感じるようになりました。それまではほとんど分かっていなかったので、とりあえずニコニコ笑っていました。それでも、だんだん慣れてくると、自分の主張を言えるようになりました。事前に英語の勉強もしていなかったので本当にゼロからのスタートだったんですけど、日本人と接触しなかったのがよかったんだと思います。先生にも、「せっかく海外に来たんだから、フィリピンの人とか物に触れた方が自分のためになるよ」と言われました。

●フィリピンでは、どんなことをして過ごしていましたか。
――ほとんどフィリピンの先生たちと行動していたんですけど、知識的にも人柄的にもすごくいい先生たちで、全部受け入れてくれました。ボホール島やオスロブに行って、ジンベイザメと泳いだり、世界一小さい猿を見に行ったり、ツアーパックみたいなのにも参加しました。最終週は4連休あったので、仲のよかった先生の故郷ドゥマゲティに行きました。フィリピン人7人くらいと僕とで4日間行動していて、めっちゃ楽しかったです。先生たちから誘ったら先生たちが全部お金を払う、というルールがあったんですけど、フィリピンの月収は日本円にしたら6000円くらいなので、僕らが先生たちを誘って、普段行けないようなところに連れて行ってもらってお金も払うようにしていました。物価が安いのでそんなにお金もかからないし、先生たちも楽しそうだし、先生たちとずっと一緒にいるから僕は英語が教えてもらえます。使える英語が身についたのは先生たちのおかげだと思います。

●フィリピンで生活してみて、文化の違いなどはどういうところで感じましたか。
――海外旅行は初めてではなかったんですけど、整備されていないところで何週間も滞在するというのは今回が初めてでした。寮は1人部屋と2人部屋があって、僕は共同生活が苦手なので1人部屋にしていました。でも、終わってみると2人部屋でもよかったかなと思います。部屋の下が少し空いていたので、小さいトカゲが入ってきたりして、トカゲと5週間生活していました。大きなトカゲかヤモリかに噛まれた先生がいて、写真を見せてもらったんですけど、これが部屋にいたらやばいなと思いました。でも、日本では絶対に見ることができないものを見ることができました。
フィリピンでは、ベアハンドという手で食べる文化があります。手で食べることも、やってみると早くて楽でした。スクールにある食堂は味付けを日本人向けにしていたり、韓国人にはコチュジャンを用意してくれていました。生粋のフィリピンの家庭料理もおいしかったです。でも、バロットという孵化して14日の卵を食べる、という文化には驚きました。卵をパカっと割ったら、黄身とヒナがいるんです。僕はじゃんけんで負けてバロットを食べることになったんですけど、ヒナをのけて食べてみると、濃厚な黄身で美味しかったです。さすがにヒナは食べれなくて、羽が生えたヒナをカルシウムがあるからと食べる人がいることに驚いていたら、僕らが魚の刺身を生で食べていた文化と同じだよと言われて、なるほどなと思いました。そういうフィリピンの文化を知ったし、自分たちの魚を生で食べる文化は向こうにとってバロットを食べることと同じなんだと知って、受け入れることができました。
また、ジプニーやモーターバイク、トライスクルなどフィリピンの乗り物には全部乗りました。ジプニーは、向かい合って座るバスのようなもので、窓がなくてどんどん人が乗り込んできます。ジプニーの入り口の外側につかまっているだけなら、無料で乗れたりします。トライスクルはモーターバイクの下に板がついていて、3人くらい乗れる乗り物です。けっこう楽しくて、フィリピンの乗り物はすごく活用していました。一番多かったのはタクシーで、メーターの詐欺はされないように気をつけて乗っていました。とてもいい経験になったと思います。

●今回の経験で、新しい発見や驚きはありましたか。
――フィリピン人の人はめっちゃ元気でした。フィリピンタイムみたいなので、朝9時に出ようと言っていても、実際には12時だったりして、スローな感じでした。時間厳守な日本人では絶対に考えられないことだなと驚きました。フィリピン人のみんなは焦っていないので、そういうところも彼らから学びました。僕はきっちりしている方だったので、一緒に生活していくうちに心にゆとりを持てて、時間感覚が良い意味でルーズになりました。
お金に関しては、少し大変でした。フィリピンでの1000ペソは1ヵ月生活する3分の1なので、小銭を持っていないんです。例えば、大きいお金で50ペソの物を買う、というのは向こうでは考えられません。100ペソでようやく50ペソの物を買います。大きいお金を出しても、小銭がないからおつりを返せないからです。だから、最初の一週間は小銭集めに苦労しました。国に帰る人はどちらかといえば大きいお金を持っていた方がいいので、その時に色んな人に両替してもらったりして、小銭ケースがパンパンになるくらい集めました。お金は日本円の2分の1だったので、計算はしやすかったです。本当に物価が安くて、マンゴーが1個40円だったり、アカシヤの木のプレートが1000円ぐらいで買えたので、帰りはキャリーがいっぱいになるぐらいお土産を買いました。
フィリピンでは、水道水はお腹を壊すから飲めないので、どの家庭にもウォーターサーバーがあるのには驚きました。大きいウォーターサーバーが1つ20円ぐらいでした。需要があるから供給も増えて、価格も下がる、という均衡が取れていて、いつも綺麗な水が飲める状態になっていました。水が汚いというのは分かってはいたんですけど、それをペットボトルの水ではなくウォーターサーバーの水で対応していたことに驚きました。

●行く前の想像との違いやギャップはありましたか。
――思っていたより、怖くなかったです。マニラという首都は本当にやばいところみたいで、空港会社がキャリーの中に銃弾を入れて旅行客を脅してお金を盗る、ということが昔あったことを聞きました。だから怖いところというイメージがあったんですけど、セブとかは観光地なので比較的に安全なところで、穏やかでした。夜に、僕一人で交渉して、50ペソのところを20ペソに値切ってモーターバイクに乗ったことがあります。滞在しているうちに、現地の人相手に交渉できるだけのコミュニケーション力が身についていました。とりあえず、何でも恐れずにやるようになって、すごく度胸がついたな、と思います。

●今回の留学で学んだことは何ですか。
――フィリピン人は、人へのリスペクトがすごかったです。日本人はどちらかと言えば冷たくて、自分さえ良ければいいという部分があるかなと思うんですけど、フィリピン人は良い意味ではフレンドリーで悪い意味ではズカズカ入り込んでくるって感じでした。でも、英語が話せなくて躊躇する不安があるので、ズカズカ入ってきてくれた方が自然と打ち解けられます。そのうち、授業でもライティングもリーディングもしたくない、と教科書を閉じてスピーキングだけの時間を作ってもらって、フィリピンの話を全部英語で話すということもしていました。
フィリピンで英語を学んだことで、大学にいるフィリピンの留学生とより交流するようになりました。僕が英語で話して向こうが日本語で話す、ということをしています。分からないことは向こうが教えてくれるし、留学生のチューターもしているので、すごくいい感じです。僕は日本語を教えるし、向こうは英語を教えてくれるし、とても役立っています。2月に韓国からの留学生が来ていたんですけど、ほとんど日本語を喋れない学生がいて、僕が英語を喋れたのでコミュニケーションをとることができました。そのおかげか、後半は日本語で積極的に話しかけてくれるようになりました。きっかけ作りとしても英語が使えたので、英語をやっていてよかったなと思いました。
フィリピンの先生とは今もテレビ電話などで交流していて、大学のカリキュラムのインテンシブ・イングリッシュ・プログラムに参加する時に会えたら会いたいと思っています。今後も、積極的に海外には行きたいと思っています。

●次に参加する本学のインテンシブ・プログラムに向けて、どんな思いがありますか。
――勉強したいというのももちろんあるんですけど、今回の5週間の留学でフィリピンのことがすごく好きになったので、個人でフィリピンに行こうと思っていました。でも、大学のプログラムなら実質10万円くらいで行けるので、参加したいと思いました。日本語を喋ったら罰金、というみんなが作ったルールがあるらしくて、それもいいなと思いました。担当教員の中澤先生とも話したことがあって、今回のプログラムに誘っていただいた、という先生とのつながりもあります。
今は、毎週インテンシブの授業があって、自分で調べてきた英単語などの課題を提出しています。僕は一度フィリピンに行っているので、向こうの事情や習慣もなんとなく分かっています。行っていない学生は聞いた知識だけなので、僕は目で見たものを知っています。その点では有利というか、自分にとってプラスな作用をもたらしてくれているなと思います。

●今回の経験を通して、自分の中で変化はありましたか。
――どちらかというと、僕は自分がよければいい、自分さえできればいい、と思っていました。でも、誰かのためにやってあげよう、ということをフィリピンの先生たちから学んだので、日本に帰ってきて自分もそうしようと思うようになりました。それに、僕はあんまり人と話さないんですけど、帰ってきてからは積極的に話すようになりました。以前はピア・リーダーをしていても、人と話はできるけど話していなかったり、人とあまり群れたりしていませんでした。でも最近は積極的に人の輪に入るようにしています。フィリピンに行って、すごく明るくなったと思います。この人はこういう人、というように何でも受け入れるようになって、すごく寛大になりました。今までシャットダウンしていたことも、繋げていくようにと変わりました。帰ってきてから、みんなから「変わったね」と言われるようになりました。受け入れてくれるから話せることもあるし、聞けることもあります。まずは受け入れるということがコミュニケーションの基本で、尊敬の気持ちを忘れないことが大事だということもフィリピンの先生が教えてくれました。思ったことは言うように、でも相手を尊敬する気持ちは忘れずに、相手を受け入れながら生活するようになりました。

●これからの将来にどのように活かしていきたいですか。
――将来国語の先生になる、となると英語はどちらかというと必要ないかもしれません。でも、もうひとつの夢である日本語教員として海外で生活するなら、必要最低限あったらいい言語が英語です。それを今のうちから身につけておきたいです。大人になってからは時間がなくて語学は学べない、と先生も言っていました。学生のうちに何ができるのかを考えた時、将来のための糧、材料などを自分のかばんに詰め込んで持っていた方が安心もするし、夢に近づけるんじゃないかと思いました。土台を作ってから社会に出ていきたいです。英語が出来た方が仕事の幅も広がると思うので、今回の経験で英語を学べたことは本当によかったと思います。夏休みをバイトだけで過ごす学生もいると思うんですけど、働いてお金を稼ぐということは社会人になってもできることなので、僕は学生のうちにしかできないことをしていきたいと考えています。

●留学に興味のある後輩へのアドバイスやメッセージがあればお願いします。
――僕が一番はじめにフィリピンの学校に着いて言われたことが「Don’t be shy!(恥じるな)」ということでした。「知らないことは恥ずかしいことじゃないし、聞けないことの方が恥ずかしい。分からないことがあればすぐに聞いて、やりたいことは全部言いなさい。もしミスをしても私たちは受け入れるし、理解するし、いつでも味方でいるからね。それが、外国人が外国人を受け入れるということだよ。だから、心配しないでね」という言葉に胸を打たれました。
外の世界を見なくても人は成長できるけど、見た方が心も身体もより成長できると思います。僕は、心の成長が大きかったです。
だから、常に「Don’t be shy!」で、恥ずかしがらずに何でもチャレンジしてみてください!


*セブ留学 Premium Resort Campus

*森岡翔哉くんのブログ>>>

マイノリティ・ウィーク特別講演会が四国新聞に掲載されました!

2017年6月19日(月)に行われたマイノリティ・ウィーク特別講演会「障害と介護を語り考える」の様子が、6月20日(火)の四国新聞に掲載されました。

20170620四国新聞18面(縮小)
(四国新聞:2017年6月20日18面)

*2017年度マイノリティ・ウィークについてはこちら>>>
2017年度マイノリティ・ウィーク特別講演会(上条百里奈 氏・愼 允 翼 氏・金井塚悠生氏)

『海外での交流を通して』

社会学部 観光学メジャー 長井恵里さん
活動内容:世界のろう者との交流
活動場所:カンボジア、ベトナムなど

●海外旅行に行こうと思ったきっかけは何ですか。
──大学生になるまで、海外に行ってみたいとは全く思っていませんでした。それまでずっと地元から出たくなくて大学が香川というのも嫌でした。しかし、大学に入ってから友達も増えて、その友達がいろんなところへ行っているのを見て、自分も行ってみようかなと思いました。それで気づいたら11ヶ国も行っていました。
 初めて行ったのは大学1年生の時のグアムです。観光だったので友達と一緒にデパートでショッピングをしたり、パラセーリングをしたりして、とても楽しかったです。
 耳が聞こえないので、コミュニケーション面で不安がありましたが、身振り手振りで聞こえる人よりも意思疎通ができると感じました。

●世界のろう者と交流するようになったのはいつ頃からですか。
──初めて世界のろう者と交流したのは大学2年生の時に訪れたカンボジアで、ろう学校を見学し寄付もしました。その次は大学3年生の時に訪れたベトナムで、ろう学校やろう協会、青年部を見学しました。

●カンボジアでの交流はどうでしたか。
──私が今、大学に行けているのは本当に恵まれていることだと考えさせられました。カンボジアにもろう学校がありますが、行けない子どもが多いのが現状です。私が訪れた時は100人ぐらいの子どもたちがいましたが、同年代の子が小学6年生ということに驚きました。

●ベトナムのろう学校ではどんなことをしましたか。
──日本の大学について、大学でどういう過ごし方をしているかなどを講演しました。私はノートテイクを受けていることや食堂で友達と食べていることを写真も見せながら話しました。ベトナムの場合は、大学に進学する人は少なく、就職もできない人が多いです。運転免許の取得も認められていないので、「どうして日本は進学や就職ができるの?」と難しい質問もありました。ろう者が周りから認めてもらえない現状の中で講演するのはとても緊張しましたね。

●ベトナムでの交流はどうでしたか。
──ベトナムではハノイろう学校で講演、ダナンろう学校の見学、ホーチミンろう協会の見学をしました。ベトナムに行ったことがある友達と一緒に行っていたので、その友達や現地の人からベトナム手話を教えてもらいながら覚えました。ベトナム手話は日本手話と全く異なるので、初めは戸惑いましたが「アメリカ手話をベトナム手話でいうと何?」と知っているアメリカ手話からベトナム手話に変換しながら覚えました。ベトナムでも少し前まではアメリカ手話が主流だったそうですが、今はベトナム手話を普及させようという動きになっているようです。
 ベトナムでの交流でできた友達とは、たまにテレビ電話で連絡を取っています。
また9月に所属している全日本ろう学生懇談会の海外研修プロジェクトの一環で行く予定です。ろう学校で教鞭をとる経験ができるので楽しみです。

●新しい発見はありましたか。
──ベトナムではみんなが積極的に挙手して発言していて、リーダーも一人ひとりから意見を導いたりまとめたりするのがとても上手くて感動しました。日本人は大人しい、あまり意見を言わないといいますが、その通りでとても痛感しました。
リーダーの在り方について考えさせられ、色々と新しい発見があった有意義な時間でした。

●11ヶ国の旅行の中で印象に残っているのはどこですか。
──今までアジアに行くことが多かったのですが、イタリアで初めてヨーロッパの地を踏んだ時はすごかったです。多人種が共生していて、のんびりとゆったりとした時間が流れていました。5日間で7都市を周遊し、お金や時間が限られている中で1日に1都市でしたが、それでも十分に楽しめました。観光学で学んだ世界遺産を実際に見られてとても嬉しかったですね。

●海外に行って、自分の中で何か変化はありましたか。
──コミュニケーション能力が上がったと思います。それに今まで地元から出たくないと思っていたのに、世界中を旅したいと刺激を求めるようになりました。また、旅のプランを考えて航空券やホテルを個人で手配してきたので計画力も身に付きました。

●日本でのろう者との交流を教えてください。
──全日本ろう学生懇談会というろう学生からなる団体に入っており、そこで全国のろう学生と交流しています。同世代の人たちとリアルタイムで議論ができる場です。
海外旅行の経験もありますが、この団体に入ってから意見を述べられるようになりました。このことから大学に進学してよかったなと幾度も思います。
 また、地元の青年部の部長をやっています。今年度から新体制で発足して、仲間づくり・学習づくり・要求づくり、の三本柱に沿った活動をしています。私たちの生活が不自由なく恵まれているのは、ろうあ運動をしてくれた先人たちのおかげであることを多くの人に知ってもらうために、これからも活動していきたいです。

●将来にどう活かしていきたいですか。
──大学に入ってから「思い立ったら行動に移す」をモットーにしているのですが、これまでの決断に後悔はありません。むしろ、すべて自分のためになっているのでよかったなと。社会人になったら、経験を振り返り、慎重に行動に移していけたらと思います。
 また、『課題解決』をビジョンにしている企業で、ろう者の業務範囲拡大などろう者がもっと暮らしやすい環境づくりに貢献していきたいです。

●海外での活動や交流に興味がある後輩へアドバイスやメッセージがあればお願いします。
──やはり、思い立ったらすぐに行動に移した方がいいと思います。思い立った時点で、自分に必要なことだと思うので、迷っている暇はないと。地元を出る前はあらゆることを親や先生に任せていて、大学を選んだのも先生でした。今思えば、自分に関わることは全部自分で決断した方がいいと思いますね。自分が「これだ!」と決断したことはそれなりに続きますよ。

『成長を求めて』

文学部 文学メジャー 本久夕生くん
活動内容:フィリピン語学学校、学校建設のボランティア
場所:フィリピン、カンボジア

●フィリピンの語学学校へ行こうと決めたきっかけは何ですか。
――僕はピア・リーダーをしていて、今はピア・リーダーの委員長をしています。2年前に清水先生のクラスターについていた時に、清水先生に「外国事情でフィリピンに行かないか?」と何度も言われていたんですけど、当時は全然興味がなかったので、ずっと断っていました。でも、自分のクラスターに車椅子の学生がいて、その子が行くから来てくれないかと言われて行ったのが始まりでした。フィリピンに行って、正直すごく異文化の中で知らないことばかりで刺激をたくさん受けました。でも英語を話せないという悔しさもあって、また行きたいなと思うようになりました。自分の性格上、また行きたいと思っても日が経つと行かなくなってしまうので早めに予約しようと思って、その後すぐにスピードラーニングを始めました。去年、金関課長にセブでも有名なQQEnglishという学校があることを聞いて、自分で新しい友達も作りたいし行こうと思ったのがきっかけです。そこから東南アジアが好きになって、今年の春もカンボジアに行ってきました。

●初めて行った「外国事情(フィリピン)」では、どんな刺激がありましたか。
――初めての海外だったので、英語を話す生活をしているというのもそうですし、食べ物も全然違っていたり、ストリートチルドレンがいたり、日本では蛇口をひねると簡単にお湯が出てきたのにフィリピンでは出てこなかったり、すべてが僕にとっての当たり前が当たり前ではなかったということに衝撃を受けました。それで、もっと知りたいと思うようになりました。日本にいることも有り難いけど他の国を知ることも必要だなと思って、かなり視野が広がりました。8日間くらいの滞在だったので、あっという間に過ぎていました。それで、日本に帰ってきてすぐに英語の勉強を始めました。

●フィリピンへ語学留学に行ってみてどうでしたか。
――僕が行ったのは、QQEnglishセブ島留学です。規模が大きくて、学校はセブのITフロント校と海沿いにあるシーフロント校の二つに分かれていました。セブでは有名で、最初にできた語学学校だと思います。8月末から9月末までの夏休みの期間を利用して、1ヶ月間行きました。友達もたくさんできました。四国から行っていた人が少なくて、みんな関西や関東の頭のいいところばっかりで、最初は入りずらかったんですけど、気がついたらみんな仲良くなっていました。学校には寮があって、僕は台湾人2人とブラジル人と一緒でした。一人部屋もあったんですけど、これも勉強だなと思って一緒に生活をしていました。留学していたのは日本人が一番多くて、その次に台湾人だったんですけど、ルームメイトに台湾人がいたということもあって、台湾人の男性はすごく優しいなと感じました。
すごく有意義な1ヶ月だったと思います。

●具体的に授業はどんな内容でしたか。
――1コマ50分の6時間が僕の授業スケジュールでした。授業では、ひたすらコミュニケーションをとります。発音や文法、会話、リーディングやリスニングなどいろんなスキルをやったので、身になったなと思います。でも、力がつき始めた頃に期間が終わったので、もう少し居たかったなと思います。
先生とも仲良くなって、ラインやフェイスブックでもいろんな先生と今でも交流を持っています。フィリピン人はすごく優しくて、卒業した後でも連絡をとってくれます。

●フィリピンへの語学留学で学んだことは何ですか。
――前回の授業では8日間で、今回の留学では1ヶ月間行ってみて、前回は先生もいるし集団行動だったので、正直英語をしゃべらなくても大丈夫でした。でも今回は留学で英語を勉強しに行くという環境におかれていたので、やっぱり自分も英語を話さなければいけない、というところで全然違っていました。英語を話さないと生活できなかったので、無理矢理自分を頑張らせたという部分では、日本ではできない経験でした。1ヶ月間英語を話す生活、他の国での生活というのはなかなか他の学生もできないことだと思うので、そういう部分では刺激になりました。週末は土日が休みだったんですけど、いろんなアクティビティに参加して、ジンベイザメと一緒に泳いだり、ワニを触ったり、観光地に行ったり、ご飯を食べたり、日本ではできないような活動をたくさんできたのですごく楽しかったです。

●実際にフィリピンへ語学留学に行ってみて、自分の中に何か変化はありましたか。
――日本に帰ってきてから、もっと人に優しく接しようと思いました。感謝の気持ちもそうですけど、当たり前のことではないということもさらに思ったので、気持ちの部分で大きく変化がありました。なぜか分からないんですけど、気持ちに余裕がでてきました。フィリピンで生活していて、向こうの人は時間に縛られていなくて、日本で時間がない、忙しいと思っているのが馬鹿らしくなりました。時間は作るものだ、と思うようになりました。

●カンボジアでボランティアをしようと思ったきっかけは何ですか。
――僕は毎年目標を立てるんですけど、その中に「3カ国以上旅をする」と書いていて、教育実習があったり就職活動があったりするので時期的に夏は厳しかったので、3月ぐらいにどこか行きたいなと思っていました。ボランティアをすごくしたいなという思いもあったので、海外でボランティアをしようと思い、ネットで調べて時期的にもよかったのがカンボジアのスタディツアーでした。世界遺産を知りながら、学校に行きたくても行けない子どもたちのために学校建設をしたり、遊具を作ったり、健康診断の手伝いをしたり、というツアーがあるということを知って、これに行こうと決めました。

●具体的にボランティアではどんなことをしましたか。
――インターンとスタディツアーで分かれていて、僕たちの時の1週間が21人で、春だけで123人いました。最初はみんな知らない人ばかりなので、自己紹介をしたり、現地の歴史を学びました。僕も行ってから知ったんですけど、つい最近まで虐殺が行われていたそうです。そういう文化を勉強して、国を知ってから中身を知っていかなければいけないということで、実際に虐殺の場所とかに行ったり、アンコールワットとか色々な建物を見て、歴史を勉強したあとで子どもたちと関わって遊んだりしました。学校建設ということだったんですけど、行った時には学校はもう建っていたので、遊具を作ることが仕事になりました。穴を掘ってタイヤを埋めて、タイヤを渡ったりして遊べる遊具を作りました。次の学校に行った時には、運動会をしたことがないので、子どもたちのために運動会をしました。子どもたちは50人ぐらいで、チームは4つぐらいに分かれて学生がついていました。種目は風船リレーとしっぽとりと綱引きだったので、すぐ終わっちゃったんですけど楽しかったです。
子どもたちはまだ英語を話せないので、挨拶とかいくつか現地の言葉を勉強したのでコミュニケーションはとれました。そこで思ったのは、一番笑顔が大切だということです。

●カンボジアでのボランティアで印象に残っていることは何ですか。
――「やるかかやらないかは、死ぬか死なないか」という言葉がすごく心に響きました。死なないならやったらいい、という女の人がいて、その人は大学卒業後に就職して何か違うなと感じて仕事を辞めてカンボジアに行った人なんですけど、その言葉を聞いて、たしかに死なないならやった方がいいかと僕も思いました。

●ボランティア活動をしていてよかったと思うことはなんですか。
――フィリピンでは子どもと関わることはほとんどなくて、大人と関わることが多かったです。行きたかった理由としては、ボランティアをしたいということもあったんですけど、教員免許のコースを取っていて、教育にはずっと興味があって、日本以外の教育現場を見たいというのもありました。実際に見てみて、カンボジアがまだまだできていないことも知れたし、自分がどういった形で支援したらいいかということも分かったし、将来のビジョンが見えてきたかなと思います。将来につながるような一週間だったなと思います。

●東南アジアの魅力は何ですか。
――僕が東南アジアにはまっているのは、たぶん発展途上国が多くて、すごくいきいきしているからだと思います。日本だと店員さんとかも愛想が悪かったりするんですけど、向こうは本当に必死に物を売っていたし、どんな時でも笑顔だし、フィリピンの先生も朝5時から夕方まで疲れた顔を見せないので、そういうところが本当に素敵だなと思いました。発展途上国だからとは言い切れないと思うんですけど、もっと他の東南アジアの国を知りたいなと思いました。

●海外での活動を通して、自分が成長したなと思うところはありますか。
――やっぱり視野が広がったのが一番だと思うんですけど、人の気持ちを考えて行動できるようになったかなと思います。全部今まで自分が主体で、自分が自分がという感じがあったんですけど、常に言葉の発言とかもそうなんですけど先に相手の気持ちを考えて行動できるようになってきたかなと最近すごく思います。学校生活にも、ピアリーダーとしても、活かせていると思います。やっぱり1年生は入学して間もなくて不安だと思うんですけど、自分たちの目線だと分からないこともあったりするんですけど、1年生の目線になって言葉をかけたり行動したりというのは、今年の1年生に対してできたかなと思います。僕を見かけたら声をかけてくれたり、連絡をくれたりして、かわいいです。

●今後、何か挑戦したいことはありますか。
――まず、近くのことでいうと夏に東南アジアの他の国に行ってみたいと思います。自分自身が常に成長を求めていて、そこで終わりたくないと思うところがあって、自分が経験したことのない、普段経験できないようなことを経験したら刺激をたくさんもらって成長できるかなと思うので、どんなことでもチャンスがあればやりたいです。

●今回の経験をこれからの将来にどう活かしていきたいですか。
――将来は起業したいなと思っています。やりたいことはNPO法人のようなもので、自分も日本とカンボジアなどを行き来しながら学校を建てたりとか図書館を建てたりという活動をしたいです。向こうの子どもたちは、可能性はいっぱいあるのに勉強ができないから結局やることが限られてきてしまいます。勉強したらどうにかなるのに勉強する場所がないから、そこでとどまってしまうというのは見ていて思ったので、勉強できるようなことを支援してあげたいです。もし起業しなくても、仕事をしながら長期休みをとって自分が支援していきたいなと思いました。

●語学学校や海外でのボランティアに興味がある後輩へのアドバイスがあればお願いします。
――今しかできないことはたくさんあると思います。就職してからできることはあると思いますけど、こんなに時間があって自分のしたいことをできるのは今しかないと思います。きっかけができないから見つけられないこともあると思うんですけど、積極的にどんなことでも貪欲にやって欲しいかなと思います。そうすれば自然と結果とか自信はついてくると思うので、それがついてくるとまたやりたいなというサイクルになって成長できて将来に活かされるんじゃないかと思います。
とりあえず、どんなことでも「やるかやらないかは、死ぬか死なないか」です。

『主務としての大変さと楽しさ』

社会学部 情報加工学メジャー 猪野 杏梨 さん
サークル:硬式野球部マネージャー(主務)

●硬式野球部のマネージャーをはじめたきっかけは何ですか。
――私は元々高校でも野球部のマネージャーをしていて、マネージャーをするつもりで大学を探していました。四国の中でも四国学院大学が強いと聞いていたので、四国学院大学に入学しました。野球を好きになったのは、小学6年生の時に修学旅行でプロ野球の試合を観に行ったのがきっかけです。その時に野球に興味を持ってから、ずっと好きです。私自身野球はできないんですけど、観るのが好きです。

●野球の魅力はどんなところですか。
――野球は、けっこう複雑です。サッカーとかに比べるとルールがかなり多いと思いますし、毎年ルールが変わったり、野球規則という本も毎年更新されるくらいルールが多くて、それを調べて自分が分かっているのが楽しいなと思います。試合では、私が試合のスコアをつけてそれが公式の記録になります。マネージャーがルールを覚えておかないとちゃんとした記録もつけられないので、毎年規則を確認しています。

●具体的に硬式野球部のマネージャーとしてどんなことをしていますか。
――私は主務という役職に就いているんですけど、チームの運営を統括するポジションで、部費の管理とかもそうですし、練習試合を組んだり、球場を手配したり、審判さんをお願いしたり、仕事でいうとかなり多いです。書類を作成したりもするので、何がメインか自分でも分からなくなるぐらいたくさんあります。チームを運営するために必要なことをすべてマネージャーがしています。今、マネージャーは私と同期の子と今年の1年生で2人男の子が入ってきてくれたので、4人います。私たちが入ってからは全然マネージャーが入ってこなくて、引継ぎもできない状態だったんですけど、やっと今年1年生が入ってきてくれたのでよかったです。
休みの期間中はほとんどが練習試合で、春休みだけで20試合ぐらいはしています。基本的には中国地方や四国の社会人の野球部に連絡をとって、どんどん試合を組んでいます。監督やコーチと選手の間に入るのが私たちの仕事なので、監督やコーチの意向を聞きながら選手の意向も聞いて提案します。
それに、四国地区大学野球連盟の仕事も各大学の持ち回りであって、連盟に必要な書類を送ったり、連盟のブログ記事を書いたりします。私は1年生の秋ぐらいから試合のスコアラーをやっていて、毎試合それを書かなければいけませんでした。毎試合それが続くとどんどん大変になってきて、後半は慣れてきて30分くらいで書けるようにはなったんですけど、最初は時間がかかっていました。

●サークル活動を続けていてよかったなと思うのはどんな時ですか。
――よかったなと思うのは、つい最近なんですけど、優勝したことが一番嬉しいです。私たちが入学する前に全国に出場していて、それからずっと行けていなくてやっと4年生で最後の年に出場できました。他大学の選手の方とかマネージャーの方にも「おめでとう」と声をたくさんかけていただけたので、それが一番嬉しかったです。でも、最初の第1試合目の時に2勝した時は勝てたという思いがあったんですけど、3戦目ぐらいに入ってからずっと勝ち続けていたので「これは優勝できるんじゃないか」と思い始めて、気づいたら優勝していたので、今でもあまり実感がありません。1回も負けることのない完全勝利、というすごい試合を観たのは初めてでした。会場も盛り上がってましたし、選手も盛り上がっていて、卒業生の方とかもたくさん応援に来てくださっていたので、優勝ってこんなに力があるんだなと感じました。

●今回の最終戦のポスターを作成したきっかけは何ですか。
――野球連盟の仕事で、私は広報をしています。それでいつもリーグ戦のポスターやパンフレットの表紙を担当していたので、漆原部長の方から最終戦に向けてのポスターをお願いされて、それで作ったら意外と反響があったのでよかったです。野球部のHPや連盟のHP記事も私が作っています。デザインとか細かい作業が好きなので、それで情報加工学メジャーを選んだというのもあります。将来もそういう広報関係の仕事に就きたいなと考えています。

●本学での授業が硬式野球部関係の広報活動をするにあたってどんな風に活かされていますか。
――基本的に田尾先生の授業が多いんですけど、「こういうポスターを作る時はこういうことを入れるとお客さんにすぐ伝わりやすい」とか、どういう表現をすれば効果的かということを学んだのでそれを使うようにしています。今回のポスターのポイントは、インパクトにこだわったので、なるべくシンプルに伝わるように文字もあまり多く入れずに選手をいっぱい使ったところです。デザイン系が元々好きで、絵を描いたりするのも好きなので、広報関係の仕事をしている時の方が試合を組んだりする時よりもどちらかというと好きです。
文章を書くことも元々好きだったんですけど、試合の記事を書くようになってからもっと得意になったかなと思います。読んですぐ入ってくる文章を作るように気をつけています。語尾を同じにしないとか、見た人に臨場感が伝わるように書くように心がけています。そういった言葉選びについても田尾先生から学んでいることは多いです。元々田尾先生が会社に勤められていたことを聞いたので、社会に出る時にこういう言葉を使った方がいいとか、新聞とテレビで使っている言葉が違うという話も授業で聞いて、自分でも気をつけるようにしています。この言葉使い方ちょっと違うんだとか、この漢字は新聞では使うのにテレビでは使わないとか、色々あるのを田尾先生の授業で知って、自分でも気をつけようと思いました。高校野球の夏の大会とか丸亀球場でやるようになったんですけど、実況の方の横でスコアをつける、野球部とはまた別の仕事を去年ぐらいからしています。なので、隣でテレビの実況をされている方の横で実際にそういう話を聞くので、すごいなぁと一人で感動していました。

●マネージャーの仕事を通して成長したなと思うこと、学んだことはなんですか。
――私は、元々人前に出るのが得意なタイプではありませんでした。だから、主務になって大丈夫かなと思っていたんですけど、主務になったからこそ色々仕事を経験できて、人前に出るのも得意になりましたし、人間的に成長できたなと感じます。入学したばかりの自分が見たらびっくりするくらい、この4年間で変わっていると思います。普通に人前で話すこともできるようになりましたし、目上の方と話すことの方が多いのでそういう時にどういう言葉を使うのかとか、こういう時はどういう対応をしたらいいのかということを学んだので、そういう意味では野球部から社会の成り立ちを学びました。マネージャーの仕事を活かして、社会でもやっていけると思います。
高校野球の夏の大会で実況の方の横でスコアをつけるお仕事も、高校野球連盟とか社会人の手伝いをされている方から声をかけていただけて、色々なことを学ばせていただきましたし、初めての経験だったので楽しかったです。
去年の秋のリーグ戦が終わった後に、六大学の中から推薦で選ばれた選手が四国選抜として社会人の方と交流戦をするんですけど、その四国選抜のマネージャーに選んでいただきました。すごく良い経験になりました。やっぱり他大学の選手のプレイもそうなんですけど、礼儀とか所作とかすごくしっかりされているなと近くで感じられたので勉強になりましたし、思い出にもなりました。松山大学の主務の男の子と二人で四国選抜のマネージャーをしていて、他大学の運営の仕方はけっこう違うので、今までは一人でチームの運営をしていたので主務が二人いるだけでこんなに早くできるのかと驚きました。私がする前に動いてくれていたりしたので、それもすごく勉強になりました。社会人の方と接することが多いんですけど、社会人のマネージャーの方の対応の仕方とかはやっぱり大学生とは違うので、こんな風になれたらいいなと思いました。「こういう時はこうした方がいいよ」と声をかけてくれたり、JR四国さんとかは頻繁に試合をしていて顔見知りなので、世間話とかもできるようになりました。昔の私だったらできていなかったと思うんですけど、それができるようになったのでよかったなと思います。
4年間やってきてしんどいこともあったんですけど、女で主務をするという大変さがあったからこそ、自分を成長させることができたと思うのでよかったです。
最後に全国も行けたので、本当にやってきてよかったと思います。

●これからの目標を教えてください。
――今回、全国大会でのうちの野球部がいるブロックがけっこう強豪揃いなので、勝ち進んでいけたらいいなと思っています。四国自体がずっと全国大会で1勝ができていないので、四国で優勝したら「全国1勝」というのが目標になっていて、私が野球部にいる時に四国学院大学が全国での1勝に一番近いと思う、と言われていたので、1勝以上できたらいいなと思っています。

●サークル活動に興味がある後輩へアドバイスやメッセージがあればお願いします。
――好きな気持ちがあったらなんでも楽しくなると思うし、最初は大変でもそれが絶対徐々に自分の力に変わってくるので、自分がやった方がいいなと思うことはどんどん積極的にやっていけばいいと思います。マネージャーという仕事もやっぱり、上になればなるほどできなくなるので、学生時代にしかできないことをどんどんやってもらいたいです。


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☆春のピアフェスを開催しました!

2017年5月20日(土)、本学にて「春のピアスェス」が開催されました。

クラスターの垣根を越え、新入生同士で仲を深めてもらいたい!

そういった思いから、春と秋の年2回、ピア・リーダーがピアフェスの企画・運営を行っています。

今年度は、109名の新入生が参加してくれました。

10:00 全体説明、アイスブレイク

こうして始まった、春のピアスェス。クラスターの学生をバラバラにして、13〜14人でチームが組まれます。

全体説明のあと、「積み木式自己紹介」「じゃんけん列車」などのアイスブレイクを行いました。

ピアフェス1

10:30 準備体操

10:40 ドレミファどん!

二人一組でボールを運び、ピア・リーダーが流す曲の「曲名」「歌手名」を答える競技。イントロドンのようなものです。

ピアフェス2jpg

8組が一つのピンポンめがけて走ってくるので、凄まじい迫力があります(笑)

ピアフェス3

11:00 宝探し in SGU

学内のいたるところに貼られた封筒を集め、その中に入っているポイントの合計で勝敗を決める競技。

ピアフェス4

実は、封筒の中にはマイナス点も入っており、結果発表のときに打ちのめされているチームも出てきました(笑)

11:30 水の陣

水鉄砲と水風船を使い、頭につけたポイを破っていく競技。

はじめのほうは「キャハハ〜♩ 水つめたすぎる〜♩」と穏やかな感じでしたが、試合を重ねるにつれて「相手チーム、全員びしょ濡れにしてやるぞ! おらぁぁぁ!!!」という声が溢れていました。

ピアフェス5

彼らの本気を見た気がします。

12:30 休憩

13:30 空前絶後の借り人競争

「背の高い男の子」「ポニーテールをしている女の子」などの「〇〇な人」を借りてきて、ジェスチャーゲームをしてからゴールに向かっていく競技。

ボクシングのジェスチャーをしていたみたいなのですが、
ピアフェス6

自分的に納得いかなかったようです(笑)
ピアフェス7

14:10 今がチャンスです! 王様ドッヂ

基本的なルールはドッヂボールと同じですが、王様を一人決めて、みんなで守っていく競技。

だれが王様なのかを隠しながら行うので、ドキドキ感があります。

投げて、

ピアフェス8

投げて、

ピアフェス9

投げて、

ピアフェス10

怯える。めちゃくちゃ怯える。

ピアフェス11

男女混合で行われるので、女子の悲鳴が響き渡ることも多々ありました(笑)

15:00 結果発表

すべての競技を終え、ドキドキの結果発表。8位から順に読み上げたあと、司会者がこう言いました。

「最下位のグレーチーム、悔しくない? 君らのチームだけ、得点二桁だよ? 悔しいよね?」

ということで突如始まったのが、

15:10 一発逆転 大縄跳び

いちばん多く跳んだチームに200点が与えられる、一発逆転をかけた競技。最下位のチームから、ぶっつけ本番で跳んでいきます。

グレーチームに緊張が走ります。息をととのえ、せーの… いーち!

ピアフェス12

って、ひっかかるんかーい!(笑)

ピアフェス13

結果、0回でした(笑)

その中でもすごかったのが、緑チーム。30回以上跳び、深まったチームワークを見せてくれました。

ピアフェス14

15:30 結果発表

これが正真正銘の結果発表(笑)

大縄跳びで活躍した緑チームが、全体の優勝に輝きました。

見てください、最前列の学生の表情。めちゃくちゃうれしそうです。

ピアフェス15

ということで、今年も春のピアフェスを無事に終えることができました。

それもこれも全力で楽しんでくれた新入生たちのおかげです。

たくさんの笑顔、

ピアフェス16

ピアフェス17

たくさんの笑い声、

ピアフェス19

ピアフェス18

たくさんの「楽しかった」に包まれた、春のピアフェス。新入生たちの仲も深められたみたいで良かったです。

次は、秋のピアフェス向けて、ピア・リーダー一同がんばっていきます!

ピアフェス20

(記事:ピア・リーダー 文学部3年 森岡翔哉くん)

『剣道を通して得たもの』

文学部 学校教育メジャー 森末哲史くん
サークル:剣道部

●剣道をはじめたのはいつですか。
――僕が剣道を始めたのは5歳の時で、今年で17年目になります。父が剣道をかじっていて、地域の剣道教室の人と知り合いだったこともあり、剣道教室に行ったのが始まりでした。大会にも剣道教室の頃から参加していましたし、中学校・高校も剣道部で活動していました。

●剣道部に入部してみてどうでしたか。
――剣道部があるということを聞いていたので、意気揚々と防具を担いで入学したんですけど、僕が入学する1年前に、剣道部自体なくなっていました。1個上の先輩が一応作っただけ作ったみたいなんですけど、新しく部活を作って1年目は部費とか出ないですし、部室だけある状態で稽古をしないまま1年間が過ぎていたので、これはまた来年廃部になるだろうという状況でした。入学して、剣道部が活動していないことを知って、どうしよう、と考えてまずは部員集めからはじめました。とりあえず、部員集めの最初は声をかけていこうと思いました。当時の部長に僕に全部やらせてくださいとお願いして、部室の鍵とかも預かって、1人でコツコツとポスターを作ったり、新入生募集の立看板も作りました。そうすると、同じクラスターで剣道をしていたという友達が2~3人出てきたり、1年生の時は寮だったんですけど寮生の中にも剣道部だった子がいて、有り難いことに集まってくれたので5~6人の体制で剣道部が始まりました。
 「剣道部といえば森末」というぐらいに名前を売らないとみんな分かってくれないと思ったので、ピア・リーダー制度に目をつけました。ここに入れば名前が売れるから、剣道をやっていた子に剣道部があることを知ってもらえると思って、1年生の時にピア・リーダーになろうと決めました。学長や仙石先生、片岡先生にも「僕はピア・リーダーをいい意味で利用させてもらって、剣道部を集めようと思います」とずっと言ってきました。実際にピア・リーダーを始めてから、今年も711教室の大きな舞台で新入生勧誘をさせていただきました。おそらく今は「森末哲史=ピア・リーダー=剣道部」になっていると個人的には思っています。ここまで来るのに長かったなと思います。2個下にしっかりした後輩が2人入ってきてくれたので、3年間部長をしていたんですけど代わってもらいました。主将が代わって、僕は引退した形になるんですけど、後輩が「剣道部をなくさないようにがんばります」と言ってくれたので、感謝の言葉しか出てこないです。

●具体的にサークル活動はどんなことをしていますか。
――活動日は、月曜日と水曜日の週2回です。現在部員は名前だけだと20人くらいですが、実際に稽古に出てくるのは6~7人で、マネージャーを合わせて10人くらいで活動しています。年に何回か試合があって、あとは個人で稽古をしたり、外部の出稽古に行ったりして練習しています。僕が2年生の時から、経験と思い出作りとして試合に出るようになりました。強い大学にはなかなか勝てないんですけど、四国学院大学も昔は強かったみたいです。活動を続けてきて3年目の時に、歴代のOB会の方に声をかけていただいて、OBの方が10人くらい来てくださいました。剣道には段があって、最高が8段で全国レベルなんですけど、OB会には7段の先生もいらっしゃって、こんなすごい方が四国学院のOBでいるのか、とすごく勉強させていただきました。剣道部を作って色々あったんですけど、やってきてよかったなとも思いました。

●剣道の楽しさはどんなところで感じますか。
――剣道は暑いし、臭いし、痛いし、何が楽しいのか分からないとよく言われます。それはそのとおりだと思います。でも、僕の人生の剣道歴の中で大きかったのが、中学生の時にすごく尊敬できる恩師に出会ったことです。その先生は新任だったんですけど、寝る間も惜しんで一生懸命剣道を僕たちに教えてくださいました。
 結局剣道は団体戦だとしても一対一の競技で、コートの中では誰も助けてくれません。それを分かっていてどこまで自分と戦えるか、団体戦でも個人個人との戦いというストイックな競技です。本当に相手と自分との戦いです。そこに楽しさというか、惹かれている部分があります。それに、先生や仲間に恵まれて、ここまでずっと剣道が楽しいなと思って続けられたのが大きいと思います。僕は甘くみさせてもらっても上中下でいえば中ぐらいで、うまい人には勝てないし、どうしても強いチームと戦ったら足手まといになることもありました。でもそういった時に仲間が励ましてくれたり、アドバイスをくれたりしたことが今でも心に残っています。できれば僕もそういうことを後輩にしてあげたいし、同級生にもそういうチームを作っていきたいと思っていたのが大きいです。

●剣道の魅力はどんなところですか。
――実利的な面で言うと、今後武道は必修化されてきます。教育のメジャーに進んでるので、中学や高校の体育で剣道が入ってくるので、そういう面で言えば剣道をしていればみんなに教えたり頼りにされることができると思います。それに、このご時勢で公務員安定とみんな思っていると思うので、警察を受けるにしても、剣道や柔道の段で点数がプラスになったり、自衛隊でも剣道をやっている人が多いです。そういう面でも非常に役に立つと思います。
 やっぱり、剣道は自分との戦いなのでしんどい時に心の中で「まだやれる、まだやれる」と思うんですけど、そういう苦しいことが終わって面を取った後の爽快感は剣道をやっている人にしか分からないものだと思います。どんなに甘いことを言っても、競技なのでどうしても一対一で勝つか負けるかという部分が出てきます。そこで、チームプレイではなく最後は個人競技になるので、どんなに強い相手で一回負けても、もう一回やった時にどこまで自分が工夫してその相手から一本取れるか、一本取って勝った後の爽快感、ここまで自分が頑張ったというのは絶対他の競技にも劣らないと思います。

●剣道を通して自分が成長できたと感じるのはどんなところですか。
――一番は、礼儀です。目上の方々と話をさせていただく時とかは、武道は礼儀に厳しい面があるので、17年やってきて身につきました。しっかりメリハリをつけた行動ができるようになったのは、剣道が大きいかなと思います。仲間と出会わせてくれたのも剣道ですし、剣道は僕の日常生活から切り離せないものだと思います。

●これからの目標を教えてください。
――剣道部の目標としては、僕は十分剣道をやらせてもらったので、あとは後輩たちが剣道部をなくさずにいてくれたらなというのが剣道部に対する願いです。幸い僕もいい後輩たちに恵まれたので、後輩たちができるだけ長く剣道を続けてほしいなと思います。
 僕の個人的な目標としては、やっぱり地元に育ててもらったので、将来は地元の広島県に帰って、子どもたちに剣道の楽しさを教えられるような人間になれたらいいなと思っています。地元に剣友会という剣道をやっている組織があって、僕もそこで育ててもらって今でも顔を出しているので、そこの先生方や地元の方に恩返しができたらいいなと考えています。
 教師になりたいと思ったのは、剣道関係の人はけっこう公務員や教師をしている方が多く、こういう先生になりたいと思ったというのもありますし、中学校の恩師との出会いもありました。一番大きいのは、自分の父親が教師をしていたことです。父をすごく尊敬しているので、いつか越えたい憧れの背中だと今でも思っています。

●剣道部を廃部から立て直して今年で4年目ですが、今振り返ってみてどうですか。
――まずは、よく4年間剣道部を育ててきたなと、頑張った自分を褒めてあげたいという思いはあります。あとは、やっぱり人との出会いが大きいです。すごく恵まれた後輩が入ってきてくれましたし、剣道を通して、金関さん(学生コモンズ支援課課長)や吉田さん(学生コモンズ支援課職員)、OB会の先生方とつながることができました。僕は三人兄弟でみんな剣道をしているんですけど、弟の試合の時に四国学院大学OBの先生が顧問をしている全国常連校がたまたま来ていて、その先生の話を僕がしていたので祖母が挨拶に行ったことがあります。四国学院ではない場所でのつながりや出会いがあったのも、剣道のおかげです。
 剣道を続けてきて、四国学院大学で部活を作って色々ありましたけど、続けてきた中で人間関係が広がっていったのと、良い出会いがあったのはすごく自分の中で勉強になりましたし、これから社会で生きていく上で役立つものをたくさんいただけたと思います。

「京都国際ダンスワークショップフェスティバル」参加について、卒業生の高木里桜さんにお話を聞きました!

卒業生 高木里桜さん(演劇コース4期生)
京都国際ダンスワークショップフェスティバル
京都国際ダンスワークショップフェスティバル2017
日時:2017年4月14日~5月7日
場所:京都芸術センター

◇スカラーシップ制度
国内外、多方面で活躍する全国の推薦者から意欲的なダンサーを推薦してもらい、経済的負担のサポートとダンサーのネットワークを開拓している京都国際ダンスワークショップフェスティバルの制度。
本学教員阪本麻耶が推薦者として、高木里桜さんを推薦しました。

★大学時代のダンスとの関わりについて
私は、演劇を専門的に学びたいと思い、四国学院大学の演劇コースに入りました。そこで、初めてコンテンポラリーダンスに出会いました。
ダンスは、演劇と違って言葉がありません。そして言葉がないからこそ、自分の身体ありきで表現できる、自由で楽しいものです。私には、それがとてもやりやすかったです。即興で踊るときなどは、相手を見てどんどんつむいでいくことで、結果的に面白い動きが生まれる瞬間がたくさんあります。演劇のコースでありながら、ダンスに参加する場を設けていただいていたことも、私の中では大きかったです。2年生の時には先輩の自主公演に出演させていただくなど、良い機会にも恵まれました。

★卒業後のダンスとの関わりについて
私は、現在照明の仕事をしていて、色々なことを学んでいます。学生の時は演者と平行して舞台のスタッフもしていたので、舞台というものについて、どう見られているのか、 どう見えているのかを双方向から考えるようになったと思います。大学でノトス・プロダクション(※1)をやっていて良かったと思います。スタッフとしてやっていたからこそ、今の進路があると思っています。私は舞台が好きなので、演者か、ダンスか、スタッフか、どれで関わっても変わりません。今、舞台に関わるお仕事ができて幸せです。
今回、京都国際ダンスワークショップへの参加を決めたのは、社会人になった私とダンスとの関わり方を考えてみたいと思ったからです。学外でのダンスワークショップに参加するのは初めてなのでドキドキしています。外国の方だということで緊張していますが、臆せずに、リラックスしてがんばろうと思います。有名な先生方が教えて下さるので、受講生も色々な人が来るかと思います。その方々にも、ダンスとどういう距離感で接しているのか、聞いてみたいです。阪本先生も一緒に参加するので、A~D まであるダンスワークショップの受講クラスなどについて相談をしています。それぞれの先生の紹介文を読んだり、作品の映像を見たりして、どのクラスに参加するのか考えています。
せっかくの機会なので、ダンスワークショップを全部楽しみたいと思っています。


※1 ノトス・プロダクションとは、SIPA研究員と、本学学生によって構成された、ノトススタジオを運営するためのチーム。照明や音響、舞台芸術、映像、公演の制作など劇場の運営を学生たちが主体的に行っている。

――高木里桜さんの学生時代の主な出演歴――
・2016年4月
 ノトスラボvol.8『いみむいみ』出演
・2016年7月
 SARPvol.11『大丈夫。』出演
・2016年12月
 サラダボール公演『食と演劇 うどんとか』照明
・2017年1月
 ノトスラボvol.9『動員挿話』出演
・2017年2月
 ノトスラボvol.10『ChamPle』照明
・2017年3月
 演劇コース4期生卒業公演『これからピテカントロプス』出演

氏原さん(演劇コース4年)にラジオ番組出演への意気込みを聞きました!

FM高松「Action‼︎815 Challenge Thursday」のラジオパーソナリティを務めることになった、社会学部(演劇コース)4年氏原恭子さんに、ラジオ出演への意気込みを聞きました!

★出演するラジオ番組の紹介をお願いします!
毎週木曜日生放送の「Action‼︎815 Challenge Thursday」(FM高松)にパーソナリティとして出演します。さぬき映画祭2017『Lemon&Letter』に出演した時ゲストで出させていただいたのが、今回パーソナリティのお話をいただいたきっかけです。
「Action‼︎815 Challenge Thursday」は、毎年夢を追う女の子を応援する、というかたちで高校生や大学生で自分の目標に向かってがんばっている女の子が1年交代でパーソナリティを務めています。今回は、私ともう一人香川大学1年のシンガーソングライターIzumiさんの二人が担当します。私は木曜の2・4週目、Izumiさんは木曜の1・3週目と交代で担当して、5週目はパーソナリティが全員集合します。
ゲストコーナーやパーソナリティのコーナーがあったり、フリートークをしたり、音楽を流したり、交通情報、アルバイト情報なんかも発信しています。ラジオごとにfacebookがあって、けっこう写真とか動画もUPされています。私用のフェイスブックページも作ってもらったので、いろいろと書き込んでいきたいと思います。

★パーソナリティとしての意気込みをお願いします!
ラジオは世界中のどこからでも、誰でも聴けて、視聴者の顔が見えないので、今はどうなるか分からなくて不安ではあるんですけど、私の喋りで楽しんでもらえるようになりたいです。学校の宣伝にもなればいいなと思いますし、いろんなことをラジオで情報発信していきたいなと思っています。2時間生放送のラジオで、自分のコーナーが10分間だけあります。最初は善通寺紹介みたいなコーナーにしてもらって、善通寺の名所とか穴場を私が実際に行ってみて紹介しようと思っています。
私は本当に喋るのが下手というか、自分の言葉の引き出しが少ないので増やしていきたいですし、ラジオで公共の電波に乗せていろんな人に聞いてもらうというのをちゃんと意識した会話ができるようになりたいです。コミュニケーション能力も、ラジオに出演することで発展させていけたらなと思います。ちょっとでも自分の言葉で伝えることや、情報発信をアピールする方法がうまくなりたいと思います。
売り込み上手になりたいです!!


氏原恭子さん
♪FM高松 Action‼︎815 Challenge Thursday
氏原さんの担当は、毎月第2.4.5木曜日。
皆様、是非お聴きください!!

氏原さんfacebookページ